天体観測




もうそれが、どんな夜だったのかも覚えていなかった。



互いに世界中を飛び回っているせいか、街中で偶然に会うことは意外とまれだった。
だが違うものを追いながらも目的は同じところにあったから、当然ながら偶然という回数よりは多く行き会うことがある。
だが当然のことながら、互いに情報交換のために落ち合うことの方がずっと多く、そしてその際の連絡手段として、アニスに言うところである『便利連絡網』は実によく活用されていた。
そしてその度に、

「ほいほい気軽に使うんじゃねえよ! おまえはいいかもしれねーけど、受ける方の俺はすっげえ痛てーんだからな!」
「はっ、ンなこと知ったことか。せいぜい痛みにヒイヒイ言っていろ」

などと、本人達は全く気がついていないが、取りようによってはかなりきわどい会話が繰り広げられることとなる。
幸いと言うべきか、どちらも正真正銘の天然気質があるため、周囲の仲間達の微妙な目線には気付かない。もっともそれを止めない時点で仲間達もそんな二人のやり取りを楽しんでいる節があるのだが(約一名同じくらい天然な王女はそれを理解していないが)、とにかくそんな些細なことででも楽しまないと、この二人の関係については腫れ物に触るような繊細な部分があるのも確かだった。



アッシュはルークのことを嫌っている。
それはもう間違えようのない事実で、実際に本人もなんのためらいもなくそう公言している。
だがその一方で、ルークはアッシュのことを慕っている。
その感情の根幹にレプリカと被験者であるとか、色々な負い目とか様々な理由が織り込まれているかもしれないが、とにかくその一点だけはルークの中でゆらぐことのないものの一つだった。
しかし相反する想いは、当然のことながら上手くかみ合わないことの方が多い。ゆえに顔をあわせるたびに不毛な口喧嘩に発展したり、時には一触即発な状態に陥ったりと、どうにも友好的な雰囲気になりづらい。
もっとも、さんざん憎まれ口を叩きながらも意外にアッシュがルークのことを気にしているのは、当の本人以外の仲間達にはとっくの昔にばれてしまっている。なにしろルークの体調が悪そうなときは、かならず偶然を装ってちらちらと姿を見せるのだから、本当にわかりやすい。
だがその夜は、そんな諸々の偶然とは言えない偶然ではなく、本当に偶然に出会った珍しい夜だった。



「てめえ、こんな時間にこんなところでなにしてやがる……」

ガキはとっくに寝る時間だろうと心の中だけで呟きながら、アッシュは目の前で目を丸くして自分を見上げているルークに眉間に皺を寄せた。

「別におまえには関係ねーだろ」

出会い頭にいきなり文句を言われれば、誰だって腹が立つ。ぷくりと子供のように頬をふくらませてふて腐れたルークに、アッシュはぴくりと眉を跳ね上げた。

「俺と同じ顔で、ガキみてえな顔するな!」
「しかたねえだろ、俺はおまえのレプリカなんだから」

真夜中の広場。その中心にある大きな噴水の広い縁に腰をおろしていたルークは、それこそ本当の子供のように足をぶらぶらさせると、嫌味な口調でそう返してきた。

「口答えするな、屑がっ!」
「別に本当のことだろー。イヤならさっさとどっかいけよ」
「なんで俺がおまえの言うことを聞かなきゃならねえ!」
「つか、おまえ夜中なのに声でかすぎ」

しーっと、唇に指を押し当てたルークに、アッシュはぐっと言葉を飲む。
たしかにこんな真夜中に声を張り上げるのは、非常識といえる。それでなくても一応隠密行動中なのだから、目立つ行動は出来るだけ避けなければならない。
しかしこの場にルークを一人だけ残してゆくのも、どうにも気になってしかたがない。さてどうするかとあらためて悩みはじめたところで、ルークが突然ポンポンと自分のとなりを軽く叩いた。

「座れば?」
「なんで、てめえと並んで座らなくちゃなんねえんだ」
「イヤならちょっと離れればいいだろ」

ほらほらとせがむように見上げてくるのに、アッシュはまた反射的に怒鳴りそうになったが、結局はどうしてか言われるままにルークの隣に腰をおろしていた。
ただし、なけなしの意地を見せて二人の間には一人分の間が置かれている。しかしいつもならそれに文句を言うルークはそれにはなにも言わず、嬉しそうに笑っている。

「ヘラヘラ笑ってんじゃねえよ」
「へ…っ! うっ、うるせえな」

ぶつぶつと小さく文句を呟きながらも、ルークはそれ以上突っかかってくることはなかった。アッシュの方も、なんとなくそれ以上ルークに突っかかる気分にはなれず、そのまま黙り込んだ。

「なあ…」

先に沈黙を破ったのは、ルークの方だった。

「なんだ?」
「上、見ろよ」

すいっと伸びた指が天を指さすのになにげなくつられて見上げて、アッシュは思わず目を瞠った。
言われるまで気がつかなかったが、空は銀の砂をこぼしたような満天の星に彩られていた。

