嵐の夜




 
なんの前触れもなく目が覚めたと同時に、まるで昼の陽射しのような真っ白な光がアッシュの目を灼いた。
一瞬何が起こったのか理解できないでいるあいだに、轟音がビリビリと窓ガラスをふるわせる。
腹の底にまで響くその音に、アッシュはベッドの上で大きく目を開いたまま天井を見つめていた。



眠りにつく前まではそんな気配はなかったのに、いつの間にか外では強い雨が降り出していた。
アッシュはベッドから滑り降りると、裸足のまま窓の方へ歩いていった。
窓の所にたどり着いたと同時にまた夜空を稲妻が引き裂き、目がくらみそうなほどの白光と轟音が体を震わせる。アッシュはそれをぼんやりとした顔で見つめていたが、すぐにハッと何かを思い出した顔になると慌てて窓から離れた。
アッシュはそのままベッドには戻らず自分の部屋を出ると、居間を挟んで向かい側にあるドアをノックした。
何度かノックをくり返すが、返事はない。
その間にも何度も轟音が鳴り響き、どこかに落ちたのか地響きさえともなうほど激しい雷雨へと外の天気は変化していく。

「入るぞ」

アッシュは一応声をかけてからドアを開くと、部屋の中にすべりこんだ。
部屋の中は、アッシュの部屋とシンメトリーになるようにおなじ家具が配置されていた。だが、雰囲気は随分と違っている。アッシュの部屋よりも色味が多いし、物も多い。
静かな彼の部屋とは対照的に、この部屋には賑やかで明るい雰囲気がある。たぶんそれは、それぞれの部屋の主と自分との性格の違いによるものだろう。
アッシュは暗い部屋の中を手探りでベッドまでたどり着くと、その上に丸い塊が乗っかっているのを見て、内心ほっとしながらも口の端には苦笑を浮かべた。

「ルーク」

名を呼んで軽く促すように塊を叩いてやると、もそもそと塊が動いて隙間からちらりと翠の瞳が覗く。ベッドの上の塊の正体は、頭からシーツをかぶって丸まったルークだった。

「アッシュ……」

ルークはアッシュの姿を認めると、シーツに頭からくるまりながらもベッドの上に起きあがった。だがその途端、また鳴り響いた雷鳴に短い悲鳴を上げると、慌ててまたシーツの中に丸まってしまった。
アッシュは小さくなって震えているルークをシーツごと抱き起こすと、しがみついてくるままにさせながらゆっくりと安心させるように軽く背中を叩いてやった。

「なんですぐこっちに来なかった。おまえ、雷苦手だろうが」

ようやくシーツの中から現れたルークの頭にある大きな猫科の白い耳は、今の彼の心情をあらわしているように垂れて小さく震えている。シーツに隠れて見えないが、きっと自慢の長い尻尾も同じようにしおれているのだろう。

「……気がついたらもう雷が鳴りだしてて、そんで……」
「怖くて動けなかったか?」
「ばっ……!」

慌てて否定しようとした口は、またもや鳴り響いた雷鳴に簡単にかき消されてしまう。悲鳴を上げて抱きついてくるルークを抱きしめてやりながら、アッシュは小さく笑った。

「嵐が近いのは、わかっていたんだろ。なんでこっちにこなかった?」

ルークには、アッシュにはない不思議な力がある。
半獣の姿はこの世界では神の恩寵を受けた者にだけ現れる、聖痕だ。
アッシュのレプリカとして作られたはずなのに、なぜかルークには作られたときから神の恩寵の印が刻まれていた。研究者達はこぞって首を傾げたが、アッシュにはそれはなんの不思議でもなかった。
女神の名を取ってユリアの子供と呼ばれる彼らは、その能力に差はあれども、星の再生能力にかかわる力をそれぞれに宿している。
その能力は様々な形としてあらわれるが、彼らは総じて天候の変化には敏感だった。

