immoral




肉を切る重い手応えに剣の柄を握り締めなおすと、ルゥはそのまま力任せに剣を下からすりあげた。
その勢いで目の前に立ちふさがっていた身の丈3メートルはあろうと思われるモンスターが後ろに吹き飛び、動かなくなる。しかし彼はそのまま刃をとめることなく右に走らせると、飛びかかってきた犬型のモンスターの胴をなぎ払う。
雨のような音がして血が吹き飛び、その飛沫がルゥの頬にかかる。それを鬱陶しげに右のグローブでぬぐうと、ルゥは一つ息を吐いて無感動な目でぐるりとあたりを見渡した。
決して広いとは言えない空き地には、無数のモンスターの死骸が転がっている。ルゥはあたりに他のモンスターの気配がないことを確認すると、剣を腰の鞘へとおさめた。

「弱えな……」

まるでそれが悪いことのように呟くと、ルゥは自分の言葉が気に障ったかのように表情を歪める。そして小さく舌打ちすると、足音も荒くその場を立ち去ろうとして、ふと風を感じたように顔をあげて背後をふり返った。

「黙って見てンじゃねえよ。さっさと出てこい」

苛立った低い声に応えるように、木立の間から音もなく人影があらわれた。ルゥの緋色の髪よりもなお鮮やかな赤く長い髪を揺らしてあらわれたその相手に、ルゥは思い切り顔をしかめる。わかってはいたが、あらためて相手の顔を見るとどうしようもない苛立ちを押さえきれなかった。

「何の用だよ」
「それはこっちの台詞だ」

ルゥと同じ声質の、だけどすこし低めの声がこたえる。にらみ合うようにして対峙した二人の姿は、衣服と髪の色に違いはあれども他人から見れば鏡あわせのように見えるだろう。
そっくりなのは当たり前だ。彼、アッシュとルゥは一卵性の双子なのだから。

「なにも言わずに出て行きやがって……。探すこっちの身にもなれ」
「どうせおまえには俺の居所なんてお見通しなんだから、別にかまわねえだろ」
「そういう問題じゃねえ。それに、いくら何でもてめえの居場所が正確にわかるわけじゃねえ……」
「へえ〜、そうなんだ。初めて知ったな。てめえは何時でも何でもわかったような顔してるからさ、俺の居所ぐらい完璧に把握してるもんだと思っていたぜ」

唇の端を歪めた笑みをむければ、同じ色の瞳が不快げに細められる。冷たい氷のようなその眼差しを受け止めながら、ルゥはさらに歪んだ笑みを深めた。
ルゥとアッシュは、少し変わった双子だった。外見がそっくりなだけでなく、その体を作り上げている音素の振動数までほぼ同じという、きわめて珍しい特徴を持っている。
おかげで双子に多く見られるというシンクロ性以上のものが、二人の間にはある。互いの不調や機嫌だけではなく、互いの居場所も何となく察することが出来るのだ。
だが子供の頃は当たり前だったそれも今となっては互いの確執を深める物だけでしかなく、二人は普段は互いに意識してその感覚を閉ざしていた。

「くだらねえことをいつまでも言ってるんじゃねえ。帰るぞ」
「やだね」

間髪入れずに即答すれば、アッシュのきつい視線が睨め付けてきた。

「ふざけんな! このままファブレの家を出るつもりか。絶対にゆるさねえ」
「家を出るつもりはねえよ、今のところな。だけど、てめえとは絶対に一緒に帰らねえ。っつうか、なんでてめえが迎えにくんだよ! 俺がいない方が都合が良いんじゃねえの? ルークのことだって……」
「そのルークが、お前を捜して欲しいって頼んできたんだ」
「ふ〜ん」

やはりアッシュの意思ではなかったのかと嘲るような気持ちと共に、自分でも良くわからない痛みが微かに胸の奥に走ったような気がして、ルゥはアッシュから視線を反らせた。
そう、わかっていたはずだ。アッシュにとって自分は邪魔なだけの存在なのだから。だから彼が自ら自分を探しに来るなんて、ありえないことなのだと。

