閉ざされる空




この下からは、アッシュの目が見えなくなる話があります。
ネタ・シチュエーションがちょっと苦手、また激しく偽物度の高いアッシュも苦手な方はそっとバックしてください。


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「アッシュ、俺に何か隠していることがあるだろ」

硬い声と表情でルークがそう訊ねてきたとき、アッシュはとうとうこの時が来たかと複雑な気持ちになった。
いつかはばれることだとは分かっていたことだが、アッシュが予想していたよりも随分と早い。はたして自分が隠すのが下手だったのか、それともルークのことを甘く見すぎていたのか。たぶんどちらもだろう。
アッシュは目を通していた書類を置くと、机を挟んで上から見下ろしてくるルークの顔を見上げた。

「思ったよりも早かったな…」
「アッシュ!」

思わず笑みを浮かべると、ルークの目が怒ったように軽く吊り上がった。その真剣な表情を眼を細めて見上げながら、アッシュは縁なしの眼鏡を外した。

「それで、おまえは何に気がついたんだ?」
「……アッシュの目、悪くなったんじゃなくて見えなくなりはじめているんだろ。違うか?」
「どうしてそう思う? 単に目が悪くなっただけだとは思わないのか」

眼鏡をかけはじめたのは、すこし前のことだ。ついでに髪も短く切って、今では肩につくかつかないかくらいの長さしかない。
ルークとは髪質が違ったのか、短くしてもアッシュの髪は跳ねずにまっすぐ伸びている。おかげで髪を切ってもルークに間違えられることはない。長い髪を惜しむ声もあったが、似合っていると概ね好評だ。
だがその本当の意味に気が付いているものは、いったいどれくらいいるだろうか。

「このあいだ街中で階段を踏み外しそうになった時、ちょっと立ちくらみがしたって言っただろ。でも本当は、一瞬見えなくなっていたんじゃないのか?」
「気の回しすぎだ」
「じゃあ、あれほど好きだった書庫にこもらなくなったのはどうしてだよ」
「最近は執務の方が忙しくなってきたからな。足を運ぶ機会がないだけだ」
「外から建物の中にはいるとき、かならず足をとめるようになったのも最近だろ?」
「まだ眼鏡になれないだけだ」
「嘘だ」

アッシュと同じ色をした翠の瞳が、射抜くような強さで見つめてくる。その視線の強さに、思わず笑みが浮かぶ。だがその笑みをどう解釈したのか、怒ったようにアッシュを睨みつけていたその顔が突然歪む。

「……なんで嘘つくんだよ。俺、そんなに頼りないか」
「ルーク…」

悔しそうに唇を噛んでうつむいた顔に、疼くように胸が痛む。
いったいいつから気が付いていたのだろうか。この様子ではここ数日ではないだろう。隠し事が下手なルークにしては、よく隠しおおせたものだ。

「……よく、気が付いたな」

降参とばかりにそうため息とともに吐き出せば、ルークはハッとしたように顔をあげてアッシュを見ると、ますます表情を歪めた。

「おまえの言うとおり、俺の目は悪くなったんじゃねえ。視力そのものが衰えはじめている」
「なんで…っ!」
「さあな。だが、すでに右目はもうほとんど見えない。左も同じように見えなくなるのは、たぶん時間の問題だろう」
「医者…、医者には?」
「見てもらった。眼鏡にもだ。だが原因はわからないそうだ」

ルークは何かを言いかけてから、複雑な顔で小さく唇を噛んだ。自分が絶対的な信頼を置いているジェイドにまで原因がわからないといわれという事実が、彼の言葉を封じたのだろう。

「なんで? どうしてアッシュが?」
「わからねえ。だがもう右目が使い物にならなくなった以上、秘密にしておくわけにもいかなくなったからな。父上には、先日報告した」
「……どうして教えてくれなかったんだよ!」
「明日には教えるつもりだった。昨日叔父上に内密に願い出てきたからな。王位継承権の放棄を。週明けには正式に発表になるはずだ」

さらなる驚愕に目を瞠ったルークに、アッシュは苦い笑みを浮かべた。
父親も叔父も、事実を告げたときには今のルークと同じような顔をした。だが事実は事実。ごまかしもきかなければ治る見込みもないものを、いつまでも引きずっているわけにはいかない。

「放棄って、どうして…」
「盲目では出来ることが限られる。それに、もともと王位継承権はもってはいるが、俺はナタリアがいる限り王になるつもりなんてなかった。それは、おまえも同じだろう?」

