君の声を




 
具体的に言うとアッシュの何が好きなのとアニスが聞いてきたので、ルークはすこし考えるように首を傾げてから『声』と答えた。

「お、ちょっと意外な答えだね」
「……顔とか答えたら、かなり微妙だろうが」

なにしろ、作りは全く一緒なのだ。ルーク自身は(そしてたぶんアッシュも)それでもずいぶんと違うと思っているけれど、他人から見ればあまり見分けがつかないことくらいわかっている。
本当は全部とか言ってしまいたい所なのだけれど、以前そう言ってアニスに怒られた事があるので、同じ間違いはおかさない。これが世間知らずで鈍くとも、ルークが頭は悪くはないと言われる所以だ。

「でもさ、確かにアッシュとルークの声ってびっみょ〜に違くはあるけれど、同じ声だよね」
「へ? そうか?」

最後の問いは傍らにいたガイに振ると、ガイは少し困ったような笑みを浮かべながらルークの頭を撫でた。

「俺は、おまえの声の方が好きだけどね」
「ガイ、それ答えになってないから」

びしりと突っ込んできたアニスに、ガイははぐらかすような笑みを浮かべる。
アッシュに個人的に思うところのあるガイは、時々こんなふうに『似ている』と言われるところをあえて否定することがある。それはそれで自分を自分と認められているようで嬉しいのだけれど、今はそんなことが聞きたいのではない。

「なあ、やっぱり声も似ているのか?」
「アッシュの方が声を低く出しているけどね。声を荒げたりとかそういうとっさの時の声は、やっぱり似ていると思うよ」
小さな子供のように首を傾げたルークに、アニスは笑いながら答える。
「それに、アッシュとルークは同位体なんだから。そう考えれば声だって一緒でしょ?」
「うーん、言われていることはわかるけど。俺、いままで同じ声だなんて気がつかなかったぜ」

だとしたら、アッシュの声が好きってことは自分の声が好きって言っているようなものか、と改めて考えてちょっと恥ずかしくなる。

「それは仕方がないでしょうね。人は自分の本当の声を聞くことはできませんから」
不意に、離れた場所に立っていたはずのジェイドの声がすぐ後ろから聞こえて、ルークはちいさく飛び上がった。
「い、いきなり人の背後に立つなよ!」
「おっと、これは失礼」

ひょい、とわざとらしく肩をすくめたジェイドにルークは胡乱げな目を向けたが、ふと先程の言葉が気になってあらためてジェイドの顔を見つめなおす。

「大佐大佐、自分で自分の声が聞けないってどういうことですか?」
ぶんぶんと手を振りながら、アニスがそんなルークの心の声を代弁するかのように疑問を投げかける。

「口から出る音の聞こえ方には、2種類あるんですよ。ひとつは『気導音』といって、空気を伝わって聞こえる音です。これが、自分以外の人に聞こえているその人の声です。そしてもう一つは『骨導音』。骨を伝わって聞こえる音のことです」
「ほ、骨?」
「ええ、正確には頭蓋骨を伝わって聞こえる音ですね。人は自分の声をこの二つの音がミックスした状態で聞いています。ですが『骨導音』は自分にしか聞こえないため、他人が聞いているのは『気導音』としての声だけなんですよ」
「ええええ! じゃ、じゃあ私の声も本当は違うって事ですか?」
「そうなりますね」

ニコリと笑いながらそう答えると、ジェイドは目を丸くしたまま自分を見ているルークへと視線を向けた。

「ですから、あなたが聞いている自分の声は思っている以上にアッシュに似ていると良いことです。それに、彼の声を聞いているとちょっと不思議な気持ちになりませんか?」
「う、うん……」
たしかにアッシュの声を聞いていると、不思議な気分になることがある。
「声質は同じですからね。自分の声と混じって聞こえる時に、違う高さの声が聞こえてくるので違和感を感じるんですよ」
「そうなのか…!」

ジェイドの説明にしきりに感心するルークの隣で、アニスがふと何かに気がついたような顔になる。

「じゃあ大佐。もしかしてアニスちゃんが聞いている自分の声って、自分にしか聞こえないんですか?」
「そういうことになりますね」

にこやかにそう答えたジェイドの言葉に、目には見えない小犬のような耳がルークの頭の上で揺れる。それに気がついたガイが、隣で引きつったような微妙な顔をしてジェイドに訴えかけるような視線を向けた。
しかしそこはもちろんジェイドである、知らない者が見れば穏やかにも見える笑みを浮かべると、何か言いたげにこちらを見上げているルークの顔を覗き込むようにして視線を合わせる。

「アッシュの聞いている声を、聞いてみたいですか?」

こくこくと頷くルークにジェイドはにこやかに笑うと、その方法とやらを話し始めたのだった。




「アッシュ!」

久しぶりに回線を開いて呼びだすと、ルークはまるで主人の帰りを待ちわびていた小犬のような勢いで、待ち合わせ場所にやってきた。
何時会っても全身で嬉しいと示してくるルークの素直さには、呆れると同時にすこしばかり気恥ずかしい気持ちにさせられる。もっとも、これでおどおどと怯えたり不機嫌にあらわれたらと思うと、そちらの方がずっと腹立たしいので咎めることはしない。
それに、これは口が裂けても言えないが、そうやって開けっぴろげに好意を示されるのが、最近ではそう嫌でもなかった。

