いつか本当の




 この世界には、神に愛された子供にあたえられる印がある。
 人として生まれながら、体のどこかに人間以外の生物の一部を宿す者。そんな子供たちを、この世界では神の印を受けた子供として丁重に扱う。
 神の印を受けた子供は、その能力に大小の差はあれども、植物や生命に影響をあたえる力をかならず持っている。一番代表的なのは、緑の指と呼ばれる植物に触れただけでその生長を促す能力だが、それ以外にも個人差はあれども星の再生能力にかかわる力をそれぞれに宿している。
 そんな彼らを、人々は偉大な予言者の名を冠して呼ぶ。
 ユリアの子供たちと。



「アッシュ、ルークを知らないか?」
 そう言ってガイが困り顔で部屋に入ってきたのに、アッシュは読みかけていた本から顔をあげると顔をしかめた。
「こっちには来てない。お前と遊んでいたんじゃないのか?」
「うんまあ、そうだったんだけど……」
 気まずそうに言葉を濁したガイに、アッシュは怪訝な顔になった。
「珍しいな、お前があいつを怒らせるとは」
 ガイはアッシュとルーク両方の使用人ではあるが、どちらかといえばややルークよりの位置に立っている。ルークがアッシュのレプリカとして生まれてからまともに歩いたり話したり出来るようになるまで育てたのも、ガイだ。
 言うなれば、ガイはルークの育ての親に当たる。それこそ文字通り猫かわいがりをしているので、下手するとアッシュ以上にルークが懐いている相手とも言えなくない。
 だからなのか、ガイはルークの機嫌を取りなすのが上手い。どれだけ怒らせても上手いこと丸め込んでしまえるその能力は、ルークと大人げない喧嘩をすることの多いアッシュにとって少し羨ましくもある。
 そこまで考えてふとあることに思い至ったアッシュは、先ほどよりも顔をしかめてガイを軽く睨みつけた。
「……あいつの逃げ込みそうな場所なら、お前の方がわかるだろうが」
「ああ。実は居場所の見当はついている」
 あっさりとそれを認めたガイに、アッシュはさらに怪訝そうな表情を深めた。
「何が言いたい」
「おまえがルークのところに行ってくれないか?」
「なんで俺が行かなきゃならねえ」
 ほんの一瞬だけ、脳裏にしっぽと耳を垂れているであろうルークの姿が浮かぶが、すぐにそれを振り払う。
「だいたい、あの屑とお前の問題だろう?」
「たしかにそうだけど、今回はちょっと俺じゃあどうしようもないんでね」
 小さく肩をすくめて見せたガイは、答えを促すアッシュの目を見て自嘲げに笑った。
「実は明後日から一週間休暇をもらうことになったんだ、突然だけど」
「ああ、そういえばそんなことを言っていたな」
 今朝ラムダスからそんな報告を受けていたことを思い出して、アッシュは頷いた。
 ガイの仕事は主に自分たち二人の世話、特にルークのお守り役のようなものなので、今までまとまった休みが与えられたことがなかった。だが最近ルークにもだいぶ手がかからなくなってきたので、ようやくその機会が巡ってきたのだろう。もちろん、アッシュもそれに異存はなかった。
「さっきそのことをルークに話したら、盛大に拗ねられて逃げられた」
「……あのガキが」
 普段からルークは、ガイに我が儘放題に甘えている。外に出してもらえないこともあって、その依存率はかなり高い。だからと言って我が儘にもほどがあるだろう。
 そんな思いが表情に出たのだろう。盛大に顔をしかめたアッシュに、ガイは慌ててそれを否定するように首を振った。
「いや、たしかに拗ねられたんだけどさ。なんていうか、その理由が理由だからちょっと俺じゃあ慰められないんだな……」
「どういうことだ?」
「いいな、って言われたんだよ。ルークに」
 そう言って苦い笑みを浮かべたガイに、アッシュは咄嗟に言葉に詰まった。
「最初は盛大に拗ねられて、最後にぽつっと一言『いいな…』なんて言われたら、逃げられてもちょっと追いかけられなくてね」
 それでようやく納得が行く。
 普段から出入りの多いアッシュと違い、四六時中一緒にいるガイまでもが長い間自分の側を離れると聞いて、あらためて自分の立場に気付いてしまったのだろう。
 これは確かに、今のガイではなだめられない。
「……あいつの居場所、わかっているんだろうな」
 長いため息を一つつくと、アッシュは仕方なさそうに呟いた。
「奥庭の池かな。蓮の咲いている」
 あいかわらず迷いもなく答えるものだと感心しながら、アッシュは立ち上がった。
「おまえはあいつの好物でも用意して待ってろ」
「ああ」
 ガイはようやくほっとしたように笑うと、小さく頷いた。



