Aの言い分




『ふざけんなっ!』
 それが、目覚めた瞬間のアッシュの心の第一声だった。
 顔が近いのはまだ許そう。だが自分がレプリカ──ルークの腕に抱えられていることに気がついたアッシュは、いつもの三割り増しの皺を眉間に刻み込むと、目を丸くして自分を見ているルークの顔を睨みつけた。
「降ろせ……」
「へ?」
「聞こえねえのか!この屑がッ!」
 アッシュはそれこそルークを蹴り飛ばさんばかりの勢いで降り立つと、はっとしたように自分の胸に手を当てた。
 そこにはたしかに布の切れた跡はあったが、傷の感触は消えている。どういうことだとさらに顔をしかめたアッシュは、突然背後から抱きつかれ、その勢いに倒れそうになりながらもなんとか踏みとどまった。
「おいっ!」
 そんな事をしてくる相手はもちろん一人しか思い当たらず、盛大に怒鳴りつけてやろうとしたアッシュは、背中ごしに聞こえた引きつったような声に言葉を飲みこんだ。
「生きてる……」
 ぎゅうっときつく抱きしめられ、その手加減のない力に体が軋みを上げるのがわかる。それをすぐに振り払わなかったのは、アッシュにも少しばかり感傷的な気持ちがあったからだ。しかし、もちろんそれは長続きするような物ではなかった。


