炎の石




 
 一目見た瞬間から、その輝きに魅せられた。
 

 
「綺麗な石だな」
 そうぽつりとつぶやいたガイの言葉に得たりと、目の前の柔和な表情に油断のならない目をした商人は、彼が目にとめた石をそっと布で包むようにしてとりあげた。
 その石はガイの小指の爪ほどの大きさだったが、彼がかの国に置き去りにしてきたあの少年の髪と同じ色をしていた。
 揺らめく炎のような、鮮やかなオレンジ色。
 そしてその色に混じり合うように、様々な色が渾然として輝いている。
 まるで虹を炎に閉じこめたような、そんな色の宝石だった。
「これは、ファイアオパールと言いまして、とても珍しい石なのですよ」
「ほう?」
 男はちらりとガイの顔を見やってから、如才ない笑みを浮かべた。
 
 



 ファブレ公爵家から暇をだされて生国であるマルクトに戻ってきたのは、つい先日のことだった。
 さすがに素性がばれたからには、あのまま素知らぬ顔で公爵家に仕えるわけにもいかず、さてどうするべきかと思案していたところに降って湧いたのが、皇帝直々の声がかりによるガルディオス伯爵家再興の話だった。
 生家の再興は、生き残ったかつての家臣たちの悲願であったことはガイも承知している。
 もちろんガイ自身にもその気持ちがまるでなかったわけではなかったが、彼は自分がそれを強く望んではいなかったことに、その瞬間気づかされていた。
 もちろん、ひとなみに野心はある。
 何かをなそうと思えば、使える手は多い方がいいに決まっている。
 それに、彼が特別に思っている彼のために手を差し出すには、きちんとした後ろ盾が必要なこともわかっている。
 しかしそれは、一時的にとはいえあの子供のそばから離れることであって。
 そう思った瞬間、それを拒否したい気持ちが胸の奥にひっそりと生まれてはじけたのをガイは知っていた。
 


 名ばかりの伯爵として叙位され、退屈とめまぐるしさが微妙に混じり合った日々が過ぎてゆく。
 皇帝直々の声がかりということで最初は警戒されていたが、閑職をあたえられたガイに人々の警戒の目は薄れていった。
 それでも、貴族としての体面をある程度取り繕わなければならず、そのためには必要のないものまでそろえなければならない。
 宝石の一つでも買ったらどうだと勧めてきたのは、現在彼が仕えることになった皇帝その人だった。
 もともと貴族の家の生まれで、さらにいえばその後は大貴族のファブレ家に仕えていたガイは、それがどういう意味を持っているのかを知っているだけに苦笑せずにいられなかった。
 見栄のために無駄なものを買うのは正直気はすすまなかったが、ピオニーが自分の立場を心配して言ってくれているのはわかっていたので、その言葉をすなおに受けることにしたのだった。
 
 
 
 目の前で次々にひろげられてゆくおびただしい宝石の輝きに、しかしガイはすなおに綺麗だとは思いながらも全く興味はひかれなかった。
 もともと装飾品に関心があるわけでもなく、同じ金額を払うならピカピカと輝く音機関の方がずっとましだと彼は思っている。
 しかし、さすがになにか適当なものを買わなければならないだろうとため息混じりに思ったところで目についたのが、その赤い宝石だった。
 
 
「珍しいとは?」
 いやに自信たっぷりに笑う男の目を見返しながら、ガイは尋ねた。
「オパールは4種類に分けられるのですが、その中でもこのファイアオパールは二番目に希少性が高く、また透明度も一番高いものなのです。特にこれは透明度も高く、また遊色効果も複雑で美しいので、かなり珍しいものになります」
 やわらかな布の上で静かに輝くその石は、そっと動かすとその輝きを少し変えた。
 燃え上がる炎の上に、わずかに煌めくような緑の色がさす。
 それを見た瞬間、もう心は決まっていた。
 




