日記小話1



 ソファに転がりながら、今日何度目になるかわからないため息をついたルークに、向かい側に座って書類を見ていたアッシュはかすかに眉をしかめた。
「なんだ?」
「んー?」
「さっきからため息ばかりついてるぞ」
「あ〜うん。……なんでもねえ」
 そう答えながらも、クッションを抱えこみながらソファの上で落ち着きなく動き回るルークに、アッシュは諦めて書類から目を上げた。
「鬱陶しい。なんだ?」
「だから、なんでもねえって」
「目の前であれだけ唸られて、気にならねえわけねえだろう」
「唸ってなんかねーよ」
 ルークはクッションを抱えたまま起き上がると、ぽすりとソファに深く腰掛け直した。
「なんでもねえなら大人しくしていろ。気が散る。そうでなけりゃ本でも読むか、ガイに剣の相手でもしてもらえ」
「そーいう気分じゃねえんだよな」
 ここにはいてーし、とぼそぼそとルークがつぶやく。それを受けて、アッシュも不機嫌そうな表情をつくりながらもまんざらでもない。
「だったらもう少し静かにしていろ」
「んー」
 ぼうっとしたまま気のない返事を返すルークに、アッシュの眉間の皺が深くなる。
「てめえ、いいかげんにしろっ!」
「んだよ、いきなり怒鳴んな!」
「言いたいことがあるならはっきり言いやがれ!」
 ぎっと睨みつけてきた半身にひるみながら、ルーク決まり悪げな顔で口を開いた。
「……さみしーんだよな」
「はあ?」
「だから、口寂しいんだって」
 もごもごと口の中で誤魔化すように呟き、ルークは上目づかいにアッシュを見上げた。
「なんか菓子でも食いたいなと思うんだけど、アッシュのそれが終わってからでもいいかなと思って。でも、やっぱりなんか物足りねーんだよな」
 自分を見つめるアッシュの目がだんだんと冷たくなってゆくのを感じながら、だから言いたくなかったのにとルークは心の中で小さくため息を漏らした。
 どうせ、ガキかおまえはとかそんなふうに怒られるのだろうと覚悟を決めていたルークは、いつまで経っても相手がなんのリアクションも返してこないことにふと疑問を覚えた。
 もしかしたら怒鳴ることも馬鹿馬鹿しいと呆れられたのだろうか、という不安が首をもたげる。
 どうしよう。
 落とした視線をあげるのもためらわれて、まともに顔をあげることも出来ない。
 抱え込んだクッションの房をただ無意味にじっと見つめていると、不意に顎に手がかかり強引に上向かされた。
「え……?」
 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
 視界いっぱいにひろがった、緑の色彩。
 不覚にもその綺麗な色に見とれそうになったところで、ルークはなにか柔らかな物が自分の唇に触れていったことに気がついた。
「うええっ!」
 思わず口に手を当てて目を見開いたルークの目の前で、アッシュはまるでミルクを舐めた後の猫のように満足げな顔で、ぺろりと自分の唇を舐めた。
「あああ、アッシュっ?!」
「なんだ?うるせえな」
「うるせ……って、いまっ!」
「今更ガキみてえに騒ぐんじゃねえよ。キスぐらいで」
 たしかにそれ以上のこともしているのだから、あえて今更騒ぐようなことではないのかもしれないが、それでもあまりに唐突なキスの意味がわからないからつい動揺してしまう。
「ななな、なんで?」
「口寂しいって言ったのは、てめえだろうが」
 にやりと意地の悪い笑みが、形の良い唇に刻まれる。
「屑にしては、上手い誘い文句だったな」
「ンなんじゃねえっ!」
 ようやく我に返ったルークは、がばりとソファから立ち上がりながら叫んだ。
「アッシュの馬鹿!色ボケっ!無神経っ!」
 もう知らねえ、とクッションを投げつけるようにして部屋を飛び出していったルークの騒がしい足音を聞きながら、アッシュは片手で受け止めたクッションをついさっきまでルークが座っていた場所へ放った。
「……無神経はどっちだ」
 ぽつりとこぼれた、本音。
 こっちは真面目に書類を読んでいるというのに、目の前であれだけかまって欲しげなオーラを出されて無視などできるはずがない。
「あとで、もう一度躾け直す必要があるな」
 そう言って笑った顔は、じつに良い笑顔だった。



END(07/05/24)

口寂しい話。