唇から弾丸




 それは、至福の時間だった。
 光を受けて輝くそれはキラキラと眩しく、どんな宝石にも劣らぬほど魅力的に見える。
 事実、中には宝石に劣らぬほど高価で希少な物も存在するのだ。
 だけどそれは価値のわかる者にとってだけで、興味のない者から見ればがらくたを何ら変わらないものに違いない。
 それでも、彼にとってそれは貴重な宝箱にも等しい物だった。



「にやけた顔すんな、気味悪りい」
 不意に頭の上から降ってきた不機嫌な声に顔をあげると、予想にたがわず口をへの字に曲げたルークの顔があった。
「昼飯、どーせ食堂までくるわけねえのわかってるから持ってきたやった」
 そう言うとルークは乱暴に昼食の乗ったトレイを置いて、自分も同じように床の上に座りこんだ。
「サンキュ」
 ガイは笑顔で短くそう答えたが、実際は半分上の空だった。そんな自分の応対にひやりとした空気がルークの方から流れてくるのがわかったが、こればかりはどうすることも出来なかった。
 そもそものはじまりは、数日前にシェリダンからやってきた一羽の鳩が運んできた知らせからだった。
 それはガイの同好の士であるギンジからの連絡で、シェリダンにある某高級音機関メーカーから発売される極秘限定商品についての連絡だった。
 もちろん一も二もなくガイは購入希望の返答を喜々として返し、指折り数えて待ちかねていたその商品がグランコクマの屋敷に届けられたのは、昨日のことだった。
 子供のように浮かれるガイに、いま彼の屋敷で一緒に暮らしているルークは冷ややかな目を向けた。
 だがそれでも、一日はルークも我慢した。
 現在のルークは生活に必要な費用などはすべてファブレ公爵家から出てはいるが、実際にはガイの屋敷に居候の身である。ガイはここもお前の家だとかそんな恥ずかしい台詞を恥ずかしげもなく言っていたが、やはり少しは遠慮は感じているのだ。
 しかしファブレの屋敷で自分の世話係として働いていた頃から知ってはいたが、やはりガイの音機関への耽溺ぶりは変わっていなかった。それどころか、使用人という枷がなくなったせいもあるのだろうが、本当に一日部屋に閉じこもって食事すらまともにとろうとしない。
 あげくに話しかけても上の空。いいかげん、もともとガイに対してはそう長くないルークの忍耐が切れるのは予想範囲内の出来事だった。
 


 一部の人々の予想に反して、二年の月日を経て戻ってきたルークとアッシュはそれぞれの個を保ったまま戻ってきた。
 もちろん彼らを待ちわびていた人々の喜びは大きく、アッシュとルークの二人はそろって正式な子息としてファブレ公爵家に迎え入れられた。
 そしてそのまま平穏な日々が彼らにも訪れると誰もが思っていた矢先、突然ルークはマルクト王国にあるガイの屋敷へと転がり込んできたのだった。
 家出してきたとけろりと告げるルークに慌てて公爵家に連絡を取れば、入れ違いにルークを追ってきたと思われるアッシュが、殴り込み寸前の勢いで屋敷に押しかけてきた。
 そこで繰り広げられた口喧嘩から察するに、どうやら二人に増えた公爵家の子息に関してキムラスカ宮廷では不穏な空気が流れているらしい。
 レプリカではあるが英雄達の要であると見られているルークと、元から正式な公爵家の子息でありやはり英雄と奉られているアッシュ。どちらを次代の公爵または国王として担ぐか、水面下で密かに動きだした者達がいるのだ。
 アッシュやファブレ公爵はまだ先のことと一笑に付したが、その曖昧さがさらに事態を加熱させる一因ともなった。挙げ句の果てに暗殺計画などと囁かれはじめてアッシュや公爵が呆れている間に、ひた隠しにしていたはずのルークにそのことが知れた。
 ルークは世間知らずではあるが、頭の回転は悪くない。さらに言えば、あの旅の仲間に幸か不幸か謀略のエキスパートとも言えるジェイドがいたおかげで、そういう事に関しても少しは頭が働くようになっていた。
 結果、そもそも目の前に二人揃っているからいけないのだと短絡的に考えたルークは、その勢いのままバチカルを出奔してきたのだ。
 もちろんそんな勝手な真似は、帰還以来本当の兄のように過保護になっているアッシュが許すはずがない。散々言い争ったあげくに強引にバチカルに連れ戻そうとするアッシュに、ガイは一つの妥協案を打ち出した。
 ルークをしばらく遊学扱いでマルクトに滞在させ、その間に諸々の厄介ごとを一掃すればいいのではないかと。
 当然アッシュはごねたが、当のルークが諸手をあげて賛成した上に面白がったマルクト宮廷コンビからの援護射撃もあったおかげで、めでたく正式にルークのグランコクマ滞在が決まったのであった。
 もっとも、ガイはもう少し落ち着いたらルークを迎えに行くつもりだったので、それが少し早まっただけのことだった。