「いくらルークの頼みでも、てめえと一緒なんてぜってーに嫌だね。俺は俺で、後から勝手に帰らせてもらうぜ」
「そのルークが、倒れたって言ってもか?」

その一言に弾かれたようにふり返ったルゥに、アッシュは瞳を細めた。

「わかったなら行くぞ。アルビオールを待たせてある」

それだけ言うと、アッシュはルゥから目をそらすようにして踵を返した。遠ざかってゆくその背を睨みつけながらルゥは小さく唇を噛むと、その背を追って歩きはじめた。




半月しか離れていなかったバチカルの屋敷は、さしてどこも変わりがないように見えた。
すでに連絡がいっていたのだろう、玄関ホールにはいるといつものようにメイドたちが恭しく頭を下げて出迎えた。
空々しい。
ルゥは綺麗にそろって頭を下げている彼女たちを見ながら、心の中ではそう呟いていた。
態度も悪く癇癪持ちな自分は、この屋敷ではひどく浮いた存在だ。彼女たちが、いかにも上流貴族の子息らしく完璧なアッシュと自分を比べてため息をついているのを、ルゥはよく知っている。
屋敷の使用人たちの誰もが自分をもてあまし、腫れ物に触るように遠巻きにしている。父親も自分に関しては最近では匙を投げてしまったのか、小言の数も少なくなった。母親であるシュザンヌはかわらずに優しいが、虚弱であるためにあまり頻繁に表に出てこない。
居心地が良いのか悪いのかもわからないこの屋敷が、ルゥは本当はあまり好きではない。以前はここまで酷くなかったはずなのに、最近ではこの屋敷にいると息が詰まるような気がした。
だから気晴らしに飛び出したのに、どうしていま自分はここにいるのだろう。そんなことを無表情な顔の下で考えていたルゥは、突然聞こえてきた声に自分の表情が微かに動いたのを感じた。

「おかえりなさい。ルゥ、アッシュ」
「ルークっ!」

執事のラムダスに支えられるようにしてその場にあらわれたルークに、ルゥよりも先にアッシュが反応した。足をとめたルゥの側を風のように走り抜けてアッシュはルークに駆けよると、ラムダスからその体を奪うようにして抱きかかえた。

「俺が帰ってくるまで、部屋から出るなと言っておいたはずだが?」
「だって、二人が帰ってくるって聞いたから……」
「言い訳はいい。部屋に戻るぞ。そこのお前、先に行って部屋を整えておけ」

アッシュは近くにいたメイドにそう命じると、有無を言わさずルークの体を抱き上げた。

「アッシュ! 自分で歩けるから!」
「うるせえッ! ンな青い顔して言う台詞か。行くぞ」
「ちょっと待てよ。ルゥ!」

抱き上げられながらも慌ててアッシュを制してこちらをふり返ったルークに、ルゥはびくりと小さく体を震わせた。

「お帰り。無事で良かった」
「……あ、ああ」
「後で、部屋にきてくれる?」

ふわりとやわらかな笑みをむけられて、ルゥは反射的に表情を強ばらせて目をそらした。

「……いかねえ。疲れてるし」
「そっか」
「じゃ、俺は部屋に戻るから」

あからさまに落胆したようなルークの声と、冷たい怒りを秘めたアッシュの視線がナイフのように突き刺さってくるのを感じながら、ルゥは二人の横をすり抜けて走り出した。
長い廊下を走って自分の部屋のドアの前にたどり着くと、未練がましいと思いつつもルゥは背後にある窓の方をふり返った。窓から見える中庭を、ちょうどアッシュがルークを腕に抱えながら離れの方へ向かってゆくのが見える。
ルゥは逃げるようにドアを開いて部屋の中に体をすべりこませると、ドアに背を預けたままその場にしゃがみ込んだ。

