微笑む君は




 
 「いつも思うけんだけど、疲れない?」
 突然投げつけられた問いに、ガイは意味がわからないというように小さく首を傾げた。
「だ〜か〜ら!旅先でまでおぼっちゃんの面倒を見ていて疲れない?って訊いてんの」
 小さな背をめいいっぱい伸ばして顔を近づけてきたアニスに、ガイはあからさまな態度で後ずさると、引きつった笑みを浮かべた。
「アニス、もうちょっと離れてくれないか?」
「まったくもう。こ〜んな可愛い女の子に迫られているってのに、罰があたるよ!」
 彼の体質上のことだとわかってはいるが、こうもあからさまに避けられるとやはりあまりいい気はしない。
 そんなアニスの気持ちを敏感に察したのか、ガイはまだかすかに引きつってはいるものの、十分魅力的な笑みでゴメンと謝ってきた。



「で、どうなのよ」
 あらためて問いかけたアニスに、ガイはうーんと小さく唸りながら首を傾げた。
「そんなこと、改めて考えたことはないなあ。もう当たり前になっているって言うか……」
「んなこと、ガイを見ていればわかるよ」
 ときどき自虐的にか、使用人根性がしみついていると軽口をたたくガイだが、それがまんざら嘘ではないことは見ていればわかる。
 だいたい、いまはかなり大人しくなったとはいえ、そうなる前もかいがいしくあのお子様の世話を焼いていた彼はたしかにそうなのだろう。
 もっとも、あまり嫌そうにみえないところがまた問題なのだが。
 彼の主人であるところのルークの世話を焼いているときのガイは、どこか満たされているように見える、とアニスはつね日頃思っている。
「そうじゃなくって、やっぱり疲れたなって思うことはないわけ?」
「うーん」
 そうあらためて訊かれてもなあ、とガイは軽く眉根をよせる。
「もう生活の一部って言うか、当たり前のことだからなあ。どっちかって言うと、何もしないで良いって言われる方が困るな」
「……うわ、絵に描いたような貧乏性だね」
 げっという顔になったアニスに、ガイは困ったような笑みを浮かべる。
「でも、なんでアニスはそんなことが気になるんだ?」
 逆に問いかえされて、アニスはきょとんと目を丸くした。
「なんでって、なんとなくだよ。私だったら耐えられないなあって思うから」
「そうかなあ」
「だってさ、結局のところ今だってなんでガイが買い出しに付き合ってくれているわけ?」
 びしり、とアニスは先ほどよりもちゃんと距離をとって指を突きつけた。
「本日の買い出し当番は、アニスちゃんとルークだったと思うんだけど」
 そう、それがアニスが言いたいことなのだ。
 なんでガイが今ここにいるのかという理由に、納得がいかないのだ。
「だから、俺がちょうど買うものがあったから代わっただけだって」
「それが甘やかしてるって言うんだよ!」
 前もそう言ってお使いをかわったっきりであることを、アニスは知っている。
 誰にでも優しいガイだが、ルークに対してはそれこそ親鳥かなにかのようにメロメロに甘い。いつもは生暖かくそれを眺めているだけなのだが、ときどきそれが癇にさわる。
「そういうつもりはないんだけどな……」
「は〜あ、処置なしだね」
 ふむと腕を軽く組んで首を傾げたガイに、アニスは肩をすくめる。
「……それに、ルークの奴きっと後で熱出すだろうから、無理させられないしな」
「へ?」
 アニスは目を丸くしながらガイを見上げると、間の抜けた声をあげた。
「そんなことまでわかっちゃうわけ〜?」
「まあ、あいつの世話を七年間見てたの俺だしな」
 まんざらでもない様子のガイに、アニスは自分の目が徐々に据わってゆくのを感じずにはいられなかった。
「それを言うなら、アニスだってそうだろ?」
「ふあ?」
「君だってイオンに仕えているわけだし、それならそう言うことってなんとなくわからないか?」
「あ…っ、うん……」
 突然振られた話題に、アニスはどぎまぎしながらなんとか頷いた。
「考えてみると、仲間の中ではアニスと俺だけが特定の誰かを守っている立場にいるんだよな」
「そ、そうだね…」
「そうやって近くにいると、なんとなく相手の動きとか体調とかそういうのってわかるようになってくるよな」
「そう、かな…」
 だんだんと自分の声が小さくなってゆくのが、わかる。
「で、でも。私はまだイオン様の導師守護役になってから日が浅いから。さすがにガイみたいにはいかないかな〜って」
 アニスはきゅっと小さく唇を噛んでから、いつものような明るい口調に戻りながら顔をあげた。
「でも、本当によくわかったよね。全然そんな素振り見せてなかったのに、ルーク」
 むしろ、宿にはいるまで元気にはしゃいでいたような気もする。
「お子様は、熱がでる前は意味もなくはしゃぐだろ」
「なるほどね……」
「買い出しに行かせて途中で具合が悪くなられても困るだろ?アニスだって」
「まあね」
 遠回しに自分にも気を遣った言動をするところが、ガイらしい。しかしこれで本人はまったく他意がないのだから、困ったものだ。
「さ、さっさと買い出しをすませて帰ろうぜ」
「ガイも、ルークのことが心配だろーしね」
「まあな」
 当然のようにそう答えて先に歩きだしたガイの背中を、アニスは一瞬だけ暗い瞳で見つめる。
「……なんにも知らないくせに」
「ん?なんか言ったか?」
 少し先を歩いていたガイが、笑みを浮かべてこちらを振り返る。
「なんでもないよ」
 それにアニスはにぱっと明るい笑みを浮かべると、スキップでもするような足取りでガイの方へ駆けだしていった。



