花はほほえむ







 湿った熱い息を間近に感じながらふと視線をあげると、半分開いたままだったカーテンのむこうの夜の背景に、白い雪が舞っているのが見えた。
 
 
 別にそれ自体は、不思議なことでもなんでもない。
 ここは一年のほとんどを雪に閉ざされた白銀の世界、ケテルブルグなのだから。
 ただ、いまこここにある熱と、ガラス一枚隔てた外にある世界との落差にすこしだけ何かを感じたのかもしれなかった。
 

 
 小さくかすれたような音にふと意識をもどすと、すでに涙で潤みきった瞳がひたとこちらをとらえていることに気づく。
 その中にかすかな非難の色を読み取って、ジェイドは薄く笑みを唇の端に刻んだ。
「んっ……」
 緩やかな動きを再開してやると、にらみ付けてきていた瞳に甘い色がのる。
 それが自分でもわかっているのだろう、決まり悪げに視線をそらすのさえも不思議に愛しく思えて、胸の奥から何かが突き上げてくる。
 組み敷き貫いた体はまだどこか未完成で頼りなく、初めて抱いたときには、あまりに予想していたのとはかけはなれた華奢さに驚かされた。
 もっとも、実際に触れてみれば、細くはあるがしなやかな体は決して女性的な華奢さとはほど遠いものだったけれど。しかしジェイドが感じた軽い恐怖心さえ感じさせたもろさは、子供の心の中にこそひそんでいた。
「…っ、ふっ……やぁっ…」
 少し揺らすようにして抜き差ししてやれば、ひくりと白い体が震える。
 腕にすがりつくようにのばされた指に、すこしだけ力がこめられる。
 漏れた嬌声を恥じるように引き結ばれた唇にとがめるように軽く舌先で触れてやると、体の中を穿つ熱の角度が少しずれたせいか、さらにうわずったような声が上がった。
 まるで何かにおびえたようなその声の響きに、嗜虐心をそそられる。
 そのままわざとゆっくりと中の熱を思い知らせるように突き上げてやると、今度は泣き出しそうな瞳が見上げてきた。
「…じぇ…ど…」
 舌足らずの子供のように名を呼ぶ子供に小さく笑みを落とすと、ジェイドは白く長い指を子供の下肢の間で先走りの蜜を流しはじめている熱へと絡めた。
「ずいぶんと感じているみたいですね、ルーク…」
 名を呼んでやれば、泣き出しそうに顔がゆがめられる。
 別に責めているわけではないのに、たまに彼は情事のあいだにそんな顔を見せることがあった。
 そのたびに、何かがちりちりとジェイドの胸の奥にあるなにかを刺激する。
 そしてそのたびに、ジェイドは腕の中に抱きしめたこの子供をめちゃくちゃに壊したくなる衝動にかられるのだった。

 

 蜜をこぼす熱をきつく刺激してやれば、熱くとろけるような内壁がまるで生き物のようにうごめいてジェイドのものを締め上げた。
「…やっ…っんん……あ、ぁっ!」
 先端の蜜をあふれさせている小さな入り口を爪で刺激すると、ひときわ大きな悲鳴があがる。
 ぐちぐちと耳にうるさいほどにひびく水音も、すでにルークには聞こえていないのだろう。
 息をするのが精一杯といった感じの荒い呼吸をくりかえし、痛いほど与えられる前への刺激と逆にまったく動かなくなってしまった後ろの動きに焦れたように腰を揺らめかしはじめている。
 それでもまだ恥ずかしさが先に立つのだろうか、その動きはほんのわずかなもので、その物足りない動きが逆に自分を追い詰めていることに彼は気づかない。
 

 
 どんなきっかけでこの子供に手を出したのかを、ジェイドはあまりはっきりと覚えていない。
 突き上げられるような衝動を抑えきれずに伸ばした手の中に、あまりにあっさりとこの子供が落ちてきたからだ。
 初めて組み敷いたときにはたしかに抵抗をしていたが、それがいつの間にかなくなったことに気づいたのは、すべてが終わってからのことだった。
 初めての行為に抗いきれなかったのだろうとはじめは思っていたのだが、それにしてはその翌日に顔をあわせたルークは彼をなじるようなことはしなかった。
 逆に無理な行為で体調を崩したことに、申し訳なさそうな顔をむけてくる始末だった。
 わからないままに、ひそかに続けられる行為。
 曖昧で理由のわからないことを自分はなによりも嫌っているはずなのに、どうしてかやめられなかった。
 そしてたどり着いた、恋なのか愛なのかもあいまいな感情。
 たぶん『そうよばれる感情』なのだろうと推測しながら口にした告白にも、子供はただほほえむだけだった。



「ひっ……!やあぁっ!」
 今にも達しそうだった熱の根本を握りしめることでせき止めると、ひどくせっぱ詰まった声があがった。
 追い上げるように突き上げる動きを強めると、甘い声をあげながらしなやかな体が腕の中で踊る。
 ひくりとひきつる喉がそらされ、短くなった夕日色の髪が湿ったシーツをたたく。
 柔らかく熱く蠢動する内壁が、快楽の奥へと誘う。
 ぎりぎりの一線が目の前に迫る。
 せき止めていたルークの熱を強く扱きあげることで解放させると、ひときわ高い声が熱に染め上げられた唇から発せられた。
 それとほぼ同時に、ジェイドも自身の熱を彼の奥深くへとたたきつけた。
 せわしない呼吸と熱が混じり合い、ずるりと組み敷いた体がベッドに沈み込む。
 熱の余韻にほてった頬をさらしたまま、ルークは意識をとばしてしまったのかそのままぐったりと動かなくなってしまった。
 中から抜き出しても目覚めない子供に小さくため息を一つ落としてから、ジェイドは髪をかき上げながらベッドを降りた。
 浴室に向かい、後始末に使うためのタオルを用意しても戻っても、まだルークは意識を取り戻していなかった。
 汚れた肌を清め、少し考えてから中のものを掻き出してやる。
 それでも意識を取り戻さない彼に、かすかな不安がつのってくる。
 彼が意識を飛ばしてしまうのは初めてではないし、こうやって意識のないルークの世話をしたことも何度かある。
 それなのに、どうして今日に限ってこんなにも不安になるのだろう。
 
 

 軽く頬をたたいても、彼は目覚める気配がなかった。
 それにますます不安にかられてさらにすこし強く頬をたたくと、ようやく伏せられていた青いまぶたが震えて、その下に隠れていた新緑の瞳があらわれた。
「……んっ」
「大丈夫ですか?」
 そっと尋ねると、意識が戻ったばかりでぼんやりとしている顔でコクリと小さく赤い頭が振られた。
 その、まるでいとけない子供のような仕草に、ジェイドはいつもの彼らしい笑みを浮かべた。
 自分らしくないことをしている、という自覚はあった。
 どうして今日に限って、こんなにもよくわからない気持ちになるのだろう。
「……もしかして俺、気失ってた?」
 何度か瞬きをして意識がはっきりしてきたのだろう、存外しっかりとした口調でルークが尋ねてくる。
「ええ…」
 ふうん、と子供は小さく鼻を鳴らすようにして答えると、気怠げにごろりと体を返した。
「よかったですか?」
 いつもの雰囲気を取り戻しつつあるルークにつられたように、ジェイドは軽い口調でそう尋ねてやった。
 いつもの、彼らしい口調で。
「…ばっ、てめっ!んなこと聞くなよ……」
 とたんに顔を真っ赤にさせた子供に、今度は作り笑いでない笑みが漏れた。
「気を失うほどにはよかったのでしょう?」
 揶揄るような調子をこめて続けると、きっとさらに言い返してくるだろうと思われたルークはむっとした顔をしながらも、小さくうなずいた。
「……気持ちは、よかったと思う」
 その瞬間、自分がどんな顔をしたのかジェイドは自信がなかった。
 いかにも幼い物言いをすることの多いこの子供から、思いがけない一言が出たのだから。
 その驚きが表情に出ていたのだろうか。
 ルークはきょとんとした顔でジェイドを見上げると、小さく首をかしげた。
「だって、おまえが言ったんだろう」
「はあ、まあ…そうですが」
「それに、その方がずっといいし」
 ゆるりとした笑みが浮かぶ。
 その笑みに、すっと、氷で背筋をなでられたような感覚が走る。


「『小さな死』がこれだけ気持ちいいなら、たぶん平気だから…」


 綺麗な、小さな花のような笑み。
 その笑みに、裏切られる。
 
 
 何度目かの時に何気なく語った、冗談。
 まだそのときは、この子供の死を予感してはいても、ジェイドにはそれがひどく遠いもののように感じられていたから。
 絶頂で意識を失うことを、俗では『小さな死』というのだと軽口をたたいたことがあった。
 じゃあ、さっきのあなたは一度死んで生き返ったことになりますね。
 そんな風に、いつもの調子で話した。


 どれだけ自分は、『死』というものを実感できていないのだろう。
 それに近い場所にいるとわかっていた子供に、平気でそんな軽口をたたけたのだから。
 

 人を気遣うことに不器用な子供は、死をおそれているふりを見せない。
 いや、もしかしたらジェイドとはまた違った意味で、『死』というものを理解していないのかもしれない。
 だからこそ、そんなにも綺麗に笑うのだ。


 どうしてこの子供に手を伸ばしてしまったのか、その瞬間にわかってしまった。
 『死』というものをきちんと理解できない自分でも、それが手のひらからこぼれ落ちていってしまうことなのだということは、わかっていたから。
 だから、しっかりと手でつかむために手を伸ばしたのだ。
 まるで、何かを取り上げられそうになった、子供のように。
 
 
 目の前にいる子供は、眠たげに大きくあくびを一つした。
 もうずっと眠りの浅い彼は、抱かれた後だけはそれこそ死んだようによく眠れるのだと、いつだか笑って言っていた。
 でも本当はその言葉さえも、無意識のうちにジェイドをすくい上げるために口にしていた言葉なのだと、この子供はわかっていないだろう。
 
 
 大声で叫ぶことも泣きわめくこともできず、ただその手を無理矢理引きずって抱き込んだ自分を、この子供は黙ったまま許している。
 だけどたしかにルークがジェイドの手を必要としているのも事実で、だからこそ真実は綺麗な粉雪をふりかけたように隠されてしまう。
 
 
「もう、眠りなさい…」
 柄にもなくそっとまぶたを手のひらで覆ってやれば、小さな笑い声の後に吸い込まれるように寝息を立てて子供が眠りに落ちる。
 その静かな寝顔を見下ろしながら、ずるさだけを身につけて生きてきた彼は小さくため息をつく。
 


 その胸の痛みこそが、情と呼ばれるすべての感情の源になるものだと言うことにも気づかずに。
 
 
 
 END
(06/12/06)

初めてがジェイルクエロになるとは予想外…。