足音ふたつ




 
前に垂れ下がってきた髪を慌てて押さえつけながら、フードの影でアッシュは今日何度目になるかわからないため息を一つついた。
そのため息の原因は、もちろんそんな自覚は欠片もなく、いまも後ろできょろきょろと落ち着きなくまわりを見まわしている。
その落ち着きのなさに怒鳴りつけたくなる衝動をどうにか抑えこみながら、アッシュはそのまま露店の店頭にふらふらと引きつけられそうになる片割れの首根っこを掴んだ。

「いてっ!はなせよバカっ!」
「バカはテメエの方だ。何しにここに来たかわかってんだろうな?」

低く唸るような声でそう耳元で囁いてやると、ぴたりと動きがとまる。
ばつの悪そうな瞳が上目づかいに見上げてくるのに小さく鼻を鳴らすと、アッシュはくるりとルークに背を向けて先に立って歩きはじめた。
 


今日彼等は、二人そろって、バチカルとカイツール軍港の間にある町を訪れていた。
カイツールは対立時代には軍港として重要な拠点の一つになっていたが、マルクトとの和平条約が結ばれたいまでは、ケセドニアとはまた違ったルートでのマルクトとの玄関口としての役割を果たすようになっている。
そのため最近になって、この町は物資の輸送ルート上において重要な位置を占めるようになっていた。
アッシュは後学のためと称して、お忍びで視察する許可をもぎ取って昨日からここにやってきている。ルークはそんなアッシュに便乗するような形で、それにくっついてきたのだ。



「でもさ、だからってこんなフードなんか被らなくたっていいじゃんか」

ルークは鬱陶しそうに目のあたりまで落ちてくるフードを押し上げながら、ぶつぶつと文句を口にした。

「いい加減その口を閉じやがれ、屑」
「あ!屑って言った!」
「屑を屑と言って何が悪い。言われたくねえなら、すこしはテメエも努力しろ」

一つ文句を言えば、倍になって返ってくる。ルークはむくれながら目の前にある背中に、いーっと舌を出した。

「バカっぽい顔をするな」

まるで後ろに目があるかのように、すかさずアッシュの言葉が飛ぶ。

「な、なんで」
「バカかお前は。そんなこと、見なくても予想できる」

じろりと鋭い視線を向けられて、ルークは慌てて舌を引っ込めた。

「……でもさ、なんでわざわざこんな格好しなきゃなんねえんだよ」
「ここは、バチカルから近いからな」

その説明だけでは意味がわからなかったルークは、きょとんと目を瞠る。

「なんで近いのがダメなんだ?だいたいバチカルじゃ普通に出歩いてんじゃねえか。それに、いままでだって……」
「バチカルは別だ。あそこじゃ隠しても意味ねえからな」
「はあ?」

ますますわからないと言った顔になったルークに、アッシュは苛立ちを覚えながらも深いため息をもらした。

「てめえは、一度でも自分の立場を考えたことがあるか?」
「立場?」
「仮にもテメエはキムラスカの王位継承権を持つ貴族だ」
「アッシュだって同じだろ」
「ついでに言えば、一応英雄なんて称号も持っているな」
「それも同じだろ」

問題はそこなのかと突っ込みをいれたくなる衝動をどうにか抑えながら、アッシュはくるりとルークの方を振り返ると、腕を掴んで近くにあった路地へと引っ張っていった。

「アッシュ?」

賑やかな表通りの喧噪が、ひとつ角を曲がっただけで遠ざかる。
アッシュに手を引かれるままついてきたルークは、そのまま路地の壁に強く体を押しつけられてますます困惑した顔になった。

「何怒ってるんだよ……」
「てめえがアホだからだろうが」

きつく睨みつけてくる同じ色の瞳に、ルークは負けじとにらみ返した。

「いいか、よく聞け。俺たちの容姿はキムラスカ王家特有のものだが、んなことは貴族でもなきゃすぐにはわからねえ。それに、普通に王家の人間がそこらの町を歩いていると思う奴もあまりいねえ」

赤い髪と碧の瞳がキムラスカ王家の象徴なのは、たしかにそれなりに知られてはいる。しかしそれがどれくらい赤い髪なのかとか、そういう具体的なことになると、一般的にはひろく知られていない。
ルークたちほどはっきりとした赤い色を持つ者はたしかに少ないが、赤毛と称される髪の色はそれほど特異ではない。
それは旅の間にも感じたことだが、貴族やよほど事情に詳しい者でなければ、すぐに気づく者は少ないのだ。
だからこそ、こうやってアッシュがわざわざフードを被って姿を隠そうとするのが、ルークにはわからない。