 言われたとおりに、奥庭にある小さな古い池の畔を覗くと、ぽつりと膝を抱えて丸まっている背中と赤い髪が見えた。
 その赤い頭にある大きな白い猫科の耳は、予想していたとおりしおれたように垂れている。その背にむかって歩いてゆくと、足音を拾い上げたのかびくりとその耳が小さく震えたのがわかった。
「こんなところで何している」
「アッシュ……?」
 ぱっとこちらをふり返ったルークの顔が、驚きの表情を浮かべている。てっきりガイが探しに来たと思っていたのだろう。
「ガイの奴から話は聞いた」
「……うん」
 途端に情けない顔で眉尻を下げたルークに、アッシュはため息をつきながらその隣に腰をおろした。
「怒ってた?」
「あいつがお前に怒るわけないだろうが」
 普段からもう少し厳しくしても良いのではないかと思うくらいだし、今回の件についてはそういう問題ではないのだから。
「俺、ここから出られないのはわかってるんだけど、でもやっぱりすげえガイが羨ましかった……」
 ますます縮こまるように膝を抱える自分と同じ姿を持つ猫に、アッシュは無言のまま手を伸ばすとそっとその頭を撫でた。
 ルークは作られたときの刷り込みで、本来は外に出たいという欲求を制御されている。外に出られないことに、疑問を感じないように仕向けられているのだ。
 だが、本当に時々だが、こうやって思い出したように外に憧れることがある。
 おそらくそれは本能なのだろうが、普段制御されているせいか自分の中で膨らむその欲求に、自分でも強い戸惑いを覚えてしまうのだろう。
 特に今回はいつも身近にいるガイが長い間自分から離れると言うこともあって、その寂しさと一緒に吹きだした外への憧れに、自分でもどうしたらいいのかわからなくなっているのだ。
 ルークは、世間にはアッシュと双子の兄弟として公表されているが、実はアッシュのレプリカである。なんの因果か、レプリカでありながらユリアの子供としての特徴を備えて生まれついたルークの扱いは、ひそかに屋敷の中でも協議されていることをアッシュは知っている。
 だが今のところ、いざというときの己に対しての切り札として飼い殺しにされる運命をこの子供が背負わされていることに、変わりはない。
 アッシュは今、いつかこの自分の半身を自由にしてやるために日々研鑽を積んでいる。
 いつかすべてからこの小さな猫を攫って、この屋敷を出て行く。それがアッシュの今の望みだ。
 その計画には、ガイも一役かっている。いつか三人でここを出て自由になるために、彼もまたひそかに動いている。
 今回の休暇も、ルークがこうなるとわかっていても彼がかたくなにそれを決行しようとするのは、おそらくその計画に関する何かを外ですすめるつもりなのだろう。
 だが、そのことを今ルークに告げるわけにはいかない。
「俺は、明日からしばらく外出の予定がない」
 唐突にそんなことを言い出したアッシュに、ルークは顔をあげるときょとんと目を丸くした。
「だが、使用人一人いないだけでべそをかくような猫の相手はつまらんな」
「え?ええ?アッシュ、しばらく屋敷にいるのか?」
 慌てたように顔を寄せてきたルークに、アッシュはかすかに唇の端をあげてみせる。
「ついでにどれくらいお前の勉強が進んだか見てやる。覚悟しろよ」
「……うっ!」
 途端に顔をしかめたルークの頭をがしがしと乱暴に撫でると、アッシュは立ち上がった。
「戻るぞ。ガイの奴が死にそうな顔をしていた」
「あ、うん」
 ルークも慌ててアッシュの後を追って立ち上がると、ぱたぱたと長いしっぽを振った。
「なあなあ、この間買ってくれたゲームしたいな。俺」
「テメエじゃ相手にならねえ」
「んだとっ!やってみなくちゃわからねえだろ」
 ぴんと跳ねあがった白い大きな耳に、アッシュは喉の奥で小さく笑った。
 まとわりつくように落ち着きなく自分についてくるルークを、からかったり時にはすこしだけ手を引いてやったりして歩きながら、アッシュは嬉しそうに自分を見上げてくる同じ色の瞳に笑い返してやった。
 世界を知らない、小さな白い猫。
 いつかその目に本物の世界を見せてやりたいとあらためて決意しながら、アッシュは明日からのことに思いを馳せていた。



END
(07/06/12)


ネコミミ2個目