小さな共犯者の決意




久しぶりに戻った実家に流れる空気は、どことなく以前と違う色をまとっているように見えた。
何となく落ち着かずにきょろきょろと視線をさまよわせていると、トンと軽く隣から肩を叩かれる。それに視線をあげると、サフィールがさりげなく眼鏡のフレームにかかった髪を払うのが見えた。
何となく落ち着かないのは、いま隣に立つこの共犯者の外見がいつもと違うせいもあるのかもしれない。
いつもは雪のように白い銀色の髪が、闇夜のような黒に染められている。薄い柄図レンズを通して見える瞳こそいつもと変わらない赤だが、黒髪の彼はいつものどこか浮ついたような雰囲気が潜み、代わりにいつもはあまり気がつかない理知的な印象が強く感じられた。
いや、本当は落ち着かない理由はそんなことではなのだと、アッシュは気がついていた。
客人の一人として迎え入れられた自分に対する、屋敷の中でも顔なじみのものたちの態度があまりに自分の知っているものとは違うからだろう。
本当は、いますぐこの場で声を大にして叫んでしまいたい。
自分はここにいるのだと。
今この邸にいる、自分として傅かれているのは偽物なのだと。
いまここで叫んでしまえのも、それはそれで一つの手なのかもしれない。もしかしたらそれによってヴァンの野望だって、早いうちに芽を摘んでしまえるかもしれない。
だけどそれでは根本的な解決になにも結ぶつかないのだということも、利発な彼には理解できていた。
この件に関しては、それこそ何度もいま隣にいるこの男と話し合ったのだ。
サフィールは研究者らしく実務的なことにはあまり長けていないのだが、彼がルークから聞いて得た未来に起こりうることへの対応策とあわせて、そして彼なりに必死に考えて答えをだしたのだ。
ルークの記憶が戻るまでの七年は、雌伏期間とすることを。
その間にだって、いくらでも出来ることはある。七年後に訪れる運命の日のために、いまは己の力を高めるべきなのだと。
だけど、そうやって大人びた考えを巡らせることは出来ても、所詮まだアッシュだって甘えたい盛りの子供だ。これがヴァンのゆさぶりなのだとわかっていても、その思惑にのってしまいそうになる。

「そちらの方は、いかがなさいましたか?」

ヴァンの紹介状で無条件に信用されたのか、ルークのいる離れまで案内される途中で、さりげなくラムダスが探るような言葉を出してきた。
その言葉に、すこしだけショックを受けている自分がいることに気がついて、アッシュはフードの影で苦笑した。この口うるさい家令なら、なにも言わずとも自分の正体を察してくれるような気がしていたのかもしれない。
本当のルークがここにいると思いこんでいる彼らが、万に一つでもそんなことを思うはずなどないとわかっているのに。

「この子は私の弟子です。フードをかぶったままで非礼だとわかってはいますが、家事で親を亡くし自分も顔に酷い火傷を負っておりまして。お見せするのは少々はばかられますゆえに、お許しください」
「そうですか」

ラムダスはちょっと気の毒そうな目をアッシュにむけると、それ以上追求してこなかった。
厳しいところはあるが、基本的にラムダスは子供には優しい。ガイが使用人で来たばかりの頃も、なんのかの言いながら世話を焼いていたらしい。それに部下の使用人達に対しても、厳しいが公平なのだと年かさのメイドが教えてくれたことがある。たぶん、自分がルークと同じくらいの年の子供だから同情してくれたのだろう。
こうやって外側から見てみると、今になってわかることがいくつもある。
それが新鮮に感じられると同時に、やはり胸が疼くような痛みを訴えてもくる。ここにあったものすべてが自分のものだったのに、いまではそれは自分からとても遠いところにある。
それに、理不尽な憤りを感じないわけではない。そういうことをすべて割り切れるほど、自分がまだ大人ではないのだ理解できるくらいの分別は、アッシュにはあった。
そう、これは自分にとってひとつの試練なのだ。
自分のいた場所に取って代わっているルークを見て、自分の決心がゆらがないかどうかの。



中庭に続く扉を出ると、目眩がしそうなほどの懐かしさに襲われる。
かつてナタリアと遊んで走り回り、そしてヴァンとの稽古をおこなった懐かしい庭。そしてその庭の片隅に、つい二月ほど前別れたばかりの『彼』の姿があった。

「それでは、ここからは私どもにまかせていただけますか」

努めて冷静な顔でそう言ったサフィールの声が微かに震えていることに気がついたのは、きっとアッシュだけだっただろう。
ラムダスはその言葉に、あきらかに困惑した様子を見せた。当然だろう。いくらヴァンの紹介とはいえ、自分たちは見ず知らずの赤の他人だ。

「ラムダス殿は、ここから見ていていただいてもよろしいですか? なにかありましたら呼びますので」
「しかし……」
「心の病に関しの治療は、できるだけ患者と医師だけで行いたいですから」

それでも渋るラムダスに、それではもうすこし近くまで彼に連れてきてもらうように言うと、ようやく彼も頷いた。
まだ上手く歩けないのか、ラムダスはルークを抱きあげてこちらに戻ってきた。そしてすこし離れた芝生の上に彼をおろすと、そっとその場から離れた。ルークは不思議そうにそんな彼を見あげていたが、やがてこちらに気がついたのかきょとんと丸くした目を二人にむけてきた。
その次の瞬間、アッシュは思わず目を疑いそうになった。
ルークが笑ったのだ。そしてこちらにむかって走り出そうとでもするように立ち上がりかけて、そしてよろけた。
それを目にした途端、アッシュはなにも考えずに走り出していた。そのまま地面に倒れこみそうになるルークの身体を受け止め、自分が横倒しに芝生の上に転がる。上にのってきたルークの重みに思わず声をあげそうになったが、なんとかそれも堪えた。

「ルーク様!」

慌てたようなラムダスの声が聞こえたが、サフィールがそれを制するのが横目で見えた。それにほっとしながら視線をあげたアッシュは、思いがけず近くからルークが自分の顔をのぞき込んでいることに気がついた。

「…るー……」

おもわず名を口にする前に、突然強く抱きつかれる。
やわらかな腕の感触が頬にあたり、耳元で楽しげな笑い声があがるのが聞こえた。
たったそれだけのことなのに、胸が痛くなる。
でもそれは、先程感じたような疼くような痛さではない。なんだか泣きたくなるような、それでいて温かなものに包まれているような痛さだった。
ああ、大丈夫だとすぐにわかる。
彼を知ってしまっている自分には、どんな理由があっても彼を憎むことなんてできやしないのだと。
彼が必死に半年間自分に語ってくれた、二人で生き延びるための色々。それを自分もちゃんと望んでいるのだと。

「アッシュ」

不意に名を呼ばれて、一瞬ルークが自分の名を呼んだのかと驚くが、すぐに目の前にさしだされた大きな手に違うのだと理解する。
顔をあげれば、目の前にサフィールの顔があった。
これからの七年間を共に歩むことになる、共犯者の顔が。
アッシュは唇の端をかすかにあげると、その手を取った。

これからが、本当のはじまりだった。


END
(08/11/11)