昼寝日和




 
屋敷の中庭に面した回廊を歩いていたアッシュは、庭の中程にある木の下に見慣れた色を見つけて、そちらへと足を向けた。

「何をしている」
「見てわかんねえかよ」

アッシュの問いに、足音に気がついていたらしいルーシュが面倒げに応える。それに一瞬ムッとしたものの、ふと視線を下げた先にあるものに気がつくと、アッシュは無意識に唇の端を緩めた。
先程廊下から見た時はルーシュの髪だけが木の陰から覗いていたので気がつかなかったが、そこにはルーシュの膝の上に小さな頭をのせてルークが眠っていた。

「……せがまれて本を読んでやっていたら、いつの間に寝ちまったんだ」

自分から読めって言い出したくせによ、と文句を続けながらも、その声はルークの眠りを妨げないように小さくひそめられている。そんな不器用な気遣いがいかにも彼らしくて、アッシュは思わず笑いかけて慌てて笑みを引っ込めた。
天の邪鬼なルーシュのことだ。こんなところで自分が笑えば、怒ってさっさとどこかに行ってしまうだろう。だがアッシュの笑みにすばやく気がつきながらも、ルーシュはそれに対して睨み返しただけで、怒鳴りかえしてくることもなかった。

「なんだ、大人しいな」

意外に思って声に出せば、座った目が睨みつけてくる。しかし相変わらずルーシュはそこに座ったまま、動こうとしない。
膝の上では、ルークがとても気持ちよさそうに眠っている。ルーシュと同じミルク色の耳を少し寝かせ、同じ色の長い尻尾も投げ出した足と一緒にのびのびと芝生の上に伸びている。
あまりに気持ちよさそうで、そしてその眠る顔があまりに可愛らしくて、ついアッシュは兄バカっぷりを発してそっと頭を撫でてやろうと手を伸ばした。しかしその手は、ルークに届く前にルーシュの尻尾に容赦なくはたかれてしまう。

「なんだ」
「せっかく寝てんだから、余計なことすんな」

こんなことぐらいでは、寝汚いと言ってもいいほど眠りの深いルークが起きるはずがないのだが、なんだか母猫のようにこちらを威嚇してくるルーシュがあまりに必死なので、アッシュは諦めて自分もルーシュのすぐ隣に腰をおろした。

「んだよ……」

ルーシュが横目で不満げににらみつけてくるが、その尻尾は眼差しとは裏腹に嬉しそうに小さく振られている。

「おまえが本を読んでやるとはな。想像がつかねえ…」
「うっせーな。俺だって本くらい読む。……まあ、読んでやったのは絵本だけどよ」

だんだんと尻すぼみになる声に小さく笑いながら芝生の上に目をやると、端が少し痛んだ古い絵本が伏せられている。

「懐かしい本だな。まだ持っていたのか」

それは、二人が子供の頃奪い合うようにして読んだ絵本だった。見かねてシュザンヌがもう一冊買ってあげましょうかと言ってくれたのだが、今度はいま持っている本をどちらのものにするかでもめて、結局その一冊きりで何年も読み込まれた本だった。
懐かしさに手を伸ばして絵本を拾い上げると、アッシュはパラパラとページを捲った。少し色あせてはいるが、挿絵もあのころのまま綺麗に残っている。
取り合ったわりに綺麗なのは、二人ともこの本が好きだったので乱暴に扱わなかったおかげだ。奪い合ったり、時には二人でならんでベッドの上で一緒にページをひろげたりした、思い出深い一冊だ。
もうとっくになくなってしまったと思っていたのだが、どうやらこっそりルーシュが持っていたらしい。