 じっと自分を見つめているルークの視線を感じながらも、ガイは目の前の誘惑に勝てずにいた。
 俺と音機関とどっちが大切なんだ、とそういやわがままお子様時代には言われたなあと思い出しながらも、ついつい意識が散漫になる。今も人よりはルークに我が儘を言われる方だが、あの頃に比べればこれでも随分と大人しい。しかし他人から見ればルークのガイに対する態度はお子様そのものだったりするのだが、あいにくと本人達には自覚がない。
 じりじりと横顔に当たってくる視線は、冷ややかな熱を持っている。
 昔だったらこの辺りで頬をふくらませていて、そのうち八つ当たりで何かが飛んできたものだ。
 だが、これは幼い頃からのルークの長所の一つと言えるだろうが、ガイが本気で大切にしている物にはルークは手を出さない。その点では、ガイはルークに全幅の信頼を置いていた。
 もうちょっと、もうちょっとだけ。
 そうしたら手を止めて、そろそろ限界に近づきつつある愛しい子供を宥めてやらなければ。
 だけど、そう思う先から次々と気になるところが出てきてしまう。
 もう一つパーツをつけたら、あそこの緩んでいるネジを締めたら。
 ダメだと思う先から、どんどん思考がずれていってしまう。これは今夜あたり盛大に無視されるのを覚悟するか、と勝手に結論を出したまさにその瞬間、ガイは音が出そうなほど強引に頭ごと振り向かされた。
 まず視界に映ったのは、鮮やかな朱金の色。そして、怒ったようにつりあがった形の良い眉毛と翠の瞳。そしてやわらかな感触が唇に押しつけられて、そこでようやく思考が繋がった。
 音を立てて、唇が離れる。
 そのやわらかな感触を心のどこかが惜しんでいるのをぼんやりと感じながら、ガイは一瞬呆けたように目を瞠った。
「ばーか!」
 そんなガイに向かってルークは舌を出すと、跳ねるように立ち上がってバタバタと部屋を出て行ってしまった。
 そんなルークの後ろ姿を思わずそのまま見送りながら、ガイはそっと自分の唇に指を当てた。


 まさか、そうくるとは。
 気を引くためにおもちゃを投げつけてきていた子供の頃と同じ顔で、まったくなんてことをしでかしてくれるのか。
「……まいったな」
 ガイは手に持っていた工具を床の上に放り出すと、苦笑しながら前髪を掻き上げた。
 こんな事までしてかまえと言われたら、無視する事なんて出来るはずがない。
 キラキラとした機械を弄っている時間は何にも代え難い至福の時間だけれど、ただ一人の大事なご主人様であり愛しい存在でもある相手の最大級のおねだりにかなうはずがない。
 ガイはもう一度やれやれと小さく肩をすくめると、たぶん自分の部屋に行ってしまったルークを追いかけるために立ち上がった。


 不意打ちのキスの破壊力は、たぶん無限大。



END(07/09/03)



タイトルがアホすぎて目眩がします…。