秘密の名前




 不意に体の上にのしかかってきた重みに目を開くと、真上にアッシュの顔があった。
 ルークは急速に意識が覚醒してゆくのを感じながら、じっと表情のない顔で自分を見下ろしているアッシュに手を伸ばして抱き寄せた。
 なんの抵抗もなく抱き寄せられたアッシュの腕が自分の体にまわってくるのを感じながら、ルークは気がつかれないようにそっと息を吐く。アッシュの腕が強くルークの体を抱きしめ、その首筋に顔が埋められる。肌をくすぐる熱い息にむずがゆさを感じながらも、ルークは静かに体の力を抜いた。
「ルーク」
 低くアッシュがルークの名を呼ぶ。
 それに応えるようにそっと背中に回した手でアッシュの背を撫でると、強ばっていた体がほどけてゆくのがわかる。
 自分の体の上で重みを増してゆく体を受け止めながら、ルークはじっと天井を見つめていた。



 ルークがこの世に生まれて初めて『誰か』を意識したのは、アッシュだった。
 普通なら母親なのだろうが、ルークには本当の母親はいない。ルークは冷たい機械を母体に生まれた、アッシュのレプリカだからだ。
 そう考えれば、アッシュはルークのオリジナルであると同時に親といえなくもない。アッシュがいなければ、そもそもルークはこの世に存在することすらなかったのだから。
 そういう特殊な生まれのせいもあるのか、この屋敷に連れてこられた当時はアッシュから決して離れようとしなかったらしい。
 それはおそらく、生まれたばかりの子供が本能的に自分と一番繋がりの強い母親をもとめるのと同じだったのろうと、今では思う。
 たしかに自我が目覚める頃にはアッシュが傍らにいるのは自分の中では当たり前のことになっていて、誰に教えられなくても自分が彼に属する存在なのだとルークは理解していた。
 ルークとアッシュは同じ部屋を使っているだけでなく、同じベッドで寝起きもしている。
 それはルークがこの屋敷に連れてこられたとき、まだ生まれたばかりでアッシュ以外はなにもわからず、離されることを嫌がったためだ。
 本来ならそう簡単に許されることではなかったのだろうと、今ならわかる。だが自分を受け入れてくれたファブレ家の両親もアッシュもルゥも、自分にとても優しくしてくれてすべてを受け入れてくれた。
 だから今でもルークは、アッシュと一緒に眠っている。さすがに最近では同じ時間に眠ることは少なくなってきたが、くっついて寝ていればそれだけで安心できた。
 ルークはこの屋敷の皆が大好きだったが、それでもアッシュはやはり特別だった。
 ルゥもルークの中ではアッシュに近い位置にいる存在ではあったが、アッシュとはやはり違う。それは好きとか嫌いとか、そういう感情的なモノや理屈をすべて越えてしまうもので、もっと本質的なモノに近い感情だった。
 もしアッシュが自分のすべてを欲しいというなら、きっと自分は拒まないだろう。それどころか、すべてを掌にのせてさしだしてしまうだろう。
 だって、アッシュはルークにとって神様にも等しい存在なのだから。



「ルーク」
 やわらかなキスが頬に落ちてくる。
 それを猫のように目を細めて受け止めながら、ルークは応えるようにアッシュの体に回した腕に軽く力をこめる。
 キスは好きだ。とても優しくされている、証のようだから。
 実際、アッシュは優しい。時々怒られることもあるけれど、それは自分を思って怒ってくれているのだとわかっている。だけど怒られればもちろん悲しいし、落ち込むこともある。そう言うときにはすぐに察したように、甘いキスをくれる。だから、キスは好きだ。
 だけど、今夜のようなアッシュからもらうキスは少しだけ苦しくてあまり好きじゃない。
 ほんの時々だけれど、今夜のようにアッシュが表情のない顔でルークを抱きしめてくることがある。
 そういう時のアッシュは、少しだけ怖い。
 まるで何かに縋るように抱きしめられ、口づけられる。そして名を呼ばれるのだけれど、その心はどこかに飛んでしまっているように感じられるから。



「ルーク」
 もう一度名が呼ばれ、愛おしげに髪を撫でられる。
 そっと横目で見れば、自分とおなじ顔がある。
 だけど、もう一つ同じ顔があることをルークは知っている。
 アッシュには双子の兄弟がいる。
 ルークとアッシュは、特殊な関係によって血が繋がっているどころか存在をわけた関係であるけれど、アッシュにはもう一人、生まれたときから一緒にいる弟がいる。
 それがルゥだ。
 アッシュとルゥ、そしてルークの三人は同じ顔をしている。
 事情を知らない者がみれば三つ子と間違えられかもしれないが、その関係はひどく歪だ。
 アッシュから作り出されたレプリカであるルークは、遺伝子的にはルゥともおなじ物を持っている。だからルゥとも血を分けているのだといえばそうなのかも知れないが、そもそもルークはその存在自体が双子とは違う。
 双子達は二人ともにルークに優しく、そしてそれぞれ違う理由でルークに特別な思い入れをしてくれている。ルークはルークで、双子のことがそれぞれ違う理由で大好きだった。
 しかし双子達はそれぞれの理由でルークを挟んで対立し、より自分のほうへ引き寄せようとする。
 だがルークは知っている。双子たちの間にも、本人たちが理解していない強い絆があることを。



 アッシュは、ルークに執着している。
 ルークがアッシュから引き離されなかった理由は、そこにもあった。
 助け出されたとき、アッシュは生まれたばかりのルークを守るように抱きしめていたと聞いている。助け出されてからもずっと親鳥のようにルークを抱きしめ、決して傍から離さず、最後には自分の部屋で寝起きさせることも強引に承知させたくらいだ。
 どうしてそこまでアッシュがルークに執着するのか、他人は首を傾げるだろう。だけどルークにはわかっている。いや、最近になってようやくわかってきたのだ。



「ルーク」
 優しく名を呼ばれ、愛しげに口づけられる。
 だけど、どんなに優しくキスをされても、いつものようなドキドキするような高揚感はない。
 キスをされるのは好き。
 アッシュのことも、大好き。
 だけど、今日みたいなアッシュはあまり好きじゃない。
 名前を呼ばれる度に、ひどく苦しくなるから。
 ルークの名前は、本来はルゥの物だった。ルゥは本当の名前のないルークに、自分の名前をくれたのだ。
 だからルークは自分の名前が大好きだったし、名前を呼ばれるのも大好きだった。
 だけど、今日みたいな夜にその名前を呼ばれるのは好きじゃない。感情のない遠い目をした彼には。



「ルーク」
 また名前を呼ばれる。
 抱きしめられる腕の強さに応えるように、ルークからもキスをする。
 キスをしながら、一つの言葉をのみこむ。





 あなたは本当は、誰を呼んでいる?





END(07/09/21)



どう転んでも明るくなれない三つ子(ルクルク×2・アシュルク)です。今回はルーク側から。
……いっそアホなくらいに明るい三つ巴ラブラブ話にしたくなってきた。