半神のジレンマ




 生まれた時から同じ顔が隣にいるのは、当たり前のことだった。
 幼い頃は仲の良い兄弟で、だけど七つになって正式に教師がつくようになってからは比べられることが多くなって、段々とその存在をうとましく思うようになっていった。
 なまじ同じ姿同じ顔をしているだけに、比べる方もその差違が際だつのだろう。
 互いに負けず嫌いだったのも、いけなかったのかもしれない。
 そうやって少しずつ距離が広がってゆくうちに、二つだった物が三つに増えた。
 それが、確執のはじまりだった。



「げっ! なんでお前がここにいるんだよ」

 鼻歌まじりに開いたドアの向こうに居た相手に気がついた途端、ルゥは盛大に顔をしかめた。

「随分な挨拶だな。ここは俺の部屋だ」
「元、だろ。ったく、油断も隙もねえな」

 ルゥは、自分の登場にもいささかも驚いたようす一つ見せず、ソファで優雅に本を読んでいるアッシュを軽く睨みつけながら、小さく舌打ちした。

「今もここは俺の部屋だ。いいかげん認めろ」
「だーれが認めるかっつーの!」

 ルゥは足音も荒くソファの方へ歩み寄ると、アッシュの向かい側にわざと大きな音を立てて腰をおろした。
 アッシュはそんなルゥの動きをちらりと横目で一度見たが、またすぐに興味を失ったように視線を本の上へ戻した。
 沈黙が降りる。
 ルゥは居心地悪げにソファの上であぐらをかくと、すました顔で本の頁を捲っているアッシュを上目づかいに見た。
 相変わらずそつのないその態度や仕草はいかにも上流貴族の子息らしく完璧で、ルゥの劣等感をちりちりと刺激する。もちろんルゥ自身もそう振る舞おうと思えば出来ないわけではないが、なんとなくアッシュの真似をしているような気分になるので滅多にやらない。
 ソファの上であぐらをかきながらだらしなく背もたれにずり上がるようにしてもたれかかると、視界の隅でアッシュの眉がピクリと不快げにひそめられたのが見えた。

「おい、ちゃんと座れ」
「いーだろ別に。人が見ているわけじゃねえんだし」
「人の目がないところでもきちんとしろ。いざというときにボロがでるぞ」
「そんなヘマしねえよ」

 ルゥは面倒くさげに答えながら、赤い長い髪を鬱陶しそうに後ろにやった。
 思い切って切ってしまいたいと思うが、成人するまではよほどのことがない限りこの髪を切ることは王族の慣習で認められていない。
 一体誰がそんな面倒なしきたりを作ったのか、もし今そいつが目の前にいたら再起不能になるまで殴ってやりたい。おかげでますますアッシュと自分がそっくりに見えるで、本気で気に入らないのだ。
『しかもご丁寧に、俺の方が色が薄いんだもんな』
 まるでこっちの方が粗悪品だと言わんばかりの色の劣化が、前は腹立たしかった。だけど今は、この色も悪くないと思っている。いや、むしろこの色で良かったとさえ思っている。

「なにをニヤニヤしている……」

 気味悪りいと嫌そうに顔をしかめたアッシュに、ルゥは答える代わりに意味ありげに笑みを返した。そんな彼の反応にアッシュはむっとした顔になったが、それ以上追求してこなかった。
 また、気まずい沈黙が降りる。
 アッシュは本を読み続け、ルゥはソファの上にごろりと横になってぼんやりと天井を見つめていた。
 そうやってしばらく居心地の悪い時間が過ぎ去った後、ルゥの耳はこの離れに向かってくる騒がしい足音を拾い上げた。
 ルゥはソファから飛び起きると、そのままドアの方へ向かおうとした。しかしその背にわざとらしいアッシュの咳払いがかかり、小さく舌打ちするとソファの背から身を乗り出すようにしてドアの方を見た。

「ゴメンっ! 母上に掴まっちまって……っ、て、あれ? ルゥ?」

 ドアから勢いよく部屋に飛びこんできた少年はルゥの姿を認めると、驚いたように大きく翠の瞳を見開いた。
 少年は、ルゥやアッシュと同じ赤い髪と緑の瞳を持っていた。いや、同じなのは髪の色や瞳の色だけではない。その顔や姿まで彼らとそっくり同じで、声も多少高さは違えどそっくり同じ。
 ただ一つルークが彼らと違うのは、その赤い髪が項のあたりまでしかないことだけだった。



