愛しき子供達




「…っの!アッシュの馬鹿野郎──っ!」
 ハゲ、デコ、などとさらに低次元な叫び声が聞こえたあと、扉を壊さんばかりの勢いで居間からルークが飛び出していった。
 ちょうど反対側の角を曲がってきたところでその現場に遭遇したガイは、一瞬ルークが駆け抜けていった方向を見やってから、思い直したように居間の方へはいっていった。
 そこには、予想どおりこれ以上ないほど不機嫌そうな顔をしたアッシュが、二つのティーカップを前にして腕を組んでいた。
「また、ずいぶんと派手にやらかしたな……」
 苦笑混じりにそうつぶやくと、いつもの三割り増し鋭くなっている目がガイを睨みつけてきた。
「……うるせえ」
「で、今日はなにが原因なんだ?」
 鋭い睨みもどこ吹く風と受け流し、持ち前の爽やかな笑みを浮かべたガイに、しかしアッシュはなにも応えずにただ睨みつけてくるだけだった。
 


 この赤毛二人は普段はこちらが恥ずかしくなるくらいに仲が良いが、些細な言い合いや小突きあいは日常茶飯事である。
 外見はそっくり同じな二人だが、中身はルークの方がだいぶ幼いせいか、たいていルークがアッシュに一方的に怒られているパターンがほとんどだ。
 もちろんルークの方も負けじと言い返すのだが、口では一枚どころか十枚くらいは相手の方が上手。結局最後はお子様の最終手段、じつに低次元な捨て台詞を言って走って逃げるという行動に出ることになる。
 しかしお子様故か、他のことにすこしでも気を取られると怒ったことを忘れてしまうひよこ頭。
 それはそれで可愛いなどと末期なこと思っているのは、赤毛の片割れだけではなく、育ての親であり現在ルーク専任の使用人兼騎士をつとめているガイも同じだった。
 だからこそ、今日の彼らの喧嘩がいつもとはすこし違う様子を見せていることにも、いち早く気づいていた。
「大したことじゃねえ…」
 いや、その顔があからさまに大したことだと語ってますから。
 表情豊かなルークとは対照的に、アッシュは普段から気むずかしげな表情が基本になっているせいか、一目ではその機嫌が分かりづらいことが多い。
 しかし、かつてそれぞれの使用人として仕えたことのあるガイには、アッシュが実はすこしだけ後悔している様子が見て取れた。
「……言いすぎた、ってところか?」
「んなことはねえ」
 それでも意地を張って認めようとしないアッシュに、ガイは小さく肩をすくめてみせる。その何もかも見透かしたような彼の態度に、アッシュは気にくわないといった顔で睨みつけてきた。

「それよりも、てめえはここにいていのか?」
「ん?」
「ご主人様を慰めにいかなくていいのか?使用人」
「ん〜、アッシュにあらためて使用人って言われるのはなんとなく複雑だなあ」