「だがな、バチカルに近いこの町じゃ、俺たちの容姿も知れ渡っている。だから、わかるな?」
「なんで?」

いっそ無邪気な顔でそう問いかけてきたルークに、思わず拳をあげなかった自分をアッシュはほめたい気分だった。

「……てめえと俺がならんでたら、一発でばれるに決まってるだろうが!」
「それは、いけないことなのかよ」

急に落ちた声のトーンに、アッシュははっとしたようにルークの顔をのぞき込んだ。

「なんかこうやってこそこそするの、すごく嫌だ」
「……一応お忍びだってわかってるのか?」
「でも、俺たちの顔を知っている人なんてここらにはほとんどいないんだから、かえってこの方が目立つんじゃねえ?」

それに、となにか続けようとして、ルークは思い直したように口を閉じた。

「なんだ?」

 アッシュは促すような目をむけたが、ルークはちらりと視線を一度返しただけで何も答えない。それにさらにきついまなざしを向けると、ようやく口を開いた。

「それに、せっかく二人きりなのに」
「は?」

今度は、アッシュが間の抜けた声を上げる番だった。

「アッシュと二人きりで歩けるのって、ここしばらくなかっただろ?だから…」

拗ねた子供のように小さく唇をとがらせながらそう告げてきたルークに、アッシュはおもわず自分の手で口元を押さえた。
まったく、突然なにを言い出すのだろうか。この子供は。
これでまったく無意識からの言葉なのだから、余計に始末に負えない。

「…それが、テメエが今回ついてきた理由か?」
「うん。だって今回はアッシュも、そう深刻なわけでもなさそうだったし」

こういうところはさすがに完全同位体とでもいうべきなのか、そういう雰囲気は敏感に読み取れるらしい。
アッシュは口元を押さえたまま厳しい表情をなんとか作ろうとしたが、かなわなかった。
ルークの、アッシュと同じ色の瞳が期待に満ちた光をたたえている。
もう、それだけで勝敗は決まったようなものだった。
 


ふわりとフードを後ろにやったアッシュに、ルークはぱっと顔を輝かせた。
髪を隠すために一つに編んだ髪をあらためて後ろにやりながら、アッシュはフードの下からあらわれたルークのひよこ頭に思わず笑みを浮かべた。

「行くぞ」

先に立って歩きはじめると、嬉しそうにルークがそのあとを追いかけてくるのがわかる。
表通りに出ると、案の定すれちがう人々が二人の姿に目をとめる。
しかし特に呼びとめられることはなく、アッシュは不本意ながらもルークの意見を認めざるを得なかった。
それを少し面白くなく思いながら歩いていると、後ろからついてくるルークの酷く嬉しそうな顔が視界の隅に映った。

「…おめでたい顔だな」
「うん」

嫌味に笑顔でこたえてきたルークに、アッシュは子供っぽいとは思いながらも足をはやめた。
しかしルークもそれにあわせるように、足をはやめる。
だが決して隣にはならばず、半歩下がった場所でルークはアッシュのあとをついてくる。
それこそ、踊るように楽しげな足取りで。

「ニヤニヤするな、気味が悪い」
「だって、嬉しいから」

ニコニコと音が聞こえそうなほどの満面の笑みで返され、アッシュは呆れたように目を細めた。

「何がそんなに嬉しいんだ?」
「これ」

ルークはトン、と足で軽く地面を蹴ると、にこりと笑い返した。

「アッシュと歩くと、足音がそろうんだ。それが嬉しい」
「は?」

 意味がわからず、思わず怪訝そうな声をあげてしまう。

「一人で歩いているんじゃなくて、アッシュと二人で歩いている。それが嬉しいんだ」

わけがわからないと首を傾げるが、ふとその言葉の意味に気づいてアッシュは瞬時に顔を赤らめた。

「アッシュ…?」

突然背を向けて早足で歩きはじめたアッシュのあとを、慌ててルークは追った。
同じリズムで響く、二つの足音。それは早足になってもかわらず、ユニゾンを奏でる。


いつだって一人で、しっかりと前を向いて歩き続けていた。
だけど今は、そのあとを追いかけてくる足音がもう一つある。
同じリズムを刻む、もう一つの足音。
もう一人ではないのだと、それが教えてくれている。


衝動的に抱きしめたくなるのをかろうじて押さえこみながら、アッシュは歩き続ける。
響く足音は、これからもずっと二つ。



END
(07/02/03)


バカップルぽい…。