「遅いぞ、ルーク」

 最初に少年に声をかけたのは、アッシュの方だった。
 ルークと呼ばれた少年はルゥからアッシュへ視線を移すと、ぱっと顔を輝かせた。

「ごめん、アッシュ。待たせて」
「母上に引き留められたんだろう、それなら仕方がない」

 アッシュは本を閉じてテーブルに置くと、ゆるく唇の端をあげた。

「でも、アッシュ本当は忙しいのに……」
「かまわん。今日の仕事はもう終わっているからな」

 ぱたぱたとこちらに駆けよってきたルークを安心させるようにアッシュはそう言うと、ちらりと横目で一瞬だけルゥの方を見た。
 その勝ち誇ったような顔を見たルゥはぴくりと眉を跳ね上げると、嬉しそうにアッシュの顔ばかり見ているルークに声をかけた。

「ルーク、この間言っていた出かける約束、今日でかまわねえよな」
「え? あの約束って、今日だったっけ?」

 その言葉にルゥの方をふり返ったルークは、大きく目を瞠った。その顔には、しまったと大きく書かれている。
 ルークの記憶は正しい。本当は今日という日を指定して約束していたわけではなかったのだが、そんなルークの顔を見た瞬間、ルゥはそのことは黙っておくことに決めた。しかしアッシュはそんなルゥの考えをめざとく見抜いたのか、小馬鹿にしたように目を細めた。

「ふん、おおかた勝手に自分で今日と決めていただけだろう。きちんとした日時を決めた約束ではない限り、優先権はないな」
「んだと! 約束したのは俺が先だぞ!」

 図星を指されて気色ばんだルゥを、アッシュは鼻先で笑い飛ばす。

「いくら先に約束を取り付けていても、曖昧な約束では他の予定を入れられても文句は言えんだろう。実際、ルークには伝わってなかったようだしな」
「アッシュ、もしかしたら俺が聞きそびれただけかも……」
「ありえんな」

 二人のやりとりに慌てて言葉を挟んだルークに、アッシュはルゥに向けた顔とはうって変わったやわらかな表情を向けた。

「なんでもぺらぺらと今日あったことを俺に話すお前が、何も言っていなかった。もし仮に隠していたとしても、お前の態度でそんなことはすぐわかる」

 こちらももっともなところを突かれて、ルークは顔を赤くしたままうつむいた。たしかに自分はアッシュにはなんでも話してしまうし、隠し事は得意ではない。

「というわけだ。今日は諦めるんだな」
「ざけんなっ!」

 勝ち誇ったように言ってさっさと出て行けとばかりにひらひらと手を振るアッシュに、ルゥは襟首を掴んでくってかかった。アッシュはそれを片手で軽々と振り払うと、おろおろと二人を交互に見ているルークの頭を軽く撫でた。

「お前はどうする? ルーク」
「お、俺?」

 突然話をふられたルークは、反射的にルゥの方を見た。その顔を見た瞬間、ルゥは自分の負けを悟った。

「……わかったよ。出てきゃいいんだろ、俺は」
「ルゥ!」

 焦りを滲ませたルークの声に背をむけると、ルゥは足音も荒くドアの方へむかった。
 これ以上、ルークからの謝りの言葉もアッシュの勝ち誇ったような顔も、見たくない。
 どうして自分はこうなってしまうのだろう。
 ルゥは離れから飛び出して中庭を駆け抜けながら、突然叫び出したくなる衝動をなんとか呑み込みながら母屋の方へと走っていった。



 母屋の端にある自分の部屋にたどり着くと、ルゥは扉に背を預けたままずるずると床の上にへたり込んだ。
 本当は、最初からわかっていた。
 ルークを部屋に迎えに行ってアッシュの姿をそこに見つけたときから、嫌な予感はしていたのだ。
 自分とそっくりな双子の兄であるアッシュは、悔しいが自分よりもはるかに出来がいい。あまり愛想がないから親しまれることは少ないが、その分しっかりとした存在感でみんなに慕われている。ルゥだって、本当は出来のいいあの兄が嫌いではない。
 だけど、そこにルークが関わってくると話は違う。