 本当はそんなことは思っていないのだが、案の定アッシュはそんなガイの言葉にショックを受けたような顔になった。
 まあルーク専任の騎士としてこれくらいの意趣返しは許されるだろう、とガイは内心苦笑いすると、あらためて
今回の喧嘩の原因を問いただした。
「今回の遠征についてくると言い出したから、却下しただけだ」
「今回の遠征って……、イニスタ湿原の調査か」
 つい先日、彼の地で偶然発見された新種の薬草に関する調査隊が派遣されると、そういえば聞いていた気がする。
 しかし場所が場所だけに、その派遣部隊の総指揮官にアッシュが名指しで任命されたのだった。
「別に、連れて行ってやってもいいんじゃないか?あそこでやっかいなのはベヒモスだけだろ」
 いまさらこの二人があのモンスターに負けるとは思えない。まあ、手こずりはするだろうが。
 それに、あそこにはベヒモス除けの薬草もあるのだから、細心の注意を払えばそこまで目くじらを立てるようなことではないだろう。
「てめえ、随分と気軽に言うじゃねえか」
「まあ、たしかにかなり厄介な相手だけど、おまえら二人きりなわけじゃないしな」
 最悪の場合、誰かを一時的に盾にすればいいし。そんな、なかなか素敵に人でなしなことを心の中だけで思いながら、ガイは小さく首を傾げた。
「二人きりじゃねえから、余計に心配なんだろうが……」
 わかっていない、というように顔をしかめながらため息をついたアッシュに、ガイはようやく彼が何にこだわっているのか納得した。
「……そういうことか」
「そういうことだ」
 不機嫌そうに眉間に皺を寄せたアッシュに、ガイは何とも言えない顔になった。
 自分たちだけなら、そう心配することはない。問題は、今回の調査には兵士以外の同行者がいることだ。
 もしなにかあった場合、後先考えずにルークは一番弱い彼らを守ろうと動くだろう。危険にさらされれば、自分の身を顧みずに庇う恐れがある。
「あんな危なっかしい奴を、連れて行けるか」
 アッシュは吐き出すような勢いでそう言い捨てたが、それが半分は照れ隠しなのだと分かっているので、ガイは思わず苦笑した。
「……って、ルークに言ったんだな?」
「……」
 どうやら図星だったらしい。察しのいい者ならその微妙なニュアンスをくみ取れたかも知れないが、いかんせん相手は天然で鈍感なルークだ。そっくりそのまま、その言葉を受け取ったに違いない。
 そりゃ怒るわな、とガイは心の中だけで呟くと、こりこりと頬を掻いた。
「おまえが行ってこい」
「ああ?」
 なにを言い出すとばかりに眉をひそめたアッシュに、ガイはそれこそ音が聞こえそうなほど爽やかな笑みを浮かべた。
「おまえが探して謝ってこい、って言ってるんだよ。どうせ後悔しているんだろ?まあ、どうしてもやだって言うんなら、俺がめいいっぱい優しく甘やかして……」
「てめえはいつだって、あの野郎に甘いだろうが!」
 そう言いながらも、アッシュは苛立たしげに乱暴な動きで立ち上がると、大股で扉の方へ歩いていった。
「たぶん、裏庭の楡の木の下にある茂みにいると思うぞ」
 いじけているときの、ルークの隠れ場所の一つだ。もうすこし落ち込みが酷いともっと奥の方に隠れていることもあるが、まあたぶんそのあたりだろう。
 だてに七年間もあのご主人様の世話をしてきたわけではないのだ。それくらいは、簡単に察せられる。
「うるせえ」
「っと、おまえには必要なかったな」
 便利連絡網があるおかげで、この二人はたいていの場合お互いの居場所をだいたい把握できる。もっとも、相手が強く拒絶している場合はそれもむずかしいのだが。
 アッシュは一度ガイの方へ射殺さんばかりのするどい視線を向けると、そのまま何も言わずに居間を出て行ってしまった。



 一人残されたガイは、腕を組みながら小さくため息をついた。
「まったく、世話のやける……」
 仲が良いくせに、いつも痴話喧嘩に巻きこまれるこちらの身にもなって欲しいものだ。
「シンクがいなくて助かったな」
 いたら今頃、あの切れやすい同僚とアッシュのあいだで一戦起こっていても不思議はなかったはずだ。
 なにしろ、本人は絶対に認めないだろうが、あれも自分に追いつきそうなくらいにはルークに甘いのだから。
 それでなくとも、こんなバカバカしい痴話喧嘩に気の短い彼が耐えられるはずがない。
 ガイは窓の外に目をやると、裏庭の方へ早足で消えてゆく赤い長い髪を見つけて小さく笑った。



 他のことでならいくらでも甘やかして慰めてやるが、今回は理由が理由だけに自分ではどうしようもないのだとガイは理解している。
 アッシュも今ひとつ分かっていないようだが、ルークが怒ったのは足手纏いだと言われたせいもあるが、自分がアッシュを守りたいのだという主張を理解してもらえなかったことの方がショックだったのだ。
 互いを思い合っているくせに、いまひとつ相互理解ができていないあの二人は、毎回同じようなことで衝突する。
 二人のあいだだけに通じ合える回路があるくせに、肝心なことはまったく通じ合えないのだから、なんのための便利連絡網なのだか。
 もっとも、それは互いがたがいの一番心の奥底にあるものを読ませまい読むまい、と思い合っているせいだからなのだろうが。
 

 不器用な、幼なじみ達。
 どちらもおもてに見える部分は違えど、その中心にあるのは怖いくらいにまっすぐな心。
 そのまっすぐさが、自分は好きなのだとあらためて感じる。


「さて、お茶の支度をし直しておくかね」
 どうせそのうちまたくだらない言い合いをしながらも、仲良くここに戻ってくるのだろうから。
 そうしたら、アッシュの目の前で思い切りルークを甘やかしてみるのも悪くはない。
 それくらいの意地悪は許されるだろう。
 

 愛しい二つの赤のことを思いながら、ガイはそっと微笑んだ。



END(07/03/28)



痴話喧嘩する赤毛を見守るガイ様。