 アッシュは自分の背中に張り付いているルークを引きはがすと、やにわにその胸ぐらを掴んだ。
「……なんで俺は生きている」
 それが、今一番アッシュが知りたいことだった。
 自分は確かに死んだはずだ。薄れてゆく意識の中でもそれを自覚していたし、死んでから自分の意識がルークの中に流れこんでいったことも、朧気ではあったが覚えている。
 それなのに、なぜ自分は生きているのか。
「アッシュ…!とりあえず落ち着けよっ!」
 そんなことを考えていたせいか、ルークを締め上げている手に力がこもってしまったらしい。苦しげな声で訴えてくる彼に、アッシュはとりあえず少しだけ力を緩めてやった。
「……確かにさっきまで、お前は死んでいた」
 ルークは軽く咳きこみながらそう言うと、自分の襟元にかけられたアッシュの手にそっと触れた。
「でも、おまえはこのまま生き返る」
「……おまえ、何を知っている」
 低く呟いたアッシュに、ルークは笑みだけでこたえる。その笑みが、いつものように勘に障るものではなく不安を呼ぶものに感じられて、アッシュはさらに問い詰めようと口を開きかけたが、それを遮るように別の声が横から入り込んできた。
『それは、私が答えよう』
 空気を振るわせるような不思議なその声に慌てて顔をあげると、オレンジ色の炎のようなものが目の前で人型を取る。
「……ローレライ?」
『いかにも』
 かすかに笑うように、炎が揺れる。
「それじゃあ……」
「ローレライの解放は成功した。だから俺もお前も、ここにいるんだけど」
 正確には自分のいた場所にアッシュが落ちてきたのだが、ルークは余計な説明は省いた。いまは、すこしでも時間が惜しい。
「そうか……」
 アッシュは安堵の表情を浮かべると、ほうと小さく息をついた。
「ようやく役に立ったな。屑」
 言葉だけを聞けばいつもの嫌味にしか聞こえないが、その声には僅かにだがルークをねぎらうような色が混じっている。思わずぽかんとした顔でアッシュを見ていたルークは、すぐにまたいつものようにむっとした顔になったアッシュに、頭をはたかれた。
「ってえ……!」
「アホ面さらすな!みっともねえ……」
 頭を抱えて唸るルークを無視しすると、アッシュはローレライの方をふり返った。
「さっき、お前が説明すると言ったな?どういうことだ?」
『説明するよりも、知識を送った方が早いだろう』
 その言葉に応えるようにふわりと小さな光の球があらわれると、アッシュの目の前で弾けた。それと同時に頭の中に流れこんできた情報に、アッシュは顔をしかめた。
「……なん、だと…?」
 ずっと頭を占めていた、一つの懸念。それがあったがために自分はただひたすら走り抜けたというのに、そのすべてが覆されるとは。
 ハッとしてルークの方をふり返ると、少し困ったような笑みが返される。なんの悪意もなければ、恨むような色さえ見えない。そういうことなんだってさ、とでも言いたげなその顔に、気がつけば言葉を投げつけていた。
「冗談じゃねえ…っ!てめえはそれでいいのかっ!」
 あれだけ生きたいと叫んでいたのに、本当にそれで良いのかと。
「俺だって、生きられるなら生きたいに決まってんだろっ!……だけど、たぶんもう無理だから」
 かざされた左手。その手が淡く光っていることに、ようやくアッシュは気がついた。
 この場が光にあふれていて気がつかなかったけれど、よく見ればルークの輪郭はときどきぶれたように点滅している。
「俺の劣化した体じゃ、ローレライの解放に耐えきれなかったんだ」
 今こうしていられるのは、この場をローレライが支えてくれているから。この場がなくなれば、すぐにでもルークの体は音素乖離を起こして消えてしまう。
「ふざけんなっ!」
 アッシュは手を伸ばしてルークの腕を掴むと、自分の方へ引き寄せた。
「お前が死んでどうする!あいつら…お前の仲間たちはどうするつもりだっ!」
 一瞬ルークの表情に苦い物が浮かぶが、すぐに消えてしまう。替わりにあらわれたのは、すでに諦めきった顔だった。
「……約束、悪いけど頼むな」
「俺は受けねえ」
 アッシュは一瞬の迷いもなく拒絶の言葉を口にすると、先ほどからこちらをうかがうように見つめているローレライの方へ顔を向けた。
「俺は、こいつが消えるのを認めない。俺とこいつは、もう別の人間だ。今さらこいつを取り込めと言われても、他人の記憶を受け継ぐ気は俺にはない」
『自然の理に逆らうというのか?』
「てめえを解放してやったんだ、それくらいのイレギュラーは認めろ。できねえとは言わせねえ」
 真っ向からまるで切り込むように鋭い目つきで睨みつけてくるアッシュに、ゆらゆらとオレンジ色の炎が揺れる。
 それはまるでなにかを考えこんでいるようにも、そして何かを楽しんでいるようにも見える。
『……いいだろう。私も、私を救ってくれた同位体であるお前たちに報いる必要がある』
 それに、とローレライは笑うように炎を揺らしながら続ける。
『アッシュ、おまえがルークを自分自身とは違うと認めるのなら、もう一度同じであって違うものとして存在することが出来るだろう』
「……本当に?」
 信じられないと大きく目を瞠ったルークの方へ、ローレライはふわりと移動する。
『ただし、おまえにはもう少しだけここにいてもらわなければならない』
「へ……?」
『お前の体は音素乖離が進みすぎている。アッシュの再生のために、かなり大量の音素を奪われたからな。このまま地上に降りても、その瞬間消えてなくなる可能性が高い』
 ローレライのその説明にアッシュはわずかに表情を動かしたが、すぐにまたいつもの少し怒ったような顔になる。もっとも、ルークはそんな変化には気がついていなかったが。
「どれくらいかかる?」
『およそ半年だな』
「半年……」
 まるで置いていかれる子供のような顔をしたルークの頭を、アッシュは軽く小突いた。
「生き返れるだけマシだと思え」
「……うん」
 それはそうなのだけれど、それよりももっと気になることがルークにはあった。
「俺は、戻って良いのか?」
 そう言った途端、ぴくりとアッシュのこめかみの辺りが引きつったのが見えたような気がした。本能的にまずいと身構えるよりもはやく、容赦のない拳骨が頭の上に振り下ろされた。
「てめえは、まだそんなことを言いやがんのかっ!」
「ってーな!少しは手加減しろよっ!」
「うるさいっ!」
 またもや力任せに胸ぐらを掴み上げられると、今度は鼓膜が痛くなるほどの大声で怒鳴りつけられる。おもわずきょとんと目を丸くしたルークに、アッシュはこちらを睨みつけたまま顔を寄せてきた。
「俺はこれ以上、おまえの尻ぬぐいをしてやる気なんてねえんだよ。くだらねえことを考える暇があったら、一日でも早く戻ってこい」
 え、と疑問を返す前に乱暴に突き放される。頭はまだ混乱したままだったが、つまりそれは。
 ぽかん、と驚いたように自分の顔を見ているルークに、アッシュは反射的にまた手を上げそうになるのをかろうじてこらえると、諦めたように長いため息を落とした。
「……待っていてやる。だから、とっとと戻ってこい」
 ここで何も言わなければ、きっとルークは勝手に誤解してあらぬ方向に思考を持っていくだろう。良くも悪くも素直なところが、こういう時はわずらわしい。
 それでも、これだけはきちんと言わなければいけないのはアッシュ自身もわかっていた。
「本当に良いのか、なんて聞きやがったらこの場で叩き切る」
「……おう」
 それがアッシュの精一杯の譲歩なのだとわかったから、ルークもそれに小さく頷いただけだった。
『話はまとまったようだな』
 その間、黙って二人を見ていたローレライが声をかけてきた。それに答えようとふり返ったルークが、突然バランスを失ったようにがくりと膝をついたのに、アッシュは咄嗟に手を差しだそうとしてそれがかなわないことに気付く。
「な、にっ……!」
『では、さっそくお前を地上に降ろすとしよう。ルークのことは、またその時が来ればお前にはわかるはずだ』
「ちょっと待ちやがれっ!てめえっ!」
 必死に自分を取り巻く力に抵抗しようとするが、もちろんかなうはずもない。ちょっとは人の話も聞きやがれと悪態をつくが、そもそも同位体である自分たちが同じように人の話を聞かないことは、棚上げである。
『行け』
 まるで、一仕事終えたと言わんばかりの誇らしげな声でそう言い放った意識集合体に、強い力でこの場から引きはがされる感覚に耐えながら、アッシュは思わず一番はじめ心の中で叫んだ言葉をそのまま叫んでいた。
「ふざけんなっっ!」



 そして、新たに物語ははじまる。


END(07/06/27)


というわけで、またもや新しい設定でのED後捏造話です。今度は軽めに。