名前を呼んで
[カノンの後日談。イメージはだいぶ違うので注意。]
公爵邸内にある書庫から探していた書物を見つけ出し、いつになく機嫌良さそうな様子で部屋に戻ってきたアッシュは、昼日中からふて腐れたようにベッドに転がっている自分の半身を見て眉をひそめた。
「おい、何してる」
「何でもねー」
こちらをふり返りもせず、ルークが答える。
「ふざけるな、さっさと答えろこの屑が」
その受け答えにさらに眉間の皺を深くしたアッシュに、ルークはようやくこちらに半分体をむけるようにしてちらりと上目づかいにアッシュの顔を見上げた。
「見てわかんねえ?」
「暢気にぐうたらしていることだけはわかるがな」
さっさと起きやがれ、とベッドの足を軽く蹴られて、ルークはさらにむすっと拗ねた顔になった。
どうにもあの一件以来、ルークのアッシュに対する態度は子供が甘えてくるように遠慮のないものになりつつある。
以前のルークは、騙して自分に罪悪感を感じさせるように仕向けていたこともあって、たまに刃向かってはくるもののいつでもどこか遠慮がちだった。
自分が態度を硬化させていたこともそれに拍車をかけていたのだろうが、たまにこちらが苛々するくらいに、こちらの顔色をうかがっているところがあった。
さすがにあの頃に戻れと言う気はないが、もう少し遠慮しろと言ってやりたくなる。
もっとも、そうやって甘えてこられるのもまんざらではないと心の片隅で思っていたりするのだが、アッシュ自身はかたくなに認めていない。
「いったい何が言いたい……」
うだうだとベッドの上で丸まっているルークをなるべく視界に入れないようにしながら、アッシュは自分の方のベッドに腰をおろした。
「アッシュ今日さ、メイドの女の子の名前呼んでただろ。ほら、新しく母上のところに来た子」
そう言えばそんなこともあったなと思い出しながら、それがどうしたと目で問う。
ちなみに件のメイドは、母親のシュザンヌが気が利くと褒めていたのでなんとなく名前を覚えていたのだ。
「……新しいメイドの子の名前は呼ぶのに」
「だから何が言いたい」
「アッシュって、俺のこと名前で呼ばねえよな」
ちらりとこちらをふり返った、拗ねた翡翠の瞳。それにアッシュは、その問い自体が藪蛇だったことにいまになって気がついた。
「……くだらねえ」
「くだらなくない!」
がばりと勢いよく起き上がったルークに、アッシュは心の中で小さく舌打ちした。
「せっかくなんだから、名前を呼んでくれたっていいじゃねえか」
「どうでもいいだろう、そんなこと」
「ケチ!」
「なんか言ったか?」
凄みのある視線でアッシュが睨みつけても、ルークはひるまずに睨み返してきた。
「それよりもお前、今は確か勉強時間じゃなかったか?」
ふと思い出してそう切り返せば、途端にばつの悪そうな顔になる。
「確かおまえ、教師が来ないときもちゃんと勉強するって大見得切っていたよな」
「うう、その通りです……」
以前のように、毎日のように教師たちに詰め込まれるのは嫌だとルークが主張したので、教師の訪問は現在は週二度に抑えられている。それ以外の日は決めた時間に自習し、わからないところがあればアッシュや他の者に聞くという形で、ルークはあらためて必要なことを学び直しているところだ。
じりじりとアッシュから距離を取ろうとするルークの肩を掴むと、アッシュはそのままルークの体の上に乗り上げた。
「約束を守れねえガキには躾が必要だな」
「へ……?うわわっ、お、俺、勉強しなくちゃいけねーし」
なんとか逃げだそうとする体を押さえこみ、軽いキスを鼻の上に落とす。
「後で見てやる」
そう囁かれて、ついでに耳にもキスを落とされると、もうダメだった。
シーツにくるまって眠るルークの髪をそっと撫でながら、アッシュは小さくため息をひとつついた。
「ルーク」
そっと、まるで秘密を口にするときのようにその名を音にしてみる。
相手の意識があるときは、どうしてもできないこと。
こうやって意識のない時にだけ名前を呼んでいるのも、もちろん秘密だ。
きっとそのうち、あの目を見ながらその名を呼ぶことが出来るようになるに違いない。
そして、それはきっとそう遠くない。
END
単なるバカップル…。