caramel days




「ざっけんな! このデコッぱちオカメインコっ!」

うららかな昼下がり。そのまったりとした空気を突き破るような怒声が屋敷中に響き渡ると同時に、バタバタと中庭の方へ走ってゆく慌ただしい足音がファブレ公爵邸の広い廊下を駆け抜けた。
走っているのは、夕焼け色の髪を長く伸ばした少年。少年が走るとともに背中で揺れるその髪は、先の方だけ少し色合いを変えて金色にきらめいている。そしてその頭には白い大きな猫科の耳が、利かん気な性格を表すようにピンと立っている。
耳だけではない。少年の背後には腰のあたりから白く長い尻尾も覗いている。それ以外は姿形は人間の子供そのものだが、彼、ルーシュは人間ではない。耳族と呼ばれる、とても人間に近いとされる亜人族である。
耳族は、知能レベルは人間とほとんど変わらないが、人間と決定的に違うのは彼らには獣のそれと同じ耳と尻尾があることだ。体格も属する獣の種類によってまちまちだが、極端に人と違うと言うことはない。
知能も高く人に友好的な耳族は人気が高く、また最近ではその個体数が減りつつあることもあって、貴族などの富裕層では彼らを飼ったり養ったりすることが一種のステータスとなっている。
ルーシュも、そんな貴族の家に引き取られた耳族の一人だ。
彼が引き取られたこのファブレ家は、キムラスカ王家に連なる公爵家である。王城にほど近い場所に広大な敷地と邸を有するこの家で、現在ルーシュは子供のいない公爵夫妻の養子の一人として育てられていた。



「ふざけんなっつーのっ! アッシュの野郎っ、人のことバカにしやがって !」

ルーシュは母屋から離れて建てられた共同部屋に飛びこむと、荒々しく音を立ててドアを閉めた。だがどうにも腹に据えかねてそのままソファが置かれている一角へ突進すると、手当たり次第にクッションを投げはじめた。

「くそっ! くそっ! あ──っ、もう頭くんなっ!!」

最後に、ばふっと情けない音を立てるクッションを床にたたき付けると、ルーシュは床に座り込んだままなんどか同じクッションで床を叩いていたが、それにも疲れると、ふて腐れたようにクッションの上に転がった。

「アッシュのバーカ、アホ、眉間ジワ、けちんぼっ! え〜と、それから……」

クッションに埋まりながらぶつぶつとルーシュは悪態をつき続けながら、ごろごろと床を転がる。
先程からルーシュが悪態をつき続けているアッシュとは、ルーシュの双子の兄のことである。双子なだけあって顔や体つきはそっくりなのだが、耳や尻尾の色はルーシュとは正反対の夜のように黒い色をしている。髪の色ももっと紅く、毛先まで同じ色をしている。心なしか毛並みもアッシュの方が艶やかで、凛とした雰囲気がまたその色合いを引き立てていた。
実際アッシュは頭も良く、立ち居振る舞いも立派で几帳面な性格をしている。さすが公爵家に養われているだけある、とファブレ公爵を訪れる客人達の間でも評判は上々だ。
ルーシュもそんな自分の片割れが自慢だったが、些細なことで衝突することもほぼ日常茶飯事のことだった。
どちらかといえば堅苦しいことの嫌いなルーシュに対して、アッシュは事ある事に煩く口出ししてくる。それが自分のためを思って言ってくれていることだとルーシュもわかっているのだが、どちらも熱くなりやすい性格をしているだけに、すぐに喧嘩へと発展してしまう。
似たもの同士、とファブレ夫妻だけでなく屋敷の者達皆から微笑ましく思われているのだが、本人達にとってはいつでも真剣勝負だ。
しかし口では数倍達者なアッシュに勝てるはずはなく、たいていルーシュが言い負かされて最後は決裂する。それが二人のいつもの喧嘩パターンだった。

「うああああっ! 一回でいいから、あいつを泣かしてやりてえっ!」

ごろごろと床を転がっているうちにまた悔しさがこみ上げてきたのかそう叫んだルーシュの耳に、小さくドアの開く音が届いた。反射的に飛び起きて扉の方を睨みつけると、ちょうど部屋の中に入ってきた相手がきょとんと目を丸くしてそのまま固まった。

「……なんだ、ルークか」

ルーシュはかるく肩を落とすと、睨みつけていた視線を和らげた。
部屋に入ってきたのは、ルーシュよりも一回り小さい猫耳族の子供だった。ルークと呼ばれたその子供はルーシュの言葉に大きく瞬きを一つすると、驚きに寝かせていた耳をぴこんと立たせてルーシュの側までやってきた。
ルークは、ルーシュをそのまま小さくしたような姿をしている。耳の色も尻尾の色もルーシュと同じミルク色をしていて、髪の色もそっくりだ。ただ一つ違うのは、ルークは襟足のあたりで髪を切っているせいか毛先の金色があまり目立たないことだ。
金色と朱色のグラデーションを作り上げているルーシュの髪が夕焼け色なら、ルークの髪はひなげしの花の様子に似ている。しかしその顔立ちといい瞳の色といい、ルークはルーシュにそっくりだった。
だが、ルークはルーシュ達の本当の弟なのかどうかは、実は良くわかっていない。
これだけ顔がそっくりなのだから血の繋がりはあるのだろうが、きちんとしたところからもらわれてきたルーシュとアッシュとは違い、ルークはルーシュが拾った耳族の子供だった。
3年前、どこから入り込んできたのかこのファブレ邸の裏庭で倒れていたのを、ルーシュが見つけて屋敷に運び込んだのだ。
なんとか一命は取り留めたものの、尋常ではない様子から見て酷いショックを受けたらしいこととまだ幼かったせいもあるのか、目が覚めたルークは何一つ覚えていなかった。
そんなルークをファブレ夫人が不憫がったのと、すでに養子として育てていたルーシュとアッシュにルークがそっくりだったこともあって、ルークはそのまま双子の弟としてファブレ家に引き取られることになり、今に至る。
もちろんアッシュもルーシュも本当の弟のようにルークのことを可愛がっており、特にルーシュは自分よりも下の存在ができたことが嬉しくて、この弟を誰よりも可愛がっていた。

