ある朝突然に




いったい何が起こっているのか、すぐにはわからなかった。


目が覚めたら、隣で眠っていたはずのルークがいなかった。
アッシュはしばらく無言で自分のとなりを見つめてから、少し体を伸ばしてベッドの下へ目を向けた。
ルークはかなり寝相が悪い。
今までにも一緒に寝ていて目が覚めたらベッドの下に落ちていて、それでもなお平和にぐーすか寝ていたことが何度もある。
しかしなぜか今日はベッドの下にもルークの姿はない。
まさか自分よりも先に起きたのだろうか、と一番可能性の低いことを考えてみる。だが、もしそうなら得意げにそのあたりで自分の寝顔を見ているはずだ。そういうところはとことん子供っぽいのは、イヤというほどよく知っている。

「……ったく、どこに行きやがった」

小さく舌打ちしながらベッドから降りようとしたアッシュは、ふと視界の隅になにか見慣れた色彩を見たような気がしてそのまま動きを止めた。
ふわふわとした赤くて丸い毛玉のようなモノが、ベッドの上に転がっている。
その色はあまりにもよく知っているひなげしの花の色で、まさかと思いつつその赤い毛玉をつまみ上げたアッシュは、そのまま固まることとなった。
アッシュにつまみ上げられても目を覚まさなかったその毛玉……もといルークは、なぜか掌サイズに縮んでいた。

「おい屑ッ! 起きやがれっ!!」

あまりに突然のことに一瞬固まっていたアッシュは、次の瞬間すぐに我に返ると、つまみ上げていたルークをぶんぶんと思いきり揺さぶった。

「……ふえっ、うおあああぁっ! じ、地震ッ?」
「寝ぼけんなっ!」
「って、なにすんだよアッシュ!」

きーんと思いきり頭に響いた怒声に怒鳴りかえしてから、うにうにと目を擦って開いたルークは、目の前にあったアッシュの顔にぎょっとして目を見開いた。

「あ、アッシュが巨人になったっ!」
「バカッ! てめえが縮んだんだっ!」

思わず拳を握りかけてすぐに相手の今のサイズを思い出したアッシュは、殴れない分の鬱憤もあわせてさらに声を張り上げた。なにしろ一発殴れば即昇天しそうなくらいに、いまのルークはちいさかった。

「へっ…? って、えええええぇっ! マジかよっ!」

ようやく頭が動きだしたのか目を丸くして叫んだルークの頭の上で、ぴこりと何か小さなものが揺れる。それに気付いたアッシュは、まじまじと縮んだルークに顔をよせると、さらに頭が痛くなるのを感じて深々とため息を一つついた。

「な、なんだよ……っ」
「言うよりも見た方が早い」

そういうが早いか、アッシュはルークをつまみ上げたままベッドを降りると、小さな鏡の前にルークを置いた。
鏡の中に映った自分の姿と、その後ろで気むずかしそうにしかめられているアッシュの顔との対比にぎょっとする。しかし、驚きはそれだけではなかった。鏡の中に映った自分の頭に、なんだか丸くて小さなものがくっついていることに気がつき、ルークはまじまじと鏡の中の自分を見つめた。

「なっ! なんだこりゃ〜っっ!!!」

ルークの叫びにあわせて、その小さなものがぴこぴこと動く。それは間違いなく、ふかふかの毛が生えた動物の耳だった。



***



「ハムスターの耳ですねえ」

一通りルークの体を調べ終えたジェイドは、ぐったりと疲れ切ったようすで机の上にへたり込んでいるルークの耳を引っ張って、にこりと楽しげに笑った。

「いやあ、あなた方には毎回予想を裏切られますが、まさかハムスターになるなんて想像したこともありませんでしたよ」
「……ジェイド、おまえ絶対に楽しんでいるだろ!」

耳を引っ張っている指を噛みつくぞとばかりに睨みつけてから、ルークは小さな手でばしばしとジェイドの指を叩いた。

「いえいえ、これでもちゃんと心配していますよ。もっとも、そこにいるあなたのお兄さんには敵いませんが」
「誰が兄だ」

すかさず不機嫌な声で答えたアッシュに、ジェイドはおやというようにわざと目を見開いた。

「たしかルークのことは、あなたの弟として正式に貴族院に届け出ると聞いていましたが?」
「まだ手続き中だ」

だったらなんの問題もないではないかと思いつつ、そっとルークの方を見やればなにやらショックを受けたような顔をしている。耳もその顔に合わせて小さくぴるぴると震えている。
そんなルークの様子を見て、アッシュはうっと言葉に詰まったような顔になったが、すぐに視線を反らした。そんなアッシュの反応にさらに悲壮な顔になったルークに、ジェイドは苦笑しながらそっとその頭を指先で撫でてやった。
どうせアッシュに嫌われたとでも思って落ち込んでいるのだろうが、たまたまバチカルを訪れていたジェイドのもとに、朝から殴り込みでもかけてきたのかとでも思うような勢いでルークを抱えてやってきたのは、アッシュだ。
あまりに勢いよく運ばれてきたせいか、目を回していたルークを目の前に差しだされたときはさすがにジェイドも驚いたが、嫌っているのならそもそも自分が気にくわないと思っているはずのジェイドの元にルークを運んでくるわけがない。

「それで、どうなんだ?」
「そうですね。すぐには詳しいことはわかりかねますが…、ああ、少々血をいただいてもいいですか?」
「えっ?」

ずざっ、と音を立ててルークが後ずさる。
別の理由でまたぴるぴると震えはじめたルークに、ジェイドが悪役のような不穏な笑みを浮かべながら手を伸ばしてくる。
しかしその手がルークに届く前に、ルークは別の手によってつまみ上げられると、大事そうに両手で包まれた。はえっ、と疑問に思いながらそっと指の間から顔を覗かせると、焦った顔でジェイドを睨みつけるアッシュの顔が見えた。

「てめえっ、こいつを殺す気かっ! こんなちっこいのに、血を抜いたら死ぬだろうがっ!」」
「イヤですね、そんなヘマはしませんよ」

実験ネズミの扱いにはなれているんですから、とかなり失礼なことを笑顔でジェイドが答える。

「ほらほら、いくら可愛いからってそんな大事そうに抱えなくてもいいですから。それに、調べないとこうなった原因もわかりませんよ」
「かわっ…!」

ジェイドの言葉に絶句したアッシュは、じっと手の中から自分を見上げているルークに気がついて、慌ててぺいっと放り出した。空中に放り出されたルークはそのままジェイドの手の中におさまると、きょとんと目を丸くした。

「俺は出ている」

そしてアッシュはそのまま席をたつと、赤い顔をしたまま隣の部屋に逃げていってしまった。後に残されたルークはぽかんとその後ろ姿を見送っていたが、ついっとジェイドに突かれてジェイドの方をふり返った。

「さて、ではよろしいですか? ルーク」
「ふえぁっ!」

奇妙な声をあげて逃げようとしたルークをジェイドは軽く片手で掴むと、笑顔で注射器を取り上げた。


その次の瞬間、悲痛な声をあげたルークに結局扉の向こうで聞き耳を立てていたアッシュが慌てて部屋の中に飛び込んでいったのは言うまでもない。



END(08/04/27)



日記よりハムるく1の再録。