 ルークは、ルゥやアッシュにそっくりな顔をしているが彼らの本当の兄弟ではない。
 いや、アッシュに限って言えば兄弟に近い存在といえるかもしれない。
 ルークは、アッシュの遺伝子情報を元に作られたレプリカなのだ。
 彼ら兄弟が10才の頃、アッシュだけが誘拐されたことがあった。幸いにもすぐに見つかり保護されたのだが、その時彼と一緒にいたのがルークだった。
 アッシュを救助した白光騎士団は、ルークをどうするか判断に迷った。
 なにしろ彼はアッシュとそっくりで、すなわちその身にキムラスカ王家の特徴を色濃く宿していたからだ。しかも当のアッシュが頑なにルークを手放そうとしなかったため、彼らはしかたなくルークも保護してバチカルへと連れ帰ってきた。
 彼らの父親であるファブレ公爵は、ルークを見てすぐに息子の身に何が起こったのか理解したらしい。即座にルークは処分されることになったが、それを必死にやめさせるように説得したのはアッシュだった。
 普段は父親に口答え一つしない優秀な息子の初めての抵抗に戸惑った公爵は、結局最後はルークの存在を知った妻のシュザンヌからの懇願もあって、ルークを殺さずそのまま公爵家に迎え入れることを渋々ながらも認めたのだった。
 そのあいだ蚊帳の外に置かれていたルゥが初めてルークを顔をあわせたのは、公爵がルークを公爵家に迎え入れることを決めた次の日のことだった。
 大事そうにアッシュが後ろから抱きしめるようにして支えている、自分たちにそっくりな子供。
 はじめはあまりに自分たちにそっくりなルークに戸惑いと軽い嫌悪を感じたルゥだったが、そんな彼に警戒することなく赤ん坊のように笑いかけてきたルークに、すぐに魅了された。
 生まれたばかりのレプリカは赤ん坊と同じなのだと知って、さらに愛しくなった。
 自分と同じ顔をした、無垢な存在。
 笑いかければ笑い返し、愛情をそそげば懐いてくれる。たまにワガママなところも見せたけれど、それすらも可愛くて仕方がない。
 一年も経てば普通に立って歩くようになり、言動は幼いがまるで弟のようにまとわりついてくるルークは掛け値無しに可愛らしかった。
 この幼い存在を自分が守らなければならないのだと、その頃にはすでにルゥは固く決心を固めていた。だが、そう思っているのが自分だけではないことに、彼はすぐに気がついた。
 アッシュのルークへの思い入れもまた、ルゥ以上だった。
 彼は強くルークへ執着し、それこそ雛鳥を守る親鳥のようになにくれとなく面倒を見た。そのため時々ルゥと諍いになりかけることもあったが、そのたびにルークが泣きそうになるので大体は三人で遊ぶことが多かった。
 だがそれも、ルークが実年齢で5才を迎える頃までの話だった。
 ここ二年ほどの間で、アッシュは公爵家の跡継ぎとして本格的に勉学に身を入れなくてはならなくなった分、ルークとの接触が減るようになった。
 そのことをルゥは密かに喜んでいたが、そうやってルークを独り占めする時間が増えるにしたがって、逆に不満を覚える事も増えてきた。
 一番の不満は、彼らの部屋のことだった。
 はじめの頃はアッシュが一緒にいないとルークが不安がったため、アッシュが自分の部屋で寝かせたのだが、結局今でもそのまま二人は同じ部屋で寝起きしている。
 それに、たしかにルークは他の者よりもずっとルゥを慕ってくれているが、アッシュの存在がルークの中ではもっと特別な位置を占めていることも不満だった。
 だが、それはしかたがないことなのだと言うこともわかっている。
 アッシュとルークは、被験者とレプリカという特別な関係にある。
 レプリカのほとんどは、被験者に特別な感情を抱くのだそうだ。
 被験者の遺伝子情報を使って作られるレプリカは、その名の通りコピーされたものであり分身なのだ。その絆は、同じ遺伝子をわけた双子よりもあるいは濃いのかもしれない。
 だから、ルークがアッシュの方により気持ちを動かされるのはしかたがない。
 だが、そうわかってはいても簡単に割り切れる感情ではないのは確かだった。

 

 不意に控えめなノックの音がして、ルゥは思考を破られた。
 そのまま黙って扉に寄りかかったまま座り込んでいると、彼が寄りかかっている扉と反対側の扉が静かに開いた。
 のろのろと顔をあげると、そこには心配そうに眉を曇らせたルークの顔があった。

「入っていい?」
 ひかえめに訊ねてくるのに小さく頷くと、ほっとしたのか小さく笑いながらルークが部屋の中に入ってきた。
「……なんだよ」
 すぐ隣に腰をおろしたルークの存在が嬉しいくせに、口を開けばつい責めるような言葉が出てしまう。
「さっきは、ゴメンな」
 一瞬ルークがひるむような表情を見せたが、すぐに思い直したように口を開いた。