「な、すごいだろ」

まるで自分のことのように自慢げに言うルークに、アッシュは突っかかることも忘れて素直に頷いていた。それほどに、素晴らしい星空だった。

「珍しく夜中に目が覚めたら、すごい星空だろ? だからついふらふらと出てきちまった」

聞けば、いかにもルークらしい理由だ。子供は目先の物に気を取られると、他のことに気が回らなくなる。この分だと、おそらく誰にも告げずに勝手に出てきたのだろう。

「……呑気なもんだな」
「まあな。でも、たまにはこうやって星を見るっていうのも悪くねえと思わねえ?」
「……そうだな」

ふと漏れた自分の言葉に、一番驚いたのはアッシュ自身だった。
本当は嫌味の一つも言ってやろうと思っていたのに、どうしてかするりと出てきたのは同意の言葉だった。ルークの方もまさかあっさりとアッシュが同意するとは思っていなかったのだろう、目を丸くしてこちらを見ている。

「なんだ」
「いや、なんか今夜のアッシュはちょっと感じが違うなって…。いや、その、悪いとか言ってるんじゃなくて」

慌てて言葉を続けようとするルークにため息を一つつくと、アッシュはもう一度空を仰いだ。

「なあ、前にナタリアが言っていたんだけどさ、人が死んだら星になるっていう迷信があるんだって?」
「はっ、馬鹿馬鹿しい」
「言ったのはナタリアだぞ」

ニッと悪戯っぽく笑うルークに、アッシュは押し黙る。そんなアッシュの様子に、ルークは堪えきれずに小さく噴き出す。

「俺も馬鹿馬鹿しいって思ったよ。その話を聞いたとき。だけどさ、馬鹿馬鹿しいってわかってはいるけど、そういうふうに思うのも悪くねえのかもなってちょっとだけ思うようになった」

ふと、その声に何か空白のような物を感じて、アッシュは思わずルークの方を見た。
ルークはこちらに横顔を見せたまま、空を見上げていた。気のせいか、その輪郭が微かに光っているような気がする。

「レっ……」
「あ、なあなあ。あの星の色、おまえの髪の色みてえ」

突然声を跳ね上げたルークに、アッシュははっと我に返った。そして何度か瞬きをしてあらためてルークの横顔を見たが、そこには先程見たような光はなにも見えない。

「よしっ、これからあの星を俺はアッシュ星と名付ける」
「はっ? アホなこと言ってんじゃねえっ!」

とんでもないことを言い出したルークを殴ろうと拳を固めるが、それよりも前にこちらに伸びてきたルークの手が無理矢理アッシュの顔を空へと向けさせる。

「なっ? すごい真っ赤な色をした星だろ」

ルークの指さす方をつられてみれば、たしかに一際赤い星が白い星の中に埋もれて輝いている。
まるで燃える炎のような、赤い星。

「ふざけんなっ!」

一瞬その色に目を奪われそうになったが、アッシュはすぐに我に返るとヘラヘラと笑みを浮かべているルークの頭の上に拳骨を落とした。

「いって〜っ!」
「くだらねえこと言ってねえで、ガキはさっさと宿に帰って寝ろっ! どこかの過保護な使用人が、きっと今頃血相を変えて探してるぞ」

その一言に、ルークはうっと言葉に詰まった顔になった。たしかに無断外出がばれたら、一番最初に騒ぎ出すのは間違いなくガイだろう。
今更のように青ざめているルークにアッシュは鼻先で笑いながら、立ち上がった。

「アッシュ!」
「うるせえっ! テメエと話していると、頭がおかしくなる」

何が星に似ているだ。馬鹿馬鹿しい。
それに星に誰かを思うのは、たいていその相手が死んでいることが前提になる。どうしてそんな不吉なことを、あの馬鹿は簡単に言い出すのか。
本当に、苛々させられる。夜道をずかずかと早足に歩きながら、アッシュは心の中で何度もルークをなじる言葉を呟いた。
だからその夜のことは覚えていても、アッシュの中では不快な記憶としかそのときは残らなかった。




そして、それからずっと時が経って。
アッシュはあの日の夜と同じ場所で、同じように空を見上げていた。
あの時と同じように、ルークがふざけた名前をつけた赤い星はそのまま空にあった。
だけど心なしか、その色はあの時よりも少し薄くなったようにも見える。
そう、あのとき自分の隣にいたルークの髪の色のように。
地上に戻ったアッシュに、ルークの記憶は継承されていなかった。
ジェイドは、自分たちの大爆発が不完全に終わった可能性を示唆した。もしかしたら、ほんの僅かな可能性でルークが生きている可能性があるのかもしれない、と。
だとしたら、間違いなく彼はこの星空の中のどこかにいるのだ。
今ではあの星は、自分よりもルークの方に似ている。そのことを皮肉に思いながら、アッシュは届かない空の星に手を伸ばした。

「……ったく、そんなところにいねえでさっさと降りてこい」

そう星に呼びかけながら、アッシュはあの夜隣にいたルークの顔を声を思い出す。
はやく降りてこい。
そして、もう一度一緒に星を見よう。
そう願いながら。



END(08/02/28)




星の等級と色は、きっとオルードラントでは違うのだと思ってください。