 一月ぶりに顔をあわせた愛しい子供は、最後にあったときよりもひどくちいさく見えた。
 いったい何があったのか彼は多くは語らなかったが、言葉の端々にあらわれる戸惑いや怯えが、ガイに彼の元を離れたことを後悔させた。
 帰ったところで絶対的な幸福が約束されているとは思っていなかったが、予想以上にうちのめされているルークに、ガイは過保護といわれるとはわかっていても、以前のように手を伸ばさずにはいられなかった。
 しかし、ひどく傷ついているはずの子供は、なぜか以前のように自分の手に何もかも任せるように甘えてくることはなかった。
 もちろん甘やかそうと手を伸ばせば、嬉しそうにそれを受ける。
 だがルークの心のまわりには見えない膜のようなものが張りめぐらされていて、直接触れられることを拒んでいるのがわかった。
 呑み込まれる言葉。
 隠される傷。
 以前と違う、やわらかな笑みに隠される心。
 少しでも力を込めたら壊れてしまいそうな、そんな危うさが再会したばかりのルークにはあった。
 


 間違えたのだと、今更ながらに気づかされる。
 あの時もそうだった。自分はいつでも大切なときに間違ってしまう。
 アクゼリュスの時も、ヴァンをとめたあの戦いの後も。
 一番あの子供が誰かの手を必要としているときに、手をさしのべてやることができない。
 


 誰よりも気丈に振る舞いながら、本当は誰よりも傷つきやすい心をルークは隠している。
 乱暴な口調と子供っぽく憤る態度にごまかされがちだが、傷の痛みを呑みこむことをあの子供はもう知っている。
 


 ふと、自分の屋敷においてきたあの赤い宝石のことを思い出す。
 愛しい子供に思いをはせるために買い求めた、あの赤い石。
 そのときはただ色が似ているからと思って買い求めた物だったが、いまの彼はまさにあの石そのもののようだ。
 
 
 
『…オパールは、宝石のなかでもかなり硬度の低い石です』
 なめらかな、あの宝石商の言葉が耳によみがえる。
『この輝きは、石のなかにある小さな罅に水が入って作られるのです。つまり、この輝きの多く美しいものほど中に無数の傷ができているわけです…。だから、ひどく脆い』
 虹の輝きと透明な赤を持つ不思議なその石のなかに無数の罅があるのだとは、とうてい信じられなくて。
 思わず光にかざしてのぞき込んだその石の美しさに、ガイは小さく息をのんだ。
『…つまり、中に傷があるほど価値が高いというわけか』
『ええ。ただ、このファイアオパールだけは、この遊色と呼ばれる輝きがなくとも価値を損なうことはありません。透明なままでも、遊色をおびて少し濁っていても、同じだけの価値があります』
 何も知らない、傷一つなかった赤い宝石。
 傷つき、今にも割れそうなもろさを抱えている赤い宝石。
 どちらも息をのむほどに美しく、同じ『焔』の名前をかかげている。



「ガイ?」
 不意に背中から抱きしめた自分に驚いたようにルークが声を上げるのを、ガイは無視したまま抱きしめる腕に力をこめた。
 腕のなかでルークは少しためらってから、まわりに誰もいないことを確認してそっと甘えるように体重を預けてきた。
 その、以前はなかったためらいの仕草がひどく悲しい。


『他の宝石と一緒においてはいけません。こすれあっただけで、この石は傷つきます』


 本当に、どこまでもあの石はこの子供によく似ている。
 いろいろな石にぶつかって傷ついた、透き通った赤い石。
 だけどいろいろな色を反射するようになったその石は、前よりもずっとやわらかくて綺麗な輝きを秘めている。
 
 それが、ひどく悲しかった。
 

END
(06/12/06)

ぴったりの性質の石だと思うです。私的には…。余談ですが、オパールの語源はサンスクリットの『ウパラ』からきているとのこと。(笑)
ますますはまっている…。