メランコリア




 窓から落ちる月明かりに浮かび上がるベッドの支柱に、白い花が咲いていた。
 それは奇妙な形をした花で、ときおり風に吹かれるようにゆらゆらと揺れ、そのせいか時折形さえも変わって見えた。
 だが少し近づいて見れば、それが幅広の布で縛り付けられた手なのだとすぐにわかる。
 その手をたどるように視線をおろすと、しなやかな筋肉のついた腕が続き、シーツの上に広がる鮮やかな朱赤の髪がすぐに視界の中に飛びこんでくる。
 ルークは広くて柔らかな自分のベッドの上に、衣服をすべて剥がれたまま左手を拘束されて横たわっていた。



「……んっ……」
 糊のきいたシーツの上に、朱赤の髪が耐えきれないように何度も散らされる。象牙色の頬は淡く色をのせ、吐息をこぼす唇も常よりも赤く色づいている。
 声が漏れないように防壁が張られているというのに、ルークは頑なに声をあげることを拒む。その顔を、アッシュは感情のうかがえない表情のまま見下ろしていた。
 拘束していない方の手が僅かに抵抗らしきものを見せるが、わざと手荒くその手をシーツの上に縫い止めれば、震える睫の下から潤んだ翡翠の瞳があらわれる。
 そこに浮かぶのは、抵抗よりも諦めと絶望感。
 自分がそうさせているのだとわかっていても、あらためて見せつけられると理不尽な苛立ちがこみ上げてくる。
 緩やかな刺激を与えていた指を強めてやれば、しなやかな体がのけぞる。
 雫をこぼす先端にかるく爪を立ててやれば、小さな悲鳴があがる。すでに限界近くまで追いあげられている欲情に絡めた指に力をこめれば、それだけで面白いように白い体がのたうちまわった。
「……やっ…ううっ……」
 切なげな喘ぎとともに、縛められている腕がゆらゆらと揺れる。
 初めのうちはそれでもなんとか縛めをほどこうと、揺さぶったり自由になる方の手を伸ばそうとしていたようだが、すでにそんな気力は尽き果ててしまっているのだろう。ぐったりと力を失って伸ばされた腕の先で、白い指だけがゆらゆらと風に吹かれる花びらのように頼りなく揺れている。
 左手を縛めたのは、ほんの気まぐれからだった。
 普段からこの行為を渋々と受け入れているルークに、理由のない苛立ちを感じていたということもあった。
 衣服を剥いですぐに左腕を支柱に縛り付けたとき、一瞬ルークの瞳は信じられないとでも言うように大きく見開かれた。体を繋ぐことに関してはすでにはじめから諦めているルークも、さすがに理不尽な扱いを受けることに関しては僅かながらも抵抗を見せる。
 一瞬だけこちらを睨みつけようとした瞳が、しかしすぐに何かに気がついたように光を失う。何かを言おうとしかけた唇も、すぐに閉ざされる。だが、それがひどく気に障った。
 いつもよりも手荒く追い詰めながら、それを必死に受け止めようとするルークの顔を見下ろす。
 快楽と苦痛の狭間で必死に何かを耐えようとするその顔を見ていると、どこまでも酷く扱って滅茶苦茶にしてやりたい衝動を覚える。まるで殉教者のようなその諦めの顔は、アッシュの中にあるルークへの後ろめたさと嗜虐心を酷く刺激するのだ。
 ひくりと小さく震えながら達した体をろくに慣らしもせずに貫けば、同じ顔のはずなのにまるで子供のように見える顔が苦痛に歪む。それでも、ルークは完全には拒まない。
 苦しげな声をあげて抵抗するように身を捩るが、すぐにそんな自分の反応を酷く罪深いことのような表情をしてやめてしまう。
 諦めという名の従順。
 それを強いてるのは自分とはいえ、苛立ちは降り積もってゆく。
 苦痛にのたうち回っていたルークの体が、少しずつ慣れはじめたのか快楽の兆しを見せはじめる。ほとんど日を置かず抱いているせいもあって、ルークの体はどれほど酷く抱いてもすぐに素直に快楽を拾うように躾けられつつある。
 すでに焦点を失いはじめた翡翠色の瞳から、いくつもの涙がこぼれ落ちる。
 それが酷く重かった。



