風の便りが




 
 光の王都とよばれるバチカルは、自然にできた地面の窪みを利用した要塞都市である。
 町は数層に別れており、上層は貴族の居住区、下層は一般市民の住む城下町とにわかれている。
 そのため縦に長い造りとなっていて、一般居住区から最上階の城を見あげると霞がかかって見えるほどである。
 町にはいるための大橋からのぞむバチカルは、幾層にも重なり合った古い物語にある塔のようにも見えたし、子供の感覚で言えばクリームを山のように積み上げたモンブランのようにも見える
 下層にひろがる市街地の空をかすめて、白い翼が舞う。
 鳥はさらに町の外側を掠めるようにして上へのぼってゆくと、最上層にあるひらけた空へと舞い上がった。
 いかめしい譜業にかこまれた王城の屋根を掠め、そして鳥は立ち並ぶ大貴族の屋敷の方へと下りてゆく。
 その中でも、一番王城に近い場所に立つ広大な屋敷の上をゆっくりと円を描くように旋回すると、鳥はやがていくつも並ぶ窓の中のひとつにすいこまれるように飛びこんでいった。




 翼の音に先に顔をあげたのは、ナタリアの方だった。
 長い尾羽を持った白い鳥は、彼女たちのいるテーブルから少し離れた場所にある執務机の横にある止まり木にとまると、きゅるりと小さく鳴いた。
「アッシュ、お待ちかねの定期便のようですわ」
 ナタリアはそういって鈴を転がすような笑い声をあげると、手元にひろげていた本をとじた。
「ナタリア?」
 怪訝そうに眉をひそめたアッシュに、何もかも見透かすような笑みをナタリアは浮かべた。
「ずっとそわそわなさってましたもの。わたくしが気づかないとも思いまして?」
 小首を傾げる仕草はわずかにからかいを含んでいたが、その瞳はあくまでも優しくアッシュを見つめている。
「だいたい、わたくしを今日呼んだのも、この間のダアトの訪問の件について詳しくお聞きになりたかったからでしょう?」
「……そのわりには、あまり話をしてくれなかったようだが」
「そのくらいの意地悪は、許されると思いません?」
 以前は素直すぎるくらいにまっすぐだった王女は、最近では誰の影響なのかそんなふうに軽い嫌味を言うようになっていた。
 それをすこし苦く思う反面、精神的に成長した証だとひそかに嬉しくも思う。
 すでに婚約は解消してはいるものの、アッシュの中でナタリアは、母親であるシュザンヌの次に大切な女性であることにはかわりない。
 彼女の成長はアッシュにとって喜ばしいもののひとつであることは、間違いなかった。
「わたくしは叔母様とお話ししてまいりますわ。何かわたくしにも伝言がありましたら、教えてくださいね」
 ナタリアはテーブルの上に散らばっていた書類を集めて紙ばさみにしまうと、苦笑いするアッシュを置いて部屋を出て行った。
 部屋の扉の閉まる音を聞いてから立ちあがると、アッシュは鳥の待つ止まり木の方へとむかった。
 白に金色を散らしたような不思議な羽を持つその鳥は、アッシュの顔を見あげるときゅるりと嬉しそうにひとつ鳴いた。
 アッシュがそっとくすぐるように喉を撫で上げてやると、鳥は丸い目を大きく見開いたまま待ちかねていた声で語りはじめた。



 ──アッシュ、元気かな?
 この間ナタリアがこっちに来て様子を聞かせてくれたけれど、すごい頑張っているって?
 この間返事をくれたレプリカ保護の件についての案件、さっそくアニスとも相談して大詠師トリトハイムに伝えてみたんだけれど、いい感触の返事がもらえたぜ。
 アッシュが具体的な案を出してくれたおかげだと思っている。俺だとまだそういうところまで頭が回らないからさ、本当にありがとう。
 何かしたいとは思っていても、具体的なことを思いつけるほどまだ俺は世界のことについてしらないんだなって、実感するよ。ガイとかこれからゆっくり勉強していけばいいって言うけれど、どれくらいかかるか見当もつかねえよな。
 ガイと言えば、このあいだもこっちに来るついでに二三日遊んでいってくれた。ダアトでの生活に不満があるわけじゃねえけど、やっぱりよく知っている奴と一緒だとすこしほっとする。あ、アニスには内緒な。そんなこと言ったって知られたら、絶対に拗ねてなんかたかられるから。
 そうそう、ジェイドを通してマルクトのピオニー陛下から、レプリカの学校のことについて援助の申し出があったんだ。実際、ローレライ教団の方も人手不足だからありがたく受けることにしたんだけれど、教師についてはキムラスカからも派遣してもらった方がいいんじゃないかって言われた。どう思う?
 っと、仕事の話をこれくらいにして。
 アニスが自分のことも報告しろって言っていたから、一応。
 ナタリアが来た後、ちょっと風邪をひいた。でももう治ったから!鼻声なのは、まだちょっと鼻だけのこっているだけだからな?
 それ以外はおおむね元気です。最近は熱とかもあまり出さなくなったし、ちょっとでも無理しようとすると、アニスからきついお説教もらうからな。つか、あいつ本当にそういうところうっせーよ。まさかおまえ、アニスになんか握らせてんじゃねえだろうな……?
 フローリアンも元気にしている。
 顔を見ていると今でもたまにイオンのこと思い出すけれど、性格が全然違うからやっぱり違うんだなって思う。でもあたりまえだよな、俺とおまえだって全然違うんだから。
 ──実は今日連絡したのって、こっちにもどってからもうすぐ一年だなって気がついたからなんだ。
 最初は一年なんて長すぎるって思っていたけれど、実際過ぎてみたらそうでもないんだなってちょっとびっくりした。前は軟禁生活だったから退屈で死にそうだったけど、いまはそんなことないもんな……。
 ──でも本当は、ちょっとバチカルが懐かしい。
 あんなに出て行きたかったのに、帰れなくなったらすごく懐かしくて仕方ない。
 だから、来月の休暇の一日目は俺からそっちに行きたい。……本当はそれが言いたかったんだ。
 その後の予定はアッシュにまかせるから。
 ──休暇まであとひと月を切ったし、すごく楽しみにしている。
 アッシュに会えること。
 声だけじゃなく、手紙だけじゃなく会えるのがすごく嬉しい。
 アッシュがどんなふうになっているのか、すごく楽しみにしている。
 ──ああ?うっせーよおまえ!
 ──わりい、追い出していたブタザルがなんかわめいてるからこの辺でな。会えるの楽しみにしてるからな!



 ぴたりと鳥はなきやむと、きゅるりとなにかを催促するように鳴いてアッシュを見あげた。
 アッシュは机から丸くて平たい箱をとりだすと、中からキラキラと光る小さな結晶をとりだして鳥にあたえた。
 エンシェント鏡石を砕いたこの結晶は、特殊な工具を使わないと取り出せないこともあって、恐ろしく高価だ。とくに今はフォミクリー研究が制限されていることもあって、特別な許可がないと手に入れることはできない。
 本来は第七音素を糧とする鳥なのだが、第七音素の不足している今の世界ではこれがかわりになる。
 人の言葉を話すこの白い鳥は、世界でたった一羽しかいない特別な鳥だ。
 アッシュとルークがこの世界に帰還したとき、ローレライが特別に彼らにあたえたてくれたのだ。
 そろって世界に帰還した彼らには、しかし手放しで喜ぶことのできない問題がまだ残っていた。
 ローレライの能力を持ってしても、大爆発を一時的に食い止めることはできても完全に問題を解決できるにいたらなかったのだ。
 もとは一人だった彼らは、近くにあれば互いに引き合う。
 ローレライは、彼らが必ず海を隔てた別の大陸にいるなら互いに世界に存在できると告げた。そして、いまはそれが精一杯なのだと。
 レプリカは人の手によって作り上げられた存在だから、人の手でしか進化することができない。彼らが共にいられるようになるには、人の手が必要なのだとも。
 そのため、二人は帰還してすぐに別れて暮らすこととなった。
 今度はアッシュがバチカルに戻り、ルークはローレライ教団の賓客としてダアトにとどまることになった。
 ダアトはまわりを海に囲まれた、ひとつの大陸だ。
 それに、ダアトにはすでに閉じられたとはいえパッセージリングのひとつがある。
 不安定な存在であるレプリカのルークにとっては、キムラスカに戻るよりもずっと安全な場所だった。



 一年のあいだ、彼らは手紙と鳥を介しての声のやりとりしかしていない。
 どれだけ会いたくても、会うわけにはいかないからだ。
 それでも、ローレライはかろうじて七日間だけ彼らに猶予を与えてくれた。
 一年に七日だけ、彼らは音素たちの加護の元にともに過ごすことができる。
 この一年を指折り数えたのは、ルークだけではない。アッシュもこの一年、バチカルで政務の末端に関わる忙しい日を送りながらも、その日を心待ちにしていた。
 声を聞けば会いたい気持ちがつのる。だけど声も聞かないでいることには、耐えられない。
 ローレライの鳥は、声だけを運ぶ。
 しかし、それにどれだけ救われているだろう。
 二人の抱える問題については、マルクト・キムラスカ両国で研究が進められている。
 しかしそれがいつ解決されるのかは、誰にもわからない。
 それでも愛しくおもい、求める心はとめられない。



 もう一度そっと鳥に触れると、愛しい声があふれ出す。
 ときどき、何もかもかなぐり捨てて会いに行ってしまいたいという衝動にかられることがある。
 なんの障害もなく彼に会うことのできる人々を、恨めしく思うこともある。
 しかし自分の短慮がルークの存在自体を消してしまうことになることがわかっているから、アッシュはなんとか踏みとどまることができる。
 世界は、いつまでも自分たちに残酷な現実を見せつける。
 それとも、たがいを失わないですむ方法が見つかったことを考えれば、すこしは救われているのだろうか。
 歌い終えた鳥は、再び黙りこむ。
 その羽をそっと撫でながら、アッシュはいつまでもそこに立ちつくしていた。




END
(07/02/19)


風の便りでしか互いを知ることのできない二人
元ネタは十二国から。ルークの口調については、できれば目を瞑ってくださるとありがたいです。