「なんでもない……、なんでもないから」

呪文のようにそう呟きながら、膝を抱えて体を丸める。
何を見たって平気なはずだ。あの二人のことは、もう自分には何の関係もないのだから。
でも、それならなぜ自分はこの屋敷に素直に戻ってきてしまったのか。そして先程アッシュがルークを抱きかかえるのを見て、どうしてあんなに動揺したのか。そう問われたら、ルゥには返せる答えがない。
ぎゅっと強く目を閉じてさらに強く膝を抱えながら、体を縮める。そうしないと、体の奥底から何かとても大きくて暗い何かが溢れてきてしまうから。なぜなら、あの事を知ったときから、ルゥは三人で作り上げていた世界から自ら遠ざかることを決意したのだから。
そのことを知ったのは、本当に偶然のことだった。
たしかに一度もそのことを考えたことがなかったと言えば、嘘になる。だけど心のどこかでルゥはそれを否定していた。
自分たち三人の関係はとても歪で、そこには美しい物も醜い物も入り交じっていたけれど危うい均衡は保たれていた。ルークは自分の被験者であるアッシュにより強く心をひかれているようだったが、ルゥにも精一杯応えてくれていた。
手を伸ばせばきちんと掴んでくれて、時々はアッシュよりも優先してくれる。もちろんその心がどこにあるかは知っていたけれど、それでもほんの僅かな期待を諦めることは出来なくて、ルゥはそこにとどまり続けていたのだ。
だけどあの日。ルークを驚かせようとそっと忍び込んだ書庫の中で見たものは、そのすべてを打ち砕くのに十分な物だった。
自分とおなじ緋色の髪がやわらかな絨毯のうえにひろがり、そこにさらに鮮やかな深紅の髪が交じり合っていた。
斜め後ろから見る形になっていたせいか、二人ともルゥの存在には気がついていないようだった。アッシュの黒い服に絡みつくように見える白い肢体。抱えあげられている白い足の腿の裏側の白さが、いやに眩しく目に映る。
ほとんど衣服を乱していないアッシュと、下肢だけをさらけ出されてその下にいるルーク。小さく泣きじゃくるような声と、耳を塞ぎたくなるほど淫らな水音。だがその奥底にひそかに快楽の音が混じっていることに、ルゥはすぐに気がついた。
強制された行為ではないのだ。もっとも、ルークがアッシュを拒むこと自体まずありえない。それが何であろうと、アッシュから与えられる物ならルークは受け止める。だからこれもルークの合意の上の行為なのだとわかっていた。わかっていたけれど、頭ではわかりたくなかった。
どうやって書庫から気付かれずに逃げ出してきたのかは、わからなかった。気がつけば自分の部屋のベッドの上で、破れた羽根枕から飛び散った白い羽根が自分だけでなく部屋の中も白く染めていた。
真っ白な羽根が散らばるベッドの上で、ルゥは声もなく泣いた。そしてその日から少しずつ、彼は自分の心を守るために二人から距離を置きはじめたのだった。

「大丈夫だから……」

見えない何かに押しつぶされそうになる心臓を守るように胸を押さえると、ルゥはまた小さく呟く。
そうしていれば、この痛みがどこかに消えてしまうのだとでも言うように。ただうずくまっていることしか、出来なかった。




「少し、熱があるな……」

いつもよりすこし血色の良い頬に触れると、掌にじわりと嫌な温度の熱を感じた。おもわずそれに顔をしかめると、ベッドの中から困ったような顔でルークが見上げてきた。

「ちょっと眠れば下がると思うから」
「大人しくしていないからだ」

そう軽く窘めるとルークはすこし不満そうな顔になったが、反論はしてこない。
かすかに汗で湿った前髪をかきあげて額に触れてやると、気持ちよさそうに眼を細める。それにつられるようにアッシュも表情を緩めると、ベッドの端に腰掛けたままの姿勢で体を伸ばしてルークの額にそっと口づけた。

「あまり、心配をかけるな」
「ごめんな……」

途端に情けなさそうに眉尻をさげるルークにアッシュはそっと笑いかけると、もう一度熱で薄く染まった頬を撫でた。
ルークの成長が止まったのは、二年前のことだった。
それまでアッシュやルゥと全く同じ速度で成長していたはずなのに、ある日を境にルークの体は時を止めたようにまったく変化しなくなったのだ。
ルークは人間ではない。10年前にアッシュから作り出された人工生命体、レプリカだ。それは十分わかっていたつもりだったのだが、いざそのことに直面するような出来事にぶつかって、アッシュは戸惑いを隠せなかった。
そして成長が止まると同時に、ルークの体は静かに衰えはじめていった。
はじめは風邪を引きやすくなったり疲れやすくなる程度の物だったが、しばらくして頻繁に寝付くようになった。
もともとレプリカの寿命は短い。それに、極秘裏に呼ばれた生体レプリカの創始者であるジェイドに言わせれば、ルークのように10年近くも生き延びたレプリカは前例がないらしい。
時がきたのだと、彼は告げた。
ルークが作られたときからずっと彼を見てきたジェイドがそう言うのだ。認めたくはなかったが、事実なのだろう。それでも最大限食い止める努力はしますと告げた彼に、アッシュはそれ以上は何も言えなかった。
ルーク自身も、自分がそう遠くないいつか消えてしまうことを知っている。
レプリカは死ぬのではなく、消えるのだ。跡形もなく。それを知ったときは、さすがに平静ではいられなかった。
だがこの事を知っているのは、ジェイドを抜かせばアッシュとルークだけだ。ルークが、そう願ったから。
屋敷の者達には、単に体調が優れないだけなのだとだけ告げている。成長していないことに関しても、虚弱になったためとごまかしてある。もちろんルゥにも秘密だ。
ルークがそのうち消えるとわかってからすぐに、アッシュはルークを抱いた。その行為自体が負担になるとわかっていても、そうせずにはいられなかった。
10年の間、アッシュはルークを自分の手元に置いて守り続けてきた。ひたすらルークに執着し、彼を守ることを優先してきた。誰よりも大切な自分の半身として。
その彼が自分の手からすり抜けて消えてしまうなんて、想像するだけで耐えられなかった。
アッシュにとってルークは自分の半身であるだけではなく、なくてはならない存在だった。アッシュが抱えている闇。10年前のあの日に生まれた闇から彼を救い出してくれるのは、ルークだけなのだから。

「……なあ、ルゥのことだけど」
「あいつがなんだ?」

ルークの口から発せられたその名に、アッシュは眉をひそめて不機嫌な顔になった。
実の兄弟だが、ルゥとの間には長年の確執がある。
もちろん本気で嫌っているわけではないが、彼とは相容れないところが多すぎる。昔はもっと気持ちも何もかも近い兄弟だったはずなのだが、今では誰よりも遠い。
はじめは一方的に避けられたり反発されていたのだが、ルークがやってきてルゥが自分の名前をルークにやったときから、彼らの溝は決定的な物になった。自分と同じように、彼もルークに惹かれているのだと、直感したから。
だが最近アッシュは、以前とは違う意味でルゥに対して反発を覚えていた。
あれほど自分と同じように執着して、隙あらば自分の方へ引き寄せてしまおうとしてたルークに対して、ルゥは最近掌を返したように冷淡にふるまうことがあった。
その度にルークは、ひどく傷つけられた顔をする。だから彼にそんな顔をさせるルゥのことを、アッシュは許せなく思ってもいた。

「さっきのルゥのこと、怒らないでやってくれるか?」

アッシュの渋面からそんな感情を素早く読み取ったのだろう、ルークは困ったような目でアッシュの顔を見上げてきた。

「勝手に呼びもどしたのは俺だし。だからルゥが怒ってもしかたがないんだ」
「相変わらずだな、お前は…」

傷つけられてもなおルゥの事を気にかけるルークに、アッシュは苦い笑みを浮かべる。自分でも逸脱しすぎた思いだというのはわかっているが、そうやって庇うような言葉をルークが口にするだけで、たまらなく汚い物が自分の胸の中に広がるのを時々感じる。
それでいて、ルゥのちょっとした表情などに無性に愛しさを感じることもあるのだから、やはり色々と歪んでいるのかもしれないと思う。
愛情と憎悪は紙一重の感情だというが、たしかにそうなのかもしれないと思うことがある。

「俺、ルゥのこと怒らせるしかできねえな……」

そうやって悲しげに目を伏せるルークに優しくしながら、アッシュは一つの真実を飲みこむ。
どうしてルゥがあれほど素直にこの屋敷に帰ってきたのか。その理由を。



「もう、寝ろ」

最後に優しくあやすようにルークを抱きしめてそう呟くと、アッシュはそっと体を離した。
すぐに眠りに落ちてゆくその顔を見つめながら、小さく息をつく。
大切なただ一つの緋色。たとえ誰が相手であろうと、触れることは許さない。
だが彼を思うとき。アッシュは自分が同時にもう一つの緋色に思いを馳せることには、まだ気がついていない。


どの緋色を愛しているのか、それはたぶん誰にもわからない。


END(07/12/09)