「本棚の隅にしまっておいたのを、こいつが見つけたんだよ。本当のこと言うと、すっかり忘れちまっていたんだけど……」
「そのわりには綺麗にしてあるようだがな」

言い訳じみたことを言うルーシュにからかうような言葉を向ければ、案の定ムッとした顔になる。しかしおでこのあたりまで赤くなっているその顔では、あまり迫力はない。

「さ、さっき埃を払ったからだろ!」
「そう言うことにしておいてやる」

もう少しからかってやってもよかったのだが、それではもう一人の幼い弟を起こしてしまうことになってしまうので、アッシュはそれ以上なにも言わずにそっと、本のページを撫でた。
ルーシュは少しの間アッシュのことを睨みつけていたが、すぐにまたふいっと視線をそらすと自分の膝の上で寝ているルークの顔を見てほっとしたように頬を緩めた。
それを横目で見ながら、アッシュは変われば変わるものだと内心苦笑する。
以前のルーシュは、たしかに根は可愛らしい性格はしていたがもっと我が強くて甘ったれでワガママなところがあった。いまでも気の強さはかわらないし、ワガママで傍若無人なところは確かにある。だが着実にルーシュの心も成長していた。
彼をそんなふうに変えたのは、おそらくいまルーシュの膝の上でむにゅむにゅと寝言のようなことを呟いている、小さなもう一人の弟の存在だろう。
屋敷の中で一番小さくて、誰からも守られるだけの存在だったルーシュがはじめて持った、守るべき相手。彼を自分が守らなければと自覚してから、ルーシュは元来持っていた優しい性格がだんだんと表に出るようになってきた。いまだって自分の機嫌よりも、膝の上で眠るルークの眠りを破ることの方へ心を砕いている。

「なんだよ……」

自分が見ているのに気がついたのだろう、またもや不機嫌そうな顔でルーシュが睨みつけてくる。それに小さく笑いながら、アッシュはぐりぐりとその頭を撫でてやった。

「なっ……っ!」
「静かにしろ。ルークが起きる」

そう言ってやれば、悔しそうに小さく唇を噛みながら押し黙る。だがその尻尾が照れを隠すように揺れているのが見える。
そのまま頭を引き寄せて肩にのせてやると、怒りをコーティングした困惑した目が見上げてくる。だがそれも素直になれない性格のためだとわかっているので、気にならない。

「どうせ、さっきから眠くてたまらねえんだろ。ちょっとの間だけなら、枕がわりになってやる」
「べっ、別に俺はっ!」
「本を読むついでだ」

さらに拒もうとするルーシュの声をさえぎると、アッシュは抱えていた本を開いた。あまりにそっけない返しに拍子抜けしたルーシュは、ふて腐れた顔をしながらも大人しくされるがままにアッシュの肩に頭をのせながら目を閉じた。

「おまえが言い出したんだからな」
「ああ」
「俺は、ここにちょうど良い枕があるから使ってるだけだ」
「そうだな」

早口にのべられてゆく不満にゆったりとした声で答えていると、しばらく沈黙が落ちたあと、「サンキュ…」と小さな呟きが聞こえた。
ぴくぴくとミルク色の耳が揺れているのを見つめながら、アッシュはルーシュに気付かれないようにそっと笑みを浮かべる。甘えたがりのくせに、意地っ張りなところは子供の頃から変わらない。もっと小さいときはこっちが嫌がってもつきまとってきたくせに、いつからかだろうか、こうやって距離を測るようになったのは。
それが成長の証だとも言えるのかもしれないが、ほんの少しだけ寂しく思わなくもない。



初めのうちはガチガチに固まったようになって肩にもたれかかっていたルーシュの頭が、やがて完全にこちらにゆだねられる。小さな寝息とともに肩にかかってくる重みに微かに唇に笑みを刻みながら、アッシュは穏やかに眠る二つの朱色を眼を細めながら見つめた。
大事な大事な、自分が守るべき存在達。
この二人がいるから、アッシュは己を強く律していられる。
だから何があっても、アッシュは二人を守ることを強く心に決めている。
愛しくてたまらない、ふたつの朱色。
とりあえずいまは、この穏やかな眠りを守ってやりたい。それだけを思っている。



やがて、三人を探して中庭に出てきたガイが三人を見つけて小さく微笑む。
膝の上で本を広げたままのアッシュと、ルークを膝の上にのせたルーシュが寄りそうようにして眠っている。
そんな微笑ましい光景に、ガイは三人を起こすべきかどうかしばし悩むこととなる。





END
(08/02/22)


どっちかというと、夫婦とお子様。