「……だって」

ルークは堪えきれなかったらしい涙を少しだけ目尻ににじませながら、拗ねたような顔でアッシュを見上げた。

「だってなんだ?」

同じ顔なのに、なぜかルークにはそういう子供っぽい表情が似合う。もっとも、姿形は自分にそっくりだがルークの実年齢はまだ幼い子供であることを、アッシュが知っているせいなのかも知れない。

「せっかくアッシュが一人で部屋を使うようになったのに、邪魔しちゃいけないって皆が言うから……」

ぼそぼそと続けられたその言葉に、アッシュは顔をしかめた。
ルークとアッシュがそれぞれ別々の部屋を与えられたのは、つい先日のことだった。
15才になったアッシュは、勉学だけでなく未来の公爵として表向きの場に出ることが多くなるため、静かな環境を整えるという名目で部屋をわけることとなったのだ。

「そういうことかよ……」

実はアッシュはもっとルークがごねると思っていたのだが、意外とあっさりと部屋をわけることを承知したルークに、拍子抜けすると同時に軽いショックを覚えていたのだ。
しかしそういう理由ならば、理解できる。

「おい、少し詰めろ」
「へ?」
「聞こえなかったのか、バカ猫。場所を空けろって言ってんだよ」

まだシーツをかぶったままのルークの肩を押してベッドの上に転がすと、アッシュは自分もベッドに上がって、目を丸くして自分を見ているルークの隣に横になった。
激しい雷鳴と共に、また窓の外が白く光る。
悲鳴を上げながら抱きついてきたルークをアッシュは苦笑しながら受け止めると、ぴるぴると怯えたように震えている耳に軽くキスしてやった。

「……ったく、こんなんじゃ気になってしかたねえ」

いや違うか、とアッシュは心の中で自嘲する。
ルークが眠れないかも知れないのが気になるのではない、いままで手を伸ばせばすぐそこにあったぬくもりがなくなったことに不安を覚えているのは自分の方だ。

「俺、邪魔なんじゃねえの?」

きょとんとした顔で見上げてから、また鳴り響いた雷鳴にぎゅっとアッシュの胸元に頭を埋めるように抱きついてくるルークの頭を、低く笑いながらアッシュは撫でた。

「てめえの情けねえ面を見ている方が面白いからな」
「なっ……! うぎゃあぁっ!」

耳元で悲鳴をあげたルークに顔をしかめながらも、アッシュは震えるルークの背中をあやすように撫でてやった。

「だからバカ猫。おまえもその足りねえ頭で余計なことを考えるな。ダメなときはお前が泣き叫んでも蹴りだしてやるから安心しろ」
「……アッシュなら本当にやりそう…」

ぼそぼそと小声で呟くルークに、アッシュが低く笑う。

「わかってるじゃねえか。だから、俺がお前を邪魔に思っているなんてことねえのも、わかってるな?」
「うん」

ぎゅうっと子供のように抱きついてくるぬくもりに、愛しさがこみ上げる。
事情を知らない母親やメイド達は別として、自分たちが本当の兄弟のように絆を深めてゆくのを、苦々しく思っている者達がいることはわかっている。
今回のことだって表向きはもっともらしい理由をつけているが、自分たちを少しでも引き離そうとする意向がそこに潜んでいることをアッシュは知っている。
自分から作り出された、小さく愛しい存在。
だけどその本来の目的は、自分をいつか殺すかもしれない存在である矛盾。
そう知っているからこそ、なおさら愛しいと思うのはおかしいことだろうか。



安心したのか、すぐに安らかな寝息を立てはじめたルークの髪をそっと撫でてから、アッシュも目を閉じた。
まだ窓の外では雷鳴が轟き、稲妻が時折あたりを白く照らしている。
それでも、こうやってしっかりと抱き合っているだけでひどく安心できた。
いつかやってくるかもしれない嵐にも、こうしていれば耐えられる。
そんな気がしていた。


END