翡翠と幸福について




「お守りなんだって」

 そうとうとつに言いだしたルークを、ジェイドはじっと観察するような目で見かえした。
 青年の姿をしてはいるがまだ実年齢は幼い子供である彼は、その中身を裏切ることなく、じつに脈絡のない言動を披露することが多い。
 おそらく子供には子供なりの理由があるのだろうが、こんなふうに、たまにジェイドの思考を軽々と飛び越えてくることがある。

「たしかあなたは先ほど、陛下のところに行かれたのではなかったでしたか?」
「うん」

 こくりと素直に朱色の頭が小さく頷く。
 水の都グランコクマの中心にある王宮に住まう、この国の最高指導者は、ことのほかこの子供な青年を気に入っている。
 そのため、王都に立ちよったときは必ず顔を見せるようにと厳命されているので、ルークは律儀にそれを守っている。
 しかしどうやらルークは彼のことが苦手らしく、いつもでも渋々といった態度で謁見におもむくのだが、珍しく機嫌良さそうな顔で帰ってきたと思ったらこれだ。

「陛下のところで、なにかありましたか?」

 さんざん思考をめぐらせるが、どうやら別から仕込んできたらしい話題だと判断すると、ジェイドはさっさと質問を口にした。

「うん。お守りをあずけておくからよろしくって」

 にこにこと手放しで嬉しそうに笑うルークに、なにか手渡されたのだろうと察しをつけると、ジェイドはそうですかよかったですねと興味を失ったようにそっけなく返した。
 しかしなおも何か言いたそうにそこにいるルークに、ジェイドは気がつかれないようにちらりと視線を向ける。
 自分でも、いつものような無関心さを装えなかったことは承知している。
 どうにもこうにも、自分はこの子供にペースを崩されがちなことを認めないわけにはいかない。

「何をもらったんですか?」

 しかたなくこちらから折れてやると、ぱっとルークの表情が輝く。
 それを見て微笑ましいなどと思えてしまうくらいには、自分がこの子供に毒されていることをジェイド自身も認めざるをえなかった。

「だからお守り。それに、今日もらったわけじゃねえよ」

 その言葉に、ぴくりと片眉が跳ねあがるのを押さえきれなかった。
 いったいいつの間にと言う思いと、それに気がつかなかった自分のうかつさに、なぜかすこしだけ機嫌が悪くなる。

「あ、でも、もらったって言うのはちょっと変なのかな……?」
「さきほどは、あずかったって言っていたようですが」 「ああ、うん。そう、一応あずかったっていうことになるのかな?」

 そういいながらも、自分の言っていることがよくわからないような曖昧な口調になるルークに、ますます機嫌が降下してゆくのがわかる。

「あなたには、もうすこしきちんと話をするということを学ばせないとだめなようですね」
「う…、悪かったな」

 見たことはないが、彼が毎日のようにつけている日記はいったいどんな内容になっているのだろうと、思わずにはいられない。
 それでも、後になってから一度話したことについて訊ねると意外にもまともな答えが返ってくることを考えると、あれが系統だった思考の訓練にはなっているのかもしれない。

「しかし、陛下が預けたなどと言うのは珍しいですね……」

 あの人が個人的にそういうものを渡すのに、「あずける」などと半端な事を言うようには思えないのだが、なにか意味があるのだろうか。
「まあ、もらっちゃうわけにはいかないだろうし?」
 くすり、と悪戯っぽく笑う子供に、ますますわからなくなる。
「俺としては、もらっちゃうのも良いかなって思うんだけど、やっぱりまずいしな」

 そんなに重要な物をあの人はこの子供にあずけたのだろうか、とあらためて不思議に思う。
 そして、それをおもしろく思っていない自分がいるのもたしかで。

「……なにをあずかったのですか?」
「お前」

 さらりとなんでもないことのように言い切ったルークに、なんとか表面上は驚きを取り繕えたことに、ジェイドは内心ほっとしていた。

「……なんだよ、驚かないんだな」
 しれっとした顔で笑みさえ浮かべているジェイドに、ルークは不満そうにちいさく唇をとがらせた。
「いえ、驚いていますよ」
「嘘付け」
 むむっと、小さく頬をふくらませる姿が、本当に小さな子供のようで微笑ましい。
「しかし、私がお守りですか……」
「うん。陛下が、「あいつがいればそれだけで十分魔除けになるし、謀略だけは天下一品だからな」って」

 子供は時として残酷だ。言葉をかみ砕いてやわらげるという術を知らない。
 ジェイドはそうですかと笑顔でこたえながら、心の中で次に彼に会ったときの計略をすばやくめぐらせる。

「それと、「俺のジェイドを貸してやるんだから、絶対に返しに来い」だってさ」
「それで「返しに」ですか……」

 いかにもあの人らしい言い草だ、とジェイドは苦笑した。
 自分をだしにして、さりげなくこの子供に一つの約束をさせたのだ、あの人は。
 無事に生きて帰ってこい、と。
 どれだけストレートにそう言っても、この子供は「はい」とこたえながらもきっとその約束を守ろうとしないから。
 だから、とっておきのお守り。

「お守り呼ばわりされるのは、あまりありがたくないのですがね……」

 あやしげな力でこの子供を守るよりも、自分自身の力で彼を守りたいと自分はおもっているのだから。

「そうか?陛下が言っていたけど、ジェイドと同じ名前の宝石は幸せのためのお守りになるんだって。だからその大切な自分のお守りを俺に貸すんだから、絶対に返せってさ」

 嬉しそうにはにかみながらそう続けたルークに、ジェイドはかるく目を瞠ってから、苦笑しつつ手を伸ばして目の前にあったルークの体をそっと抱き寄せた。

「ジェイド?」

 不思議そうな声をあげる彼にはかまわず、座ったままの姿勢でジェイドはルークの胸のあたりに頭を押しつけた。
 まったく困った物だ、と心の中でも苦笑いする。
 あの人が、ルークへの好意からそんなことを言い出して気を引いたのだということはわかっている。それはたしかに面白くないことではあったが、ジェイドは自分の物だと言い切る臆面のなさに、すこしだけそれを嬉しいと思っている自分がいるのも事実で。
 そしてルークがあの人の気遣いへの嬉しさとジェイドへの好意を隠しもしないことも、それに追い打ちをかける。

「まったく……。この場合はどちらにしてやられたと思うべきなんですかね」
「は……?」

 なんのことなのかまったくわからないのか、きょとんと目を瞠った子供に苦笑する。
 本当に、どちらに嫉妬めいた気持ちを感じているのか自分でもわからなくなる。
 たぶんこの世界で自分の心を引っかき回すことができるのは、この二人だけなのだ。
 だけどこの二人がたがいに思いを寄せ合うことは、なんとなく面白くなくて。
 随分とワガママだと思いながらも、その真ん中に自分をおきたいと無意識に思ってしまう。
 そんなにも人からの好意に対して自分が貪欲だったのかと、驚かされるが、望む物がすくないのだから仕方がないのかもしれない。


 そしてそんな罪作りの片割れは、いまも目の前で楽しそうに笑っている。
 その笑顔を守れるのなら、本当にこの子供に幸せを運べるお守りにでもなんでもなれればいいのに。
 らしくもなく、そんなことを思った。


END(07/01/26)



乙女思考な大佐。大佐と陛下とルークの三人という組み合わせも好きです