ハムるくとボール




「……いい加減にしろ」

アッシュは苛立ちを押さえきれない声でそう呟くと、テーブルの隅っこでこちらに背をむけているルークの背中をつついた。
しかしルークはなんの反応も見せない。その態度に思わず拳を握りしめそうになるが、なんとかいまのルークの状態を思い出してその衝動を抑えこむ。叩いてもバカは治らない。だいたいいまのサイズのルークを自分が力任せに叩けば、こいつは間違いなく天国の門をくぐる。
そんなことをぐるぐると考えながらアッシュはルークに手を伸ばすと、ひょいとつまみ上げてこちらを向かせて自分の目の前に置いた。

「いつまでもじめじめしてんじゃねえよ、空気が悪くなる」
「うるせえ。テメーにこの繊細な俺さまのしんきょーがわかってたまるか」

微かに涙声になっているのに気付いて、アッシュは小さくため息をつく。
まあ無理もないだろう。あんな事をされた後ではさすがにいじけたくなるのもわかる。だが小さな背中が丸まっているのを見ると、鬱陶しいと同時になんだか心がざわざわするのだ。

「てめえのどこが繊細だ…。それとちゃんとした単語をしゃべれ。このヒヨコ頭」

同時にアッシュの指がルークの頭をたたく。その衝撃に頭を押さえたルークは、ますます小さく縮こまると鼻声混じりに小さく呟いた。

「……もう、お婿に行けない」
「てめえは大げさなんだよ」
「ンだと! だったらてめえもこの年でお尻に注射されてみろ!」

うがっ、と途端に弾かれたように顔をあげてアッシュを仰ぎ見たルークは、彼を睨みつけるよりも先にころりと後ろに転がった。

「……」

さすがにアッシュもなんと言ってよいのか判断にこまり、とりあえずは後ろに転がったルークをつまみあげるとふたたび自分の目の前に座らせる。ぺたんと腰を落としてテーブルの上に座り込んだルークは、ふたたび小さいくせに深いため息をつくと、背中を丸めた。

「……しかも、なんだって3等身なんだよっ!」
「サイズが縮んだからだろう」
「冷静に答えてんじゃねえよ! 小さくなるにしても、なんでそのまんまで小さくなんねえんだよっ!」

今度はじたばたと暴れながら叫びはじめたルークに、アッシュは顔をしかめる。テーブルの隅で丸くなっていじけていたのも鬱陶しかったが、暴れられるとさらに鬱陶しい。だが3等身になったルークの手足は子供用の人形のあの単純な造りによく似ていて、鬱陶しいながらもどこか可笑しさを感じさせるのでなんとも複雑な気持ちになる。

「これのせいだろう、たぶん」

あまりに騒がしいので丸い耳をつまんでやれば、いじるなと小さな手が指を叩いてくる。それが面白くてついしばらく色々なところを突いていると、妙な殺気を感じたのでひょいと指を引いた。

「うがっ!」

妙な叫び声と共に、ルークの頭が素早く動いた。噛みつくつもりだったのか、と胡乱な目で見下ろすと、悔しそうに睨みつけてくるビーズ玉のような瞳と目があった。

「……叩きつぶしてやろうか?」
「やれるなら、やってみろ!」

ていっと小さな足で蹴るマネをするルークに、さらにため息が漏れる。本当にどこまでもアホだ、と。小さくなってさらに脳の容量も減ったのだろうか、などとかなり失礼なことを考えながら、アッシュは自分を睨みつけてくるルークの頭を軽く叩いた。

「バカかてめえは。いま俺が思いきり叩いたら、てめえは即あの世行きだ。ヤケになってるんじゃねえよ」
「だって……」

小さな呟きと共に、ぺたりと小さな丸い耳が寝る。

「とにかく、何が起こったかわかるまでどうしようもねえ。あの野郎が結果がわかるのは明日だって言っていたしな」
「うん……。アッシュ、ごめんな。俺のせいで屋敷に帰れなくて」
「いまのてめえを連れて帰ったら大騒ぎになるのがわかっている。それに、おまえは一人にしておくとなにやらかすかわからねえからな」
「ひでえ…」
「なんだったら、今すぐこの宿の猫の前に放り出してやろうか」
「え、遠慮します!」

アッシュはぶんぶんと大きく首を横に振るルークに苦笑しながら、頭を小さくつついた。

「だったら大人しくこれで遊んでいろ」
「ッて、スーパーボールかよ!」
「いまのおまえのサイズならちょうどいいだろう」
「おまえ、実は楽しんでいるだろう」

じとっと自分を見上げてくるルークに鼻先で笑うと、小さなキックがくり出される。しかしサイズがサイズなだけに痛くも痒くもない。
これ以上相手をするのも面倒なのでテーブルの上にルークを戻し、ついでにボールも転がしておく。そうしておいてアッシュは、屋敷への伝言を頼んだ宿のものに持ってきてもらった本を広げた。
はじめのうちは拗ねた視線が自分に向けられているのを感じたが、やがて小さなボールで遊びはじめたルークのことを視界の隅でとらえながらも素知らぬふりをしていていやる。
だが、はね回るボールを追いかけるルークが視界の隅でちょろちょろ動くので、どうしてもそちらが気になってしまう。

「うわっ!」

思いきりテーブルにたたき付けすぎたのか、びょんと勢いよく跳ねたボールに当たりそうになって、慌ててルークがしゃがみ込む。それを庇うように咄嗟に手をのばしかけてハッと気が付いたように手をひっこめると、アッシュは跳ねてテーブルの上から落ちたスーパーボールを拾ってやった。

「サンキュ」

ちまい手がきゅっとボールを受け取るのにうっかり可愛いと相好を崩しかけて、アッシュは慌てて表情を引き締めた。
しかし当のルークは、そんなアッシュの葛藤には全く気が付いていない。

「アターック!」

テーブルにたたき付けたボールが、みょんと跳ねるのをぎりぎりで受け止めながら、ルークはすでに新しい遊びを編み出したのかすっかり夢中になっている。ちまちまと動くルークの小さな耳は嬉しそうにぴこぴこと動いていて、呑気なもんだとアッシュは呆れた目を向けた。
だが、いつまでもルークをみて和んでいるわけにもいかない。アッシュは頭を切り換えるべく書類に集中しはじめた。



やがて本当にルークのことを忘れて本に没頭しはじめた頃、アッシュはふとテーブルの上に置いていた左手になにか温かいものが乗っかったのを感じて、そちらに視線を向けるとそのまま固まった。
いつの間にか、アッシュの左手を枕にするようにしてルークが丸くなってテーブルの上で寝ている。それも、こちらが脱力しそうになるほど平和な顔で。
アッシュはしばらくのあいだその様子をじっと観察していたが、やがて小さくため息をつくと、ルークをつまみ上げて上着の胸ポケットの中にいれた。
最初はもぞもぞと寝返りを打つようにポケットの中で動いていたルークだったが、ふいに寝たままにへらと笑うとくうくうと安らかな寝息を立てはじめた。

「……ったく」

呆れ混じりのため息をつきながらもアッシュはその姿に小さく笑みを浮かべると、ふたたび目を本の上に戻した。
心臓の上に感じる小さなぬくもりが与えてくれる平和は、寝ぼけたルークが思いきりアッシュの胸を蹴るまでの短い時間だけだったが、たしかにアッシュの心を温めてくれた。





END(08/05/08)(初出08/03/15)



日記よりハムるく2の再録。ちょっとだけ書き足しました。