「ルーシュ、大丈夫か?」

自分と似た声色でそう言って手を伸ばしてきたルークに、だがルーシュは大丈夫とは言えなくてそのまま黙ってしまった。しかしルークはそんなルーシュの態度にもひるむことなく手近にあったクッションを下にひくと、ちょこんとルーシュの隣に腰をおろした。

「これ」

ぐっと突き出された拳に反射的に手を伸ばすと、ころりと紙に包まれたキャラメルが掌に転がった。薄いピンク色の包み紙はルーシュのお気に入りの店のもので、ずっとルークが握りしめていたからかほのかに温かい。

「一緒に食おうぜ」

にこっとルークはルーシュの顔を見上げた笑うと、自分もポケットからこちらは黄色い包み紙のキャラメルを引っ張り出すと口の中に放り込んだ。
もごもごとルークがキャラメルを口の中で転がす音と甘い香りがすぐ隣からしてきて、つられるようにルーシュもキャラメルを口に入れる。ふわりと香ばしい味と、それを追いかけるようにして微かな塩味が口の中に広がる。
市販の箱に詰められたミルクキャラメルではなく、パティシエの手による手作りのこのキャラメルは普通のキャラメルよりも柔らかい。風味も濃く、じわじわと染みてゆくような甘さがある。
そうやって自分にくっついてくるルークと並んでキャラメルを舐めていると、荒れていた心にもじわりと甘さが染みてゆく気がする。

「あのな、このキャラメル、アッシュがルーシュにもっていけって」
「アッシュが?」
「うん。たぶん、ゴメンネの代わりじゃないかなあ」

もごもごと口の中でキャラメルを転がしながら、ルークが言う。

「だってそのピンクの、ルーシュのお気に入りだもんな。俺はこっちの方が好きだけど」

そう言ってさしだされた黄色い包み紙は、ルーシュのものとは違うバニラ味のキャラメルだ。そういえば、ルークはこのかすかな塩味が好きじゃないと言って、何時も手をつけない。

「アッシュ、二人で食べてこいって。でな、食べ終わったらお茶の時間だから戻ってこいってさ。いつもなら、お茶の前にお菓子食べたらおこるのにな」

えへへと嬉しそうに笑ったルークにルーシュはそうだなと苦笑すると、頭を撫でてやった。それが嬉しかったのか、ルークはますます嬉しそうな顔で甘ったれるようにルーシュに抱きついてくる。

「ルーシュ、大好き!」

ルーシュはそんなルークを抱き返してやりながら、口の中に広がる甘いキャラメルの味を噛みしめていた。



「遅いぞ」

キャラメルを食べ終わってから母屋の居間の方へ行くと、すでに先に席に着いていたアッシュが窘めるような口調で呟いた。

「うっせーな。ちょっと遅れただけだろ」
「まっ、てめえが時間通りに来た事なんてほとんどねえがな」
「なんだと? おまえだって、本読んでてお茶の時間を過ぎたこと何度もあるじゃねえか」
「たまたまだ」
「負け惜しみ言うんじゃねえよ」

途端に騒がしくなった居間の中で、三人の世話係を務めているガイがおかしくてたまらないという顔で紅茶を注いでゆく。

「ガイっ! 俺、手伝う!」

ぎゃあぎゃあとまた言い合いをはじめた双子を他所にルークは椅子から滑り降りると、ワゴンの上でお茶の用意をしている使用人の足元に走り寄った。

「いいのか、ルーク。放っておいて」

ルークにケーキ皿を渡しながら、ガイは身を屈めるとそっとルークの耳元で囁いた。

「いいんだよ、あの二人はあれで」
「まあな、喧嘩するほど仲が良いっていうしな……」
「そうそう」

えへっと花のような笑顔を浮かべるルークに、ガイも一緒につられて笑みをこぼす。

「ルークは焼き餅とかやかないのか? 兄貴二人があんなに仲良くて」
「やくわけねーだろ。二人とも俺のこと、ちゃんと好きでいてくれるし。それに」
「それに?」
「ガイだって、俺のこと好きだろ?」

そう言うなりすばやくつま先立ちで頬にキスしてきた子供に、ガイは目を丸くしたが、すぐにそれはやわらかな笑みにかわる。

「ああ、俺もルークのこと好きだよ」

そう言って鼻先にキスしてやった途端、ガイの後頭部に衝撃が走る。

「てめえ! ルークになにしてやがる!」
「ったく、油断も隙もねえな!」

殴ったのはアッシュ。その隙にルークを抱きかかえて席に連れて帰ったのは、ルーシュ。それは、実に見事な連係プレイだった。
そしてルークを囲んで三人で賑やかにお茶をはじめた耳族の子供達を見つめながら、ガイはそっとテーブルから離れて戸口近くの壁にもたれかかった。


愛らしい子供達の、賑やかで平和な時間はこれからだった。




END(08/02/06)




新しく3匹猫耳族兄弟です。長髪ルークはルーシュです。フランス語で「おたま」です。にゃんこだから「たま」……。