琥珀の記憶・1




「ルークさん? ルークさんですよね?」

ケセドニアの混雑するバザールの中、どこかで聞いたことのあるような声に呼ばれてルークが振り向くと、人混みの中を歩きづらそうにこちらに向かってくる知った姿があった。

「ギンジ?」

思わずルークが呼んだ名は、ルーク達の乗る飛晃艇アルビオールの操縦士ノエルの兄であり、もう一つのアルビオールの操縦士の名だった。ギンジは何度も人にぶつかりながらもなんとかルーