うたたね




「あ…」

部屋に入るなり目に飛びこんできた珍しい光景に、ルークは思わず目を瞠った。
アッシュが先に戻っていると聞いたので慌てて部屋までやってきたのだが、どうやらそのかいはあったようだ。ルークは開いたときとはうって変わって慎重な手つきでそっと扉を閉めると、そろそろと足音を忍ばせながらソファへと近づいていった。
三人掛けの大きなソファの上には、足を片足だけ下ろした姿でアッシュが横になっていた。外出から戻って、そのまま倒れこむように横になったのだろうか。上着は脱ぎっぱなしで床の上に落ちていて、いつもはきちんと留めてあるシャツの襟もくつろげてある。わりに几帳面なところのある彼にしては、珍しい。
いつも脱ぎっぱなしで散らかしているのを怒られているルークは、少し考えてから上着を拾うと、もう一つある一人がけのソファの背にかけた。
そうやって近くで動いてもまったく反応しないところを見ると、本当に深く眠っているのだろう。用心深いアッシュにしては珍しいことだ。
そろそろと近づいて顔を覗きこむと、気のせいではなくどことなく疲れているように見える。無理もない。まだ勉強中ということでほとんどの公務を免除されているルークと違い、アッシュは王族としてまた救国の英雄の一人として公務に引っ張り出されている。

「やっぱり、大変なんだろうな……」

様々な理由から学ぶことを放棄していた自分と違い、アッシュがダアトに行ってからも自力で色々と学んでいたらしいことは知っている。積み重ねた年月が違うとアッシュからも言われているが、それでもやはり昔の自分をふり返ると殴りたくなってしまう。
もう少し色々と学んでいれば、少しだけでもアッシュの助けになれるかもしれないのにと思うと、歯がゆい。
さっさと追いつけとからかい混じりに言われることもあるが、本当は自分がもっとゆっくりと学べるようにとアッシュが心を砕いてくれていることも知っている。
もちろん素直ではない彼はそんなことは一言も言わないし、たまに勉強を見てくれるときも叱責と嫌味ばかりで、反抗すれば容赦なく拳骨をはられる。
それでも、大切に守られているのだということは、ルークもきちんと理解していた。



そっと手を伸ばして、髪に触れてみる。
するすると手触りの良いそれは、ルークのお気に入りだ。
髪を触ったら、今度は肌に触れてみたくなる。
眠っているのを邪魔してはいけないとわかっているのに、無防備に眠っているアッシュを見ていると、つい触りたくなってしまう。
どちからといえばいつも自分が触られている方なので、こうやって一方的に自分から接触するのが珍しいこともある。もちろんルークの方からじゃれついて抱きついたりすることは多いが、こうやって静かに触ることはあまりないのだ。
あと少しだけ、すこしだけ触ったら出て行くから。
そうやって自分に言い訳をしながら、そろそろと頬に手を伸ばす。
触れた頬は少し冷たくて、するりとした陶器のようになめらかな感触を掌に伝えてくる。一度触ってしまったら気持ちよくて、離しがたくなってしまう。だがルークはぷるぷると何度か頭を横に振ると、思い切って手を離そうとした。

「……っ!」

引っ込めようとした手を逆に掴まれて、ルークはぎょっと目を瞠った。なにが起こったのか理解するよりもはやく体が引っ張られ、アッシュの上に倒れこむようにして抱き込まれた。

「…おまっ! 起きてたのかよっ!」
「あれだけ派手にドアを開けられて、本気で俺が起きないとでも思ったのか?」

その一言に、ルークはうっと言葉に詰まった。
アッシュが帰ってきていると聞いて、浮かれて思いきりドアを開いたのはたしかだ。だけどあれだけ音を立ててあけたのに起きなかったから、てっきり熟睡しているのだと思っていたのに、タヌキ寝入りだったとは。

「良い性格してんな、おまえ」
「てめえが抜けてるんだろ」

アッシュはからかうような口調になると、ニヤリと質の悪い笑みを浮かべた。その笑みが気に障ったので掌で顔を叩こうとしたが、簡単に手を取られてしまう。

「いいから、ちょっと大人しくしていろ」

そう言うなり、アッシュはルークの体を自分の腕の中に抱きこんだ。そして胸のあたりにあるルークの髪に軽く顔を埋めると、ぎゅっとまるで抱き枕のように抱きしめた。

「アッシュ?」
「補充させろ」
「は? なにを?」
「色々だ」

一方的にそういいきると、アッシュはますますルークを拘束する腕に力をこめた。どうやら譲る気はないらしいと悟ると、ルークはさっさと諦めて体の力を抜いた。
胸の上に頭をのせるようにして横になっているこの体勢は、実はなにげに気持ちが良い。アッシュのぬくもりも匂いも一緒に感じられるし、こうやっているとなんだか足りなかったものが満たされていく気がするのだ。
無意識のうちに、うっとりと子犬が飼い主に抱き上げられて満足しているような顔になっているルークに、それを見下ろすアッシュの目もやわらかく楽しげな物になる。
こうやって抱きしめているだけで、足りなくなっていた物が満たされてゆくような気がする。
アッシュの方こそこうやってルークに甘えているのだなんて、このお子様は想像してみたこともないだろう。


見えない耳や尻尾がはたはたと盛大に振られているように見える自分の半身を抱きしめながら、アッシュは久しぶりに満たされる自分にミルクを飲んだ後のネコのように満足な笑みを浮かべたのだった。



END(08/08/26)



拍手に夏の間いたベタ甘。