ふりふり




 
すいっと目の前を通り過ぎた小さな赤い魚に、ルークは驚いたように大きく目を瞠ると、きらきらと瞳を輝かせた。
ガラス張りのショウウィンドウのさらに向こう。綺麗な縁飾りのついたガラスの水槽の中で泳ぐ、魚たち。ルークはぱたぱたとしっぽを振りながら、夢中になってガラス水槽の中をのぞき込んでいた。

「こーら、ルークっ! 勝手に歩き回ったらダメだろう」

と、突然ひょいっと身体を持ち上げられて、ルークはピッと勢いよく耳を立てた。

「が、ガイ……?」
「突然いなくなって、どこに行ったかと思ったぞ。まったく……」

持ち上げられたままおそるおそるルークがふり返ると、そこにはイイ笑顔を浮かべたガイがいた。

「お前が日記を書くインクがなくなったからって言うから来たんだぞ。それなのに会計中にいなくなるなんて、どういうことだ」

メッと顔をしかめた使用人兼護衛にルークはえへっとごまかし笑いをすると、目を輝かせながらガイを見あげた。

「なあなあガイ! あの魚見ろよ」

ルークが指し示したガラスの向こうを見て、ガイはああという顔になる。

「珍しいな、金魚か」
「きんぎょ?」

聞き慣れない名前にきょとんと目を丸くしたルークに、ガイはルークをおろしてやると、今度はちゃんとした笑みを浮かべながらルークの頭を撫でてやった。

「バチカルじゃ珍しいかもな。俺がいたホドではそんなに珍しい魚じゃなかったけど」
「ホドの魚なのか?」

こてん、と小鳥のように首を傾げる仕草が可愛くて、ガイは思わず目を細める。

「まあ、あの近隣では珍しくない魚だな」
「食えるのか?」
「あ〜、まあ食べられないこともないと思うけれど……」

うずうずと身体を動かしていたルークが、期待をこめた目で見あげてくるのにガイは苦笑する。さすが半分は猫だけあって、魚嫌いのくせに興味はそそられるらしい。

「でもこいつは、こうやって眺めるための魚なんだよ。ホドのあたりでは夏の風物詩みたいなもんだな」
「ふーぶつし?」
「夏っぽいものって事だよ」

夏っぽいものと曖昧に言われてもぴんとこなかったのか、ルークはますます混乱したような顔になる。

「で、ルークはこの魚が気になるのか?」
「おう! だってこいつ、ちょっとアッシュみたくね?」

そう言ってルークが指さしたのは、細身だが尻が長くひらひらとした赤い金魚だった。
ルークが指さした金魚は、他の金魚たちよりも際だって赤い金魚だった。しかも他のものよりもずっと泳ぎが早く、すいすいと水の中を自在に泳いでいる姿はどこか誇らしげにも見える。
たしかに、アッシュに似ているといえば似ているかもしれない。ガイは内心笑いをかみ殺しながら、ガラスに張り付いて金魚をみているルークの頭をポンポンと軽く叩いた。

「欲しいのか?」

こくりと頷く小さな頭を見下ろしながら、ガイはうーんと顔をしかめた。そんなガイの顔を、期待をこめた目でルークが上目づかいに見あげてくる。

「ちゃんと、世話できるか?」
「できる!」

勢い込んで尻尾を振るルークに、ガイは仕方がないなという顔になった。

「さぼってアッシュに世話を押しつけるなよ」
「ンなことしねーよ」

心外だといわんばかりに頬をふくらませた小さなご主人様に、ガイはハイハイと笑うと店のドアを開いた。
そしてその数十分後、今にもスキップでもはじめそうなルークの手には、あの赤い金魚が入った小さなビニール袋が握られていたのだった。



「で、てめえはそれを買ってきたわけか」

アッシュは半目でルークとルークの抱えている金魚鉢を交互に見た。

「な、なんだよ! 可愛いだろ?」
「……ガイ、てめえがついていながらなんで買わせた」

必死にぱたぱたと尻尾を振っているルークではなくその後ろで苦笑いしているガイに視線をむけると、アッシュは大人びたため息をひとつつく。

「いや、そろそろルークもなにか飼ってみるのもいいかなと思って」
「ったく、こいつにちゃんと世話が出来るわけねえだろ」

呆れたようにそう言ったアッシュに、さすがにルークがムッとした顔になる。

「なんだよ! できねえなんて勝手に決めつけるなよ」
「飽きっぽいてめえが生き物の世話なんて出来るわけねえだろ。さっさと返してこい」
「やだっ!」

ふうっと尻尾の毛を逆立てたルークを、アッシュは眉間に皺を寄せて睨みつけた。

「自分の世話もまともに出来ねえ奴が、偉そうなこと言うんじゃねえよ」
「まあまあ。アッシュも頭ごなしに怒鳴るなよ」

そのままつかみ合いの喧嘩でも始まりそうな二人に、慌ててガイが口をはさむ。それにアッシュは面白くなさそうにガイを睨みつけたが、涙目で自分を睨みつけてくるルークに仕方なさそうにため息をついた。

「十日間」
「へ?」
「十日間ちゃんと世話できたら認めてやる」

顔をしかめながらそう言ったアッシュに、ルークは最初きょとんと目を瞠っていたが、すぐにぱあっと笑顔に変わると嬉しそうに金魚鉢を抱きしめた。

「よかったな、アッシュ! これで、おまえは俺のものだからな」
「なっ…?」

なんだか怪しいことを喜々として叫んでいるルークに、アッシュは先程までのしかめ面を忘れて、ぽかんとした顔になった。そんなアッシュの顔を見ながら、ガイが困ったように笑っている。

「こいつの名前、アッシュって言うんだ。お前に似てるだろ!」

どうだと胸を張りながら金魚鉢をアッシュの方にさしだしてきたルークに、アッシュはプルプルと小刻みに震えだした。

「こっ……」
「こ?」
「こんっっっっの、屑があっ!」

叫び声とともに金魚鉢を奪おうと飛びかかってくるアッシュの必死な形相に、ルークは慌てて金魚鉢を抱えたまま部屋を飛び出した。
だが最終的には、シュザンヌの部屋に逃げ込んだルークがいち早く金魚のアッシュについて報告してしまったため、この真っ赤な金魚はルークのペットとして二人の部屋に置かれることとなった。



そして。
同じようにアッシュが買ってきた小さな朱色の金魚が、金魚鉢の中で赤い金魚と寄りそうように泳ぐようになるのは、彼が宣言した十日が過ぎてからの出来事であった。




END