「あ、二人ともお帰りなさい」
 なぜか宿の一階にいたティアは、二人の顔を見てあからさまにほっとしたような顔になった。
「ガイ、ルークがちょっと熱があるみたいなんだけれど」
「あー、思ったよりはやかったか」
 焦ったようにそう告げてきたティアに、ガイはかすかに苦笑を浮かべた。
「知っていたの?」
「知っていたって言うか、そうなるかもなって思ってはいた」
「……さすがね」
 やや呆れたような声をだしながらも、ティアは安心したように笑った。
「大佐もナタリアも出てしまっていて、どうしようかと思っていたの」
「とりあえず俺が様子見るから、あとで水とかだけ運んでもらっていいか?」
「わかったわ」
 ティアはちいさく頷くと、さっそく宿の受付の方へむかった。
「うわ、本当に当たっているし…」
「アニスも一緒に来るか?」
 ガイに促されて、アニスは反射的に頷いていた。
 ガイたちに割り当てられた部屋にはいると、片方のベッドにルークがだるそうな顔をして横になっていた。
「……おかえりー」
「顔が赤いな。けっこう熱が高いのか?」
「わかんね……」
 先ほどとはうって変わってぐったりとした様子のルークに、さすがにアニスも心配そうにのぞき込んだ。
「これ、買ってきておいたからな」
「ん?」
 ぼんやりとした目で二人を見上げているルークに、ガイは紙袋の中から瓶を一本とりだした。
 細身のビンの中身は、綺麗なルビーの色をした液体。
 それが、窓からさし込む光に反射してキラキラと輝いている。
「木イチゴジュース。風邪の時の定番だろ、お前の」
 ああまたそんな、愛しくてたまらないなんていうようなしまりのない顔をしちゃって。
 アニスは内心呆れながら、内心小さくため息をついた。
 しかしそんな思考は、ルークの方に視線をうつした次の瞬間、綺麗に吹き飛んでしまった。
「……サンキュ」
 ついさっきまでぼんやりとした、どこか不安そうな顔をしていたルークが、キラキラとした目でガイの方を見あげて笑っている。
 ただ嬉しいだけ。そんな、心からの素直な笑み。
「後で食事と一緒に持ってきてやるから、大人しく寝てろよ」
「わーってるよ」
 くしゃりと前髪を掻きげてきたガイにルークは小さく唇をとがらせながらも、顎のあたりまで毛布を引きあげた。
 そんなルークに苦笑すると、本当に大人しくしていろよとさらに念を押しながら、ガイはアニスを促して部屋を出て行った。



「なあアニス、さっきの答えだけど」
 ぎしぎしと鳴る階段を下りながら、ふと思い出したようにガイはアニスの方を振り返った。
「へ?」
「さっき、ルークの世話をしていて疲れないかって聞いたよな?」
「あ、うん」
 それがなにか、と目をしばたかせると、ガイはかすかに唇の端をあげた。
「あの顔を見たら、疲れなんて吹っ飛んじまうんだよな。……それが答えじゃダメか?」
 アニスは大きな目を瞠ったまま、ガイの顔を見下ろした。
「いーんじゃないの、別に」
 ガイらしいよね、と付け加えたアニスに、まあなと嬉しそうに青い瞳が細められる。
 その素直に嬉しそうな顔に、アニスは自分の心のずっと奥のどこかが嫌な軋み音をあげるのを聞いたような気がした。



 やっぱり部屋に戻るといって階段をかけあがったアニスは、今日自分に割り当てられた部屋に滑り込むと、扉に背をつけたままぎゅっと固く目を瞑った。
「同じなんかじゃないよ……」
 過去のこだわりを振り切ったガイは、まっすぐルークを見る。
 その笑顔が愛しいのだと、誰にはばかることなく言い切る。
 いつだって守るために側にいて、そして守るべき相手からも信頼を寄せられていて。
「同じなんかじゃない……」
 どうしてこんなに、胸が痛いのだろう。
 あの綺麗な二人の笑みを見てしまったから?
 本当は、そうじゃないんだってわかっている。
 自分もあんなふうに、守るべき相手との関係を築きたかったのだ。
 信頼しあって、寄り添いあって。誰はばかることなく、この人は自分が守るって言いたかったのだ。
「……」
 漏れそうになった言葉を、アニスは唇をかみしめることでこらえた。
 その言葉を、今の自分が言う資格はない。
 それは、誰よりも自分が一番よくわかっている。
 微笑む君を、すべての人から守りたい。
 ただそれだけの願いがこんなにも重いものだったなんて、知らなかったのだ。


 破局の足音は、もうすぐそこまで迫っていた。



END
(07/01/17)



崩落編の終わり頃かな。この頃からアニスは揺れていたと思う。