「なにか情報はあったか?」

最近ではすでに口実になりつつある問いを、アッシュは口にした。
あくまでもこれは情報交換。そしてルークを呼びだすのは、彼がどこにいても簡単に連絡がつく相手だから。
そんなふうに色々と理由づけているが、本当の理由が違うところにあるのをアッシュはまだ認めていない。

「こっちは特になにも。師匠がらみの襲撃もないし」
「そうか…。こっちも特に新しいことはない。じゃあ引き続きそれぞれで動いて……なんだ?」
アッシュは最後に声のトーンを一段階下げると、怪訝そうに眉をひそめた。
「あのさ、ちょっと聞きたいんだけどいいか?」
「なんだ?」

これで、つまらないことでも言い出したらただじゃおかねえなどと考えながら、アッシュは早くしろと視線でルークを促した。

「だから、聞きたいんだけどいい?」
「だからなんだ! さっさとしろ!」

苛立った声を出すアッシュに、ルークはそれじゃと声をかけるといきなり正面から抱きついてきた。

「───っ!!」

咄嗟のことに振り払うことも出来ずにアッシュが硬直している間にも、ルークは少し身をかがめると、胸に耳を押しつけるようにしてさらにぎゅっと強く抱きついてきた。
しかも、服の上からでもわかるルークの自分よりも高い体温がしっかりと伝わってきて、ますます混乱する。
「なあ、何かしゃべってくれねえ?」

しかしそんなアッシュの困惑にはまったく気付いていないらしいルークは、呑気にそんなことを言う。その声にようやく我に返ったアッシュは、有無を言わさずにルークの頭に拳を落とすと、自分から引きはがした。

「いって───っ! なにすんだよっ!」
「それはこっちの台詞だっ! この屑野郎っ!」

負けずに怒鳴りかえすと、ルークはあきらかに不満げに唇をとがらせた。どこのガキだとさらに殴ってやりたくなるのをなんとかこらえると、アッシュはぎろりとルークを睨みつけた。

「……何のマネだ。返答次第ではただじゃおかねえ」
「ンだよ、ちゃんと確認しただろ? 聞いていいか、って」
「それがさっきの行動とどういう関係があるってんだ!」

そう言った途端、先程間近で感じてしまったルークの体温とか抱きついてきたときの体の感触などを思い出してしまい、反射的にまた殴りたくなってくる。そんなアッシュの気配を察したのか、さりげなくルークも身構える。他のことには壊滅的に鈍いくせに、こういうところだけはルークも一応剣士だけに聡い。
しかしやはり腹の虫のおさまらなかったアッシュは隙を見てルークの頬をつねると、思い切り引っ張った。

「ひひぇひぇっ! はひゃふぇひょっ!」

痛そうに顔を歪めながらジタバタとあばれるルークにようやく少し溜飲が下がったのか、アッシュはルークの頬から手を離すとさあ言えとばかりに眇めた目でルークを睨みつけた。

「……アッシュの声が聞きたかったんだよ」
「わけのわからねえ事を言うな」

声を聞くだけなら、なんで抱きついてくる必要がある。ルークが突拍子のない行動を起こすことが珍しくないとはいえ、理由はそれだけではないだろう。

「だから普通の声じゃなくて、『アッシュの本当の声』が聞きたかったんだよ」

なんだそれは、と片眉を跳ねあげた険しい表情だけで問えば、ルークはつねられた頬をさすりながら、もぞもぞとつっかえながらつい先日話題になった『自分の本当の声』のことを話しはじめた。

「……それで、それがさっきの事となんの関係がある」

話自体は、子供の疑問に真剣に答える科学者の答えという感じでそれなりに興味深い。だがなんとなく嫌な予感を感じながらも、アッシュは一応訊ねてみた。

「普通本当の声は自分にしか聞けないんだけれど、ひとつだけ秘密の方法があるってジェイドが……」

骨を伝わる音ですから、直接体に耳を当てて聞くと近い音を聞くことが出来ますよ、と。
その説明を聞いたアッシュは、やはりあいつかと、あの嫌味な笑みをたたえた死霊使いの顔を思い浮かべて脱力しそうになった。

「だから、大人しく声を聞かせろ!」
「バカかお前は! そんなのあの眼鏡の嘘に決まってるだろうがっ!」
「でもアッシュだってこの話知らなかったんだろ? だったら嘘かどうかなんてわかるわけねえじゃん!」
「しかたねえ、手を貸してやるからこれで聞け!」
「胸が一番振動が伝わるから良いってジェイドが言った!」

ぐいぐいとルークの体を遠ざけるように手を無理矢理顔に押し当てるが、負けじとルークもじりじりと距離をつめてくる。

「いいじゃねえか、減るもんじゃねえんだし!」
「ざけんなっ、くっついてくるんじゃねえっ! ンなことならガイにでも頼め!」
「アッシュの声だから聞きたいに決まってんだろ!」
「────っ!! ッんの、屑がぁっ!」

べしっ、と勢いよくルークの頭を叩くと、アッシュは踵を返して早足で歩きはじめた。あっしゅーなどと間の抜けた声をあげながら、ルークがその後ろから追いかけてくる。
人の気も知らないルークの呑気な態度にも腹が立つが、そんなことを思ってしまう自分がさらに苛立たしい。
げに恐ろしきは、天然の一言。


そして、回線を繋いで互いに聞く声こそが本当の声に一番近いのではないか、と互いが気がつくのはもっとずっと先のことだった。



END
(07/11/29)


まだ恋愛未満。