究極の魔法




ぱらりと書類の束を捲ると、ジェイドはさてと前置きしてから、テーブルの上にちょこんと正座し緊張した面持ちで自分を見上げているルークを見下ろした。

「結論から言います。異常は認められませんでした」
「……は?」

一瞬、言われたことが理解できないという顔になったルークは、思わず間の抜けた返事を返した。

「ですから、ルークにはデータ上の異常は認められませんでした。血中音素濃度も体組織を構成する音素数値もすべてオールグリーン。ついでに音素振動数にも全く変化はありません。つまりアッシュと完全同位体。まったくルークそのままの数値が出ました。いやあ、こんなことあるんですねえ〜」

とても興味深いことです、と晴れ晴れとした顔で言い切ったジェイドは、次の瞬間自分に向けて放たれた一撃を、なんなくかわした。

「ふざけんなっっっっ! こいつのどこが異常なしだっていうんだっ!」

ルークのさらに後ろ、テーブルを挟んでジェイドと対峙していたアッシュは、ぽかんと口を開けてジェイドを見上げているルークをびしりと指さした。
サイズは手のひらサイズ。しかもハムスターの耳と尻尾つき。
そこには、どこからどうみても異常ありまくりのハムスター化したルークが、ちんまりと座っていた。



「現実逃避したいのはわかりますが、データは嘘をつきません」
「それはテメエの方だろうが! くだらねえ冗談は休み休み言え!」
「嫌ですねえ、私はいつでも真面目ですよ」

ジェイドは小さく肩をすくめると、やれやれといった顔でアッシュを見た。
「とにかく、ルークの体はデータ上では正常そのものなんですよ。あなたとも完全同位体ですし、たぶん超振動も使えます」

ハムスターの超振動。それはいったいどんな代物だ。アッシュとルーク双方の脳裏に同時に横切った疑問はそれだった。アッシュはちんまりとテーブルに座っているルークの後ろ頭をしばらく見つめていたが、ふと目を眇めると指でルークの頭を弾いた。

「痛っ!」
「……試すな」

なにすんだ、とぴこんと耳を立ててふり返ったルークに、アッシュは胡乱な目を向けた。途端にしまったと大きく顔に書いたルークに、やはりなと心の中でため息を一つつく。
絶対に試すと思ったのだ。いや、アッシュだってちょっとばかり興味はある。だが目の前で喜々として目を輝かせているマッドサイエンティストを見てしまったら、止めないわけにはいかないだろう。
小さく縮んだとはいえ、ルークは大切な半身であり一応思いを寄せている相手だ。実験モルモットにされるのを黙って見ているわけにもいかない。

「おや、試さないのですか?」
「当たり前だ」
「それは残念」

軽い口調ながら、ジェイドの目は笑っていない。それにようやく自分の身に迫りつつある危険に気が付いたのか、慌ててルークがアッシュの方へ逃げてくる。それを手のひらですくい上げて肩にのせると、アッシュはぎろりとジェイドを睨め付けた。

「それで、元に戻る方法はわかったのか?」
「残念ながら」
「役立たずが……」

ちっと舌打ちしたアッシュに、ジェイドが笑う。

「ですがルークがルークであることは間違いないですから、そのうちひょっこり元に戻るかもしれませんよ」
「いつだ」
「さあ」

ジェイドはしれっとした顔で答えると、おまけに小首まで傾げてみせた。それに、怒鳴りつけたやりたい衝動がこみ上げてくるのをかろうじて呑みこむと、アッシュはむっつりとしたまま立ち上がった。