それでも二人が王位継承権を返上しなかったのは、他の貴族達への牽制のためだった。いまだにナタリア排斥を囁く純血主義の連中の口を封じるには、上位の継承権を彼女の味方で占めておく必要があったからだ。
もっとも、今ではナタリアが立太子することが正式に決まったので、それも必要なくなりつつある。
だからアッシュが継承権を放棄しても大きな問題はないのだが、ことがそれだけではないことはルークにもわかっているのだろう。アッシュを睨みつけていた瞳が、大きく見開かれる。

「アッシュ……まさか」
「俺はこの家を出る。ファブレ家はおまえが継げ」
「アッシュ!」

ルークの手が、きつくアッシュの腕を掴む。そのまままるでキスでもするように顔が近づけられ、強く睨みつけられる。その強い視線を受けながら、アッシュはかすかに唇の端をあげた。

「なんで! どうしてそんなこと急に言うんだよっ!」
「なにもおかしいことはないだろう。盲目では、公爵家の当主を務めるのに色々不都合がある。それならおまえの方が当主になるのにふさわしいだろう」
「でも俺は!」
「おまえなら十分当主として立てる。だが、それには俺の存在が邪魔になる。だからこの家を出る。わかるな?」
「わかんねえよ!」

ルークは叫ぶようにそう言うと、アッシュの腕を掴む手に力を込める。
睨みつけてくる瞳が、うっすらと幕を張ったように潤む。それでもなんとか泣くのを堪えようと瞳に力を込めるルークに、アッシュは聞き分けの悪い子供を相手にするときのような顔を向けた。

「ルーク」
「なんでアッシュが出て行くんだよ。ここはアッシュの居場所だろ?」
「ルーク、聞き分けろ」
「いやだっ!」

癇癪を起こした子供のように叫んで自分を揺さぶってくるルークの手に手を重ねると、アッシュはそっと宥めるように撫でた。

「ガキじゃねえんだから、駄々をこねるな」
「聞けないようなことを言うアッシュが悪い!」

そのまま強く抱きついてくる体を抱きしめ返してやれば、耳元にやってきた唇から漏れる熱い息が耳を擽る。たぶん、泣くのを必死に堪えているのだろう。

「なあ、俺を使えよ……」

しばらくして、必死に何かを堪えるように震える声でルークが囁いた。

「俺を、俺の目を使えよ。俺がアッシュの目になるから…っ!」
「ルーク?」
「回線を繋げば、今でも俺の目を使えるんだろ? だったらアッシュは俺を使えばいい」
「ルーク」
「ずっと、ずっと一生側にいるから! だから俺の目を使えよ」
「ルークっ!」

厳しい声に名を呼ばれてびくりと震えながらも、ルークはアッシュに抱きつく腕を緩めずに肩にそっと顔を埋めた。

「……もう、離れるのはイヤだ」

弱々しく今にも消えてしまいそうな、呟き。
だがそこに込められた想いは、痛いほどに強い。
置き去りにされた子供が、もう二度と置いて行かれまいと必死に相手をつなぎ止めようとなりふり構わず追いかけてくる必死さにも、それは似ている。

「ずっとずっと側にいる。俺がアッシュの目になるから。だから、どこにも行くな…っ!」

抱きついてくる腕に、力がこめられる。小さく震えはじめた体から、微かに熱の匂いがする。顔が押し当てられた肩がじわりと熱くなったのに、アッシュはついに堪えきれなくなったルークが泣き出したことを知る。
そっと宥めるように髪を撫でてやれば、逆に堰を切ったように小さなしゃくり声が上がりはじめる。アッシュはそのままルークの髪を撫でながら、そっと唇の端をあげた。


自分を想う純粋なルークの気持ちが嬉しいと同時に、ふと暗い想いがアッシュの心の中をよぎる。
これでこの先ずっとルークは自分の傍らに居続ける。
籠に入れなくても、鎖に繋がなくても、かならず自分のもとに帰ってくる。
いつかあの大空のどこかに飛び立って、二度と戻ってこなくなるのではないかという不安は、これでなくなる。
そんなことを思う自分は、いまとても醜い顔をしているに違いない。だけどきっと自分は、ルークのさしだした手を拒まない。
それが、彼を自分という枷に捕らえる行為だとわかっていても。


アッシュはルークを抱きしめる腕に力を込めると、そっとその首筋に唇を寄せた。
ようやく自分の腕に捕らえた小鳥に、最初の印を刻み込むそのために。



END(08/07/11)(初出06/07)



日記にいた、アッシュ盲目ネタ。