きっと明日は




灰色の窓を叩く大粒の雫をぼんやりと指でたどると、ルークはぺたりと窓ガラスに掌を押しつけた。
思いの外冷たかったガラスの感触に、思わず小さく肩が揺れる。
窓ガラスにくっつくようにしているからだろうか、窓を閉めているはずなのに雨の匂いがする。



ここ数日、雨の日が続いていた。
たまに降る雨なら、夏のはじまりを迎えたばかりのこの季節には恵みの雨となることもあるが、連日愚図つくばかりの天気はかえって鬱陶しいばかりだ。
重く湿った空気は、水に濡れたままの衣服を身につけているときのような不快さをもたらす。実際このところ朝の目覚めがいつも以上に悪いのは、この雨のせいだとルークは思っている。まとわりつくような水を含んだ空気は体を常よりも重く感じさせ、気分をも重くさせる。
それを言い訳にしているわけではないが、どうしても気分も態度もだらけてしまう。
今もルークはソファにも座らず、床の上にクッションを沢山敷き詰めた上に転がっている。転がりながら手だけを窓ガラスに伸ばしていたのだが、それにも飽きると、ルークは向きを変えてぽすりと大きなクッションの一つに顔を埋めた。
いつもなら太陽の匂いをさせるはずのクッションも、この連日の雨の匂いを吸い取ってしまったのか湿った匂いしかしない。それがさらにルークの気持ちを重くした。



「何をしている」

不意にため息混じりかけられた声に顔だけ向けると、ソファで本を広げていたアッシュがこちらを見ていた。

「別にー」
「することがねえなら、すこしは本でも読め」
「うええっ、冗談じゃねえ……」

そうは言うものの、別に本を読むことが嫌いなわけじゃない。ただ何かをしようという気力が、今は全く湧いてこないのだ。
雨は嫌いだ。
それはこの屋敷に閉じこめられていた頃から、ずっとそうだった。
なにしろあの頃はただでさえ行動範囲が屋敷内に限られているというのに、雨が降れば庭に出ることも出来ず、ただ部屋の中でじっとしていることしかできないのが鬱陶しくてしかたがなかったから。
だけど今は、もっと違う理由でルークは雨が嫌いだった。
雨に閉じこめられていると、普段は考えなくてもいいことをつい考えてしまう。
特に夜。眠っていてふと目を覚ましたときに雨の音を聞くと、闇がひっそりとその手を伸ばしてくるような錯覚を覚えることがある。単調で規則的なこの音のせいなのか、深く深く思考の闇に沈み込んでいってしまいそうになるのだ。


今ある幸せのこと。
自分の犯してしまった罪のこと。
──そして、自分という存在のこと。
 

いくら考えても答えなど見つからないと分かっているのに、続く雨の日には思考も沈み込んでいくせいなのか、そんな思考にはまりこんでしまうことがある。
だから雨が嫌い。
だけどそんなことを考えているなんて知られたくないから、ただ雨で湿って鬱陶しいから気分が悪いのだという顔をしている。



「おいっ」

不意に頭上から降ってきた不機嫌そうな声に、ルークは飛び上がりそうになった。まだドキドキと早鐘のように鼓動を打つ心臓を押さえながら慌てて顔をあげると、すぐ横になぜかアッシュが立っていた。

「詰めろ」
「へっ?」
「いいから、詰めろ」

有無を言わせない不機嫌そうなその声に慌ててすこし場所をあけると、アッシュはルークのすぐ隣に腰をおろしてクッションにもたれかかった。

「アッシュ……?」

わけがわからず、ぽかんとした顔で思わず名を呼ぶが、アッシュの方は用は済んだとばかりにルークを無視したまま本を広げる。その横顔をまじまじと見つめていると、やがて諦めたようにため息が一つ漏れた。

「何もしねえなら、大人しくしていろ。……気が散る」
「えっ?あ、ごめっ……」
「ったく、鬱陶しい」

小さな舌打ちと共に漏らされた悪態に、まだ状況がのみこめていないルークは小さく首を傾げる。そんなルークにアッシュは何か小さく口の中で呟きながら、腕をひいて自分の方へ引き寄せた。
ぽすりとアッシュの肩に寄りかかるような体勢になり、きょとんと目を瞠るルークに、またため息が一つ。

「いいからお前は大人しくそこにいろ」

それっきり黙り込んでしまったアッシュの横顔を、そろそろと視線を動かして見やると、微かに耳の後ろ辺りが赤くなっているのが見えた。
押しつけた頬に感じる、自分よりも少し低い体温。そしてようやく最近になって慣れた、アッシュの匂い。
先ほどまでの冷たい雨の匂いとは違う温かなその匂いに、ふわりと重くなっていた心がすこしだけ軽くなる。



「なあ、今夜一緒に寝てもいいか?」
「……今夜も、の間違いじゃねえか?」
「るせーな」

甘えるように頬をすりつければ、しかたがないというようにそっと頭を撫でてくれる。
雨の音はまだ続いている。
だけどこうやって寄りかからせてくれる存在がすぐ横にあるのなら、嫌いな雨の音も少しは好きになれるかもしれない。


きっと明日は、青空が見えるはず。



END(07/07/14)




アンニュイってなんだろう…。ううう。ウミさんを巻きこんで、お揃ネタでした。