 涙の跡の残った頬をそっと指でたどりながら、アッシュはそっとルークの額に散った前髪を払った。しかし行為の後にそのまま意識を失うようにして眠りに落ちていったルークは、目覚める気配はなかった。
 いつでも手酷く抱いた後には、後悔だけが残る。
 必要な事だったはいえ、自分の嘘がルークを傷つけていることはアッシュも嫌と言うほどよく理解している。だがどれほど自分の心が痛もうとも、アッシュは自分の胸の中に秘めた真実を告げるつもりはなかった。
 もし本当のことを告げたら、この優しすぎる子供は今よりもいっそう傷つくに違いないことがわかっているからだ。
 この行為がアッシュのためではなく、自分自身のために行われていること。そして本当は自分が貪られているのではなく、ルークの方がアッシュの生気を奪っているのだと知れば、彼は間違いなくアッシュではなく自分自身を責めるだろう。
 そう言う性格なのだと何となく理解してはいたが、実際にこうやって一緒に暮らすようになってからはその予想は確信へと変化していた。
 だからアッシュは、ルークが疑問を持たないように振る舞わなくてはならない。それが、自分の本心からかけ離れたものであったとしてもだ。
 正直なところ、はじめは自分で決めたこととはいえ、自分のレプリカ、それも同性の相手を抱くことに抵抗があるのではないかと思っていた。
 しかし実際に踏み込んでしまえば、全く抵抗を覚えないばかりかこの行為自体にのめり込みはじめている自分に気付かされた。
 自分の中にあった形のないルークへの感情。それはあまりに複雑すぎて自分でも解くことの出来ないものだったが、一度自覚させられてしまえばどこまでもはまりこんでゆく自分が怖くもあった。
 この行為がルークを生き延びさせるためのものなのだと割り切っていたはずなのに、数を重ねる間にどちらが目的なのか自分でもわからなくなりはじめていた。
 嘘で縛り付けた関係であっても、ルークが従順に自分に従うことに歪んだ喜びを覚えたのも事実だ。
 いくら手を伸ばしても、どれだけ酷く扱ってもルークは拒まない。
 それがこの上もない優越感を生むと同時に、どうしようもない苛立ちをも生むその矛盾。
 いくら想いを自覚しても、それを口にすることは出来ない。もし想いを拒まれても関係だけを続けてゆく泥沼にはまりこむくらいなら、いっそ自分の心を殺してでも今のままの関係を続けてゆく方がいいのだろう。
 だがそれでも、押しつぶされた心は時折悲鳴をあげ、結局はその悲鳴が苛立ちとなって愛しく想う相手を傷つけることになるのは皮肉なことだ。



 傍らに眠るルークの髪をそっと壊れ物にでも触れるように撫で、髪にキスを落とす。
 ルークの意識のない間にしかできない、偽らない心からの行為。
 いっそのことルークの心を壊してしまえば、自分もルークもこんな苦しい関係を続けなくて済むのかもしれない。だけどそんなことを自分が出来るはずがないことも、アッシュは自覚している。
 この心があるからこそ、自分であり彼であるのだから。
 さあ、もう行かなくてはならない。
 恋人同士のように最後まで共に過ごすことは、今の自分たちにはありえないのだから。
 だけど後ほんの少しだけ、いま隣にある愛しい相手のぬくもりを感じていたかった。



END(07/07/15)





50000+αhitのリナ様からのリクエストで、『カノン本編中のアッシュの心情』でした。
ええとまあ、アッシュもぐるぐるしていたということで…。こんな感じでよろしかったでしょうか?しかしアッシュの心情を書くとどうしてこうやばげな感じなのだろうか…。
リクエストありがとうございました。