「いいよ別に。おまえは、俺よりもアッシュのことが好きだもんな」
「そんなことないよ。ルゥのことだって、好きだよ俺」
「でも、アッシュのことはもっと好きなんだろ?」

 それに、ルークは答えなかった。
 ルゥは自分がひどいこと言っているのだと自覚していたが、止めることは出来なかった。

「俺は、おまえのオリジナルじゃないからな」
「ルゥ!」

 ルークの声のトーンが、一つあがる。

「アッシュみたいに、お前に遺伝子情報をあげたわけじゃないもんな。俺だっておなじ物持っているのに……。俺はおまえになにもやってないもんな、アッシュに負けたってしかたねえよ」

 ルークにとってアッシュは半身であり、神に近い存在だ。
 アッシュがいなかったら、ルークの存在は生まれなかった。だからルークにとってアッシュは特別。それはわかっているのだけれど、時々思わずにはいられない。自分だっておなじ物をもっているのに、と。
 どうして、あの時攫われたのは自分ではなかったのだろう。もし自分とアッシュの立場が入れ替わっていたら、ルークはもっと自分を好きになってくれたかもしれないのに。
 どうして自分は、いつも選んでもらえないのだろう。
 誰もかれも、自分ではなくてアッシュを選ぶ。見かけはまったく同じなのに、なにがいけないのだろう。
 馬鹿な考えだとわかっているのに、一度走り出してしまった思考はとめられない。ルゥは子供のように膝を抱えて丸くなると、唇を噛みしめた。
 そうやって羨んでいるくせに、それでも自分がアッシュを本気で嫌いになれないことも、ルゥは自覚している。
 生まれたときから一緒にいた、自分の半身。
 どんなに腹が立っても、どんなに憎しみを覚えても、決してその存在を心の中から消すことが出来ないのだ。
 本当に自分は子供だ。そんな感情一つ処理できないのだから。そうやって自分を責めていたルゥは、突然ふわりと温かなものが自分を抱きしめたことに気がついて驚いて顔をあげた。
 なぜかすぐ近くに、ルークの顔があった。
 思わず目を瞬かせたルゥは、すぐにルークが丸まったままの自分を抱きしめてくれているのだと気がついて、呆けたような顔になった。
 ルークはそんなルゥの顔を見て綺麗に笑うと、そっと顔を近づけてきた。
 薄く開いた唇に、柔らかくて温かなものが触れる。
 それがルークの唇だと気がつくよりも前に、それは小さな音をたてて離れていった。
 そしてふたたび近づいてきた唇が今度は目尻に触れ、離れ際に唇から覗いた小さな舌が目尻を舐める。
 もう一度、今度はさっきよりも長く唇が重ねられる。微かに塩辛い味。それがなんの味なのか考えるよりも前に、また唇が離れてゆく。


「ルゥは、俺にすごく大事な物をくれたよ」
 そっと大事な物を扱うように、ルークの手がルゥの頬に触れる。

「アッシュは俺という存在をこの世に生み出してくれた、特別な存在だ。だけど、ルゥもアッシュと同じくらい俺にとって大事なものをくれたんだよ」
 ルークは小さく首を傾げると、そっとルゥの頬を撫でた。

「ルゥは俺に、この世界に存在するための名前をくれたじゃないか。『ルーク』っていう、自分の名前を」

 ルークは愛しげに自分の名を呼ぶと、綺麗に笑った。
 そう、『ルーク』という名前は元々はルゥの物だったのだ。
 まだ名前のなかったルークがファブレ家に引き取られたその日、ルゥは自分の名前をルークにつけると言い出し、そのまま押し通してしまったのだ。
 その日から『ルーク』は『ルゥ』になり、『ルーク』は『ルーク』になった。

「アッシュは俺に命をくれて、ルゥは俺に名前をくれた。俺は二人からもらったもので出来ているから、だから……」

 俺は二人とも大好きだよ。
 ルークはそう呟くと、ルゥの体を強く抱きしめてきた。
 大好きと囁かれるたびに、少しずつ冷たくなりかけていた心が温かくなってゆく気がする。
 それですべてが綺麗に消えてなくなってしまうわけではないけれど、今だけはその温かさに甘えていたかった。



END(07/09/06)



アシュルクでルクルクでルクルク(ややこしい)。
一応ルゥが長髪ルークで、キスは短×長のつもり。リクエストをやり遂げた気分です。