笑顔の行方




 なんの悩みもなさそうに笑っている顔が、嫌いだった。


「笑うなっ!」
 こちらをみつけて相変わらずの笑顔を浮かべようとしたルークに、アッシュは眦をつりあげて怒鳴りつけた。
 その声にびくりと反応したルークの顔を見て、さらにアッシュは表情を険しくした。
 主人にしかられた子犬のようなその顔をみると、無性にイライラする。
 自分のレプリカなのでなまじその顔の作りが自分にそっくりなのも、苛立ちに拍車をかける原因のひとつだ。
 それに、そう言う顔をされると、まるで一方的に自分が悪いような気にされるのがさらに気にくわない。
 その証拠に、まぼろしの耳が垂れ下がったような様子のルークの後ろで、元使用人が抜刀寸前でいるのを、懸命に少女たちが押しとどめているのが見える。
 いつでもどこでもこの自分のレプリカに対して親馬鹿っぷりを披露している彼は、なぜかこういう時だけは平素の女性恐怖症が吹き飛ぶらしい。

「……わ、笑うなって急に言われてもどんな顔すればいいんだよ」
「んなこたぁ、自分で考えろ」

 ようやく出会い頭の衝撃がすこしおさまったのか、果敢にも反論してきたルークに、アッシュは切って捨てるようにそう返した。
 自分でも理不尽なことを言っているという自覚は、さすがにある。しかし、へらりと幸せそうに笑いかけられた瞬間、思わず口をついて出てしまったのだ。

「アッシュ、それではルークが気の毒ですわ」

 遠慮がちに、しかしはっきりとした批難をこめてナタリアが一歩前に出てくる。それにアッシュは一瞬ひるんだような様子を見せたが、すぐに思い直したように小さく鼻を鳴らした。

「相変わらず情けねえな、女に庇ってもらうとは」
「アッシュ!」

 きりっ、と形の良い眉をナタリアがつり上げる。他の仲間達も彼女と同じように避難するような目をこちらに向けていたが、アッシュはそれらの視線を綺麗に無視したままルークへと視線を戻した。
 目があった途端、困ったように笑うルークに眉間に皺を寄せると、慌てたように口元を押さえる。そして、今度は途方にくれたような情けない顔で、ルークはアッシュを見かえしてきた。

「その、ご、ごめん……」
「まあルーク、あなたが謝る必要はないですわ」

 どうやら本日のアッシュの発言は、このメンバーの中では彼に好意的なはずのナタリアの勘にも障ったらしい。珍しく睨みつけるような視線でこちらを見てくるナタリアに、アッシュはますます自分の機嫌が降下してゆくのがわかった。

「とにかく、そのへらへらとしまりのない顔をどうにかしろ!」
「し、締まりがないって……」
 ルークは情けなさそうに眉を落とすと、どんな顔をすればいいのか分からないと言った感じの顔になった。

「それは言い過ぎだろう、アッシュ」
 ざっ、とアッシュの視界からルークを隠すようにしてガイが割り込んでくる。色々と吹っ切れたこの男は、目下、何を置いてもルーク最優先で生きていると言っても過言ではない。
「おまえには関係ない」
「いいや、親友としては十分関係あるね。親友が理不尽な言いがかりをつけられているのを見過ごせるほど、俺は薄情じゃないんでね」

 あたりまえのようにルークを親友と言い切ったガイに、アッシュはかすかに胸が軋みをあげたような気がしたが、 気づかないふりをする。
 
「ともかく、俺の前でしまりなく笑うな。不快だ」
 吐き捨てるようにそう言って踵を返そうとしたアッシュの目の前で、いままで少し離れた場所に立って成り行きを見守っていたジェイドがすっと手を挙げた。

「ちょっとよろしいですか?」
「……なんだ」

 本当はすぐにでも踵を返したいところだったが、呼び止めたのがジェイドだったため、アッシュはいやいやながらも足をとめた。

「なぜあなたは、ルークの笑い顔が嫌なんですか?」
「理由なんてねえ、見ていると苛々するだけだ」

 うわー横暴、とアニスが呆れたように呟く声がしたが、アッシュは無視した。

「ですが、笑うなと言うのは極論すぎませんか?これで、もしルークがあなたの顔を見るなりここに皺を寄せていたりなんかしたら、余計に腹が立つんじゃないですか?」

 ここ、と眉間を指でつつきながら、ジェイドはにやりと含みのある笑みを見せた。
 それが何を揶揄してのことか、わからないほど鈍くはない。そして、そういう挑発を無視できないくらいには、アッシュは某親善大使と同位体だった。
 
「あ!それ、絶対に無理だ」

 思い切り怒鳴り散らそうと息を吸い込んだところで、横合いから急にルークの声がした。
 アッシュはタイミングを外された苛立ちもこめてルークの方をふり返ると、低くなんだと呟いた。
 
「だって俺、アッシュの顔見ると反射的に顔が笑ってるみたいなんだよな。だから、アッシュみたいにここに皺刻むなんてぜってーに無理」

 ようやく自分で納得のいく答えが出たのか、ルークは何度も小さく頷きながら、アッシュと目が合うとにへらっと笑みを浮かべた。
 
「こっ…」
「こ?」
「こんのっ、屑があぁぁぁぁっ!!」
 
 先ほどよりもさらにすごい勢いで怒鳴られてきょとんと目を瞠っているあいだに、アッシュはくるりと踵を返すと、凄い勢いで遠ざかっていった。
 それを呆気にとられた顔で見送っていたルークの肩を、無言でガイが軽く叩く。
 
「たぶん、嫌われたわけじゃないと思うぞ」

 なんで自分がフォローしなければならないのだろうと思いながらも、思い切り怒鳴りつけられてさらに混乱しているお子様にはフォローが必要なので、あえて深くは考えない。
 どっちかというと、あいつの方がダメージ高いんじゃないんだろうか、とガイはほんの一ミリほどの同情をアッシュに感じていた。



 もう十分距離をとったと思える場所までくると、アッシュはようやく足をとめた。
 かすかに息が上がっているような気がするのは、ほとんど駆け足のような状態で歩いたせいだろう。いや、そうに違いない。
「あの屑め……」
 いったいなにを突然言い出すのかと思えば、あんな脳天気なことを言い出すとは。
 思わずあまりのことにその場から立ち去ってしまったが、先ほど感じた衝撃はまだ去っていない。
 なんで、あの顔があんなふうに笑うのが気にくわないのか。
 なんで彼が自分にむかって、あんなにも無防備に笑うのが気にくわないのか。
 そうあらためて考えるだけで、自分でも説明のつかない奇妙な感覚が胸のあたりにこみ上げてくる。

「くそっ!」
 
 ゆるく頭を振って舌打ちしても、叫び出したくなるような奇妙な感覚は胸を去らない。やはりあのレプリカと必要以上に接していると、こちらの方がおかしくなりそうだ。
 あらためて自分を苛立たせる存在だと再認識しながらも、アッシュはふとなぜこれほどにあの笑顔が気に入らないのだろうと考えかけて、意味なんかないと心の中で打ち消した。
 自分の中の、本当の思いとともに。



 それにしても、げに恐ろしきは天然の無意識の告白である。
 あなたの顔を見ていたら笑顔にしかなれないなんて、熱烈な告白以外のなにものでもない。
 ただ問題なのは、どちらも同じくらいに自分の思いに鈍感なこと。


 思いの通じ合う日は、まだまだ遠そうだった。


END(07/03/29)



久しぶりの本編時間軸。