「そうそう、ひとつだけ提案が」
「……なんだ」

どうせろくな事じゃないだろうと思いながらも、とりあえず聞く姿勢は見せる。なにしろ冗談に紛らわせて重要なことを言ってきたりするから、油断ならないのだ。

「古今東西、呪いをとくのにはとっておきの魔法があるでしょう」

にやりと質の悪い笑みが、秀麗な顔に浮かぶ。
その次に発せられたその方法とやらに、アッシュは本気の一撃を喰らわせてから足音も荒く部屋を出て行ったのだった。


***


結局、その後二人は話し合いのすえ屋敷に戻ることにした。
病弱な母親を驚かすのは少々気が引けたが、曖昧な理由で屋敷から遠ざかっている方が余計な心配をかけることになるだろう。それに、いつルークが元に戻るのか分からないままでは、いつまでも黙っているわけにもいかない。
またもやシュザンヌにいらない心労をかけると気が重くなりながらも屋敷に戻れば、意外な現実が待ちかまえていた。

「あらあらまあ。可愛らしくなって」

シュザンヌはルークを一目見るなりおっとりとした口調でそういうと、コロコロと鈴を転がすような楽しげな笑い声をあげた。
そんな母親をアッシュとルークは(ルークはアッシュの手のひらの上で)、まじまじと見つめた。

「あのう、母上。驚かれないんですか?」

いち早く立ちなおったルークは、本当にお可愛らしいですわねなどとメイド達と微笑みあっている母に、そろそろと手をあげて訊ねる。というか、なんでそんなに普通なんですか。

「あらだって、あなたはこんなに可愛らしいんですし、何の問題もないでしょう?」

にっこりとそう言い切る笑顔には、妙な説得力があった。
シュザンヌにしてみれば、この二人の息子達には散々驚かされてきた経緯がある。
それこそ生死に関わることからレプリカ問題まで、あらゆる驚きをこの息子達には経験させられたのだ。いまさら小さくなりました、ついでにハムスターっぽいですと言われたところで、さほど驚くことではない。
ついでに言えば、新人を除くファブレ家の使用人達もほぼ同様である。その点ではどこの屋敷の使用人達よりも、彼らは優秀といえるだろう。

「何も気にせずともいいのですよ。どんな姿になってもあなたは私の息子なんですから」
「母上…」

自分の手のひらの上でふるふると感動に打ち震えているらしいルークに、アッシュは思わずひきつった笑みを浮かべるしかなかった。なんというか、レプリカではあるが確実にアッシュからシュザンヌの遺伝子を強く引いているのだろう、ルークは。

「でもこんなに小さくなっては、身のまわりのものも困るでしょう? 色々と後でお部屋に届けさせます。娘時代から集めていたものが、まさかこんな形で役に立つなんて」
「へ…?」
「ドールハウス用のものだけれど、いまのあなたにはちょうどいいはずよね」

そこで、にこりと笑顔ひとつ。
それにどう反応すればいいのかわからず、思考が止まるのと一緒に動きもとまっているルークを見て、アッシュは深々とため息をついたのだった。



最後には、いっそドールハウス自体を部屋に運びこもうとした母親をなんとか諦めさせると、二人はさっさと離れへと引きあげた。
部屋に入るなりベッドの上に転がされたルークはやわらかな羽布団の上でしばらくジタバタしていたが、なんとか体を起こすと、はあと小さく肩を落とした。

「やっぱりこのままなのかなあ……」

しょんぼりと背中を丸めているルークを無視して着替えをすませると、アッシュは自分もベッドに腰をおろした。
そのはずみで、ころころとルークがアッシュの方へ転がってくる。それをつまみ上げて手のひらにのせると、アッシュは自分の顔の前にルークを持ってきた。

「何時までもウジウジしてんじゃねえよ」
「だって!」
「とりあえず体自体に異常はなかったんだ。あの眼鏡の言うとおり、突然治るかもしれねえだろ」
「でも、一生このままだったらどうすんだよ!」

あうあうと手のひらの上で情けない顔をみせるルークに、アッシュは指で額を弾いた。

「いてっ!」
「しけたツラするな。こっちまで鬱陶しくなる」
「アッシュは人ごとだろうけれど、俺は真剣に困ってんだよ!」
「……誰が人ごとだと言った」

突然声のトーンが低くなったことに気が付いて、ルークはびくりと体を震わせた。

「てめえだけじゃねえ、俺だって困っている。こんなちっせえんじゃ、何も出来ないからな」
「へ?」
「馬鹿言っても思いきり叩けねえ。即昇天されちゃ、目覚めが悪りいからな」
「あっそ……」

一瞬でも期待した自分が馬鹿だった、とルークは思った。一応恋人というかそういう関係にあったりするけれど、アッシュにはそういう意味での甘い空気を感じさせてくれるところが決定的に少ない。
もちろん、そのたまに与えられる甘い空気が貴重だからこそアッシュなのだと分かっているだが、それでもやっぱり気持ちがへこむ。
ルークの気持ちを反映した耳が、ぺしゃんと倒れる。嫌われてはいないのかもしれないけれど、呆れられているような気はする。普段から馬鹿だ屑だと罵倒されるのには慣れているが、たしかにこんないきなりわけもわからず縮んだりするのは呆れられても仕方がないかもしれない。
頭の上に雨雲がいるかのようなどんよりとした雰囲気に落ち込みかけていたルークの頭の上に、さらにアッシュのため息が落ちてくる。ルークはそのまま本気でハムスターになりたいなどといじけた思考に落ちかけていたが、不意につまみ上げられてきょとんと目を丸くした。

「……馬鹿が。また勝手に暴走して落ち込んでやがるな」
「だって…」
「ったく、てめえは本当に面倒くせえな」

まあその手がかかるところが可愛かったりもするのだが、という台詞は心の中だけで呟きながら、アッシュは微かに目を潤ませているルークに苦笑いのような笑みを見せた。

「こんなにちっせえんじゃ何も出来ねえだろ。色々とな」
「イロイロ?」
「ああ、これだけは一応できたな」

そういうが早いか、つまんだままのルークに素早くキスをする。

「やっぱりこんなんじゃ足らねえ。さっさと元に戻れ」

だから、元に戻ったら覚悟しておけよ。そう笑ったアッシュに呆けたような顔を向けていたルークは、不意に奇妙な感覚が体の中を走ったことに目を瞠った。

「へっ? うわわっ!」

ぼひょん、と緊張感の欠片もない音が響いて視界が変わる。唖然とした顔で自分を見ているアッシュの顔が、さっきよりも随分と小さくしかももの凄く近くにある。

「あ、あれ?」

しかもなんだか、気のせいか自分よりも下にアッシュの顔があるような気がする。

「お、俺っ! 元に戻っている!」
「だったらさっさと下りろ!」

べしっと後ろ頭をはたかれてベッドに倒れこんだルークは、慌てて起き上がると不機嫌そうに体を起こしたアッシュにあらためて飛びつくようにして抱きついた。
アッシュはそんなルークの後襟を掴んで自分から引きはがそうとして、思い直したように軽くルークの頭を叩いた。そして、どちらからともなく顔を見合わせると、唇をあわせた。

「なあ、結局ジェイドの言ったことって……」
「うるせえ、黙れ…」

軽いキスの後、何気なく呟いた一言に一気にアッシュの機嫌が悪くなったことに気が付いて、ルークはぴたりと口を閉ざした。
まあ確かにかなり恥ずかしい意見だったので、自分だってあまり認めなくないし、自分よりもはるかにプライドの高いアッシュが認めるのが癪なのも何となく分からないではない。というか、よくぞあんな恥ずかしいことを臆面もなくジェイドは言えたものだ。いや、ジェイドだからこそ言えたのだと考えた方がいいのか。

『呪いを解く究極の魔法は、王子様のキスですよ』

何となくその通りになってしまったことが、嬉しいけれど恥ずかしい。
そんな複雑な気分を感じながらも、ルークは苦虫を噛みつぶしたような顔をしているアッシュをぎゅっと強く抱きしめた。



結局使われることのなかったシュザンヌのコレクションに、彼女はとても残念そうなため息をついたが、その一ヶ月半後、あらためてまたそれらが役に立ったことは別の話である。



END(08/05/24)



ベタネタ万歳!