帰還




 
突然気持ちのいい場所から押し出されたようにして目が覚めて、ルークは何度も大きく瞬きをした。
頭上には、丸い月。
綺麗だななどとのんきなことを考えてしばらく空を見あげていたルークは、ようやく我にかえると勢いよく起きあがった。
頭や身体についた草がぱさぱさとかるい音を立てて落ちる。
そこはどこまでも続くなだらかな草原で、どうやら渓谷に囲まれた場所のようだった。どこかで水の流れる音も聞こえる。空には月が出ていて、夜だけれどあたりの様子は何となくわかった。
ここはどこだろう。そうぼんやりと思いながら、さらりと肩から流れて落ちた髪の長さを見て、ぎょっと目を瞠る。

「……長い」

いったい何が起こったのだろう。ルークはきょときょとと辺りを見回すと、首を大きく傾げた。
確か自分はローレライを解放して、そしてその衝撃に耐えられずに音素乖離を起こして消えたはずだった。
それなのに、なぜか身体の感覚がある。頬を撫でる風を冷たいと感じる。
もしかしてこれが死後の世界なのだろうかと一瞬考えるが、それにしてはなんだか現実感が濃い。

「いてっ」

お約束とは思ったがちょっと頬を抓ってみると、痛い。だけど痛いと感じたことに、震えがくるほどの嬉しさがこみ上げてきた。

――生きている。

ただそのことだけが、泣きたいほどに嬉しい。
ルークは知らないうちにこぼれ落ちていた涙を服の袖で拭ってから、ようやく自分がなんだか見慣れない服を着ていることに気がついた。

「なんだこれ?」

よく自分が着ている白い上着とよく似た、裾の長い上着。だけど袖は長く、いつもは晒していた腹部もきちんと覆われている。

「ええと、何が起こったんだっけ……」

なんだか頭が混乱してきて、ルークは草の上に座り直した。
ゆっくりと記憶をたどってゆくと、ふと最後に見たアッシュの死に顔を思い出して、ぎゅっと心臓を掴まれたような感覚をおぼえた。血の気のない青白い顔と、受け止めたと冷たい身体。自分の中にアッシュがいることはわかっていたから、どうせ消えるのならこの命をアッシュに返せないだろうか。そんなことを考えたことも思い出した。
でも、そのアッシュはどこにいるのだろう。

「アッシュ?」

ルークは立ちあがると、ふらりと足を踏み出した。

「アッシュ?」

だんだんと足が早くなる。だけど、いくら探してもどこにもアッシュの姿はない。
なんで? どうして? 
そんな疑問符ばかりが、頭の中にあふれていく。自分が生きているのに、どうしてアッシュがここにいないんだろう。だってもう、自分の中にアッシュがいないのがわかるのに。
ルークはまた涙があふれてくるのを感じて、慌てて目頭を押さえた。
アッシュが死んだとわかったあの時、あの時はもちろんとても悲しかったし驚きもしたのだけれど、どうしてか涙は出なかった。だけどそれはきっと、自分の中にアッシュが入ってきたのがわかっていたからだったのかもしれない。
そうでなければ、どうしていまこんなにも悲しいのかわからない。
足から力が抜けて座り込んでしまいそうになる。だけどルークはなんとか踏みとどまり顔をあげた。月を、そしてその下にある音譜帯を見あげるために。
そして月を見あげたルークの耳に、歌が聞こえてきた。

「……ティア?」

それは何度も聞いた、ティアの譜歌だった。だけど、どうしてこんなところで彼女の歌が聞こえてくるのだろう。
ルークはその歌に導かれるように、歩きはじめた。
やがてその足は駆け足になり、ただひたすら歌の聞こえる方向へとルークは走った。
走って走って、そして草原の向こうに見えてきた白い背中に飛びこむようにして抱きついた。
勢いよくぶつかられた相手がふり返り、自分の顔を見て驚きの表情に変わる。
鏡に映したような、自分と同じだけれど違う顔。だけどそれはもう一度会いたかった顔。

「アッシュ! 生きていたんだな!」

そう叫んでもう二度と離さないとばかりに抱きついたが、すぐに強引に引き離される。

「ルーク……なのか……?」

今度は逆にルークの方が肩を強く掴まれ、顔を覗き込まれる。

「あ、アッシュ?」
「……おまえは、消えたんじゃなかったんだな」

ぽつんとそう呟いたアッシュの顔が、なんだか今まで見た中で一番優しい顔に見えて、ルークは思わず大きく瞬きをした。

「えっと、ここにいるけど」
「そうだな」

ふわりと笑みを浮かべたアッシュに、さらにルークの鼓動が跳ねあがる。
こんな顔、アッシュは今まで自分に一度だって見せてくれたことがなかった。だけどあれほど見せて欲しいと思っていたアッシュの笑顔が、そこにある。

「この歌、お前の仲間の歌だろう」

だけどすぐにその笑顔は消えてしまって、かわりに問いかけるような視線がむけられる。

「うん。たぶんこの先にいるんだと思う」

誘うように呼びかけるように、譜歌が風に乗って流れてくる。

「行くか」

アッシュの唇の端が、かすかに笑みの形にあがる。それに何度も大きく頷いてから、ルークはふと思い出したように晴れやかな笑みを浮かべた。
伝えなくてはいけない大切な言葉。そして、これから始まるための言葉。


「おかえり、アッシュ!」



END


*アビスアニメ終了記念。こんなだったらいいなの、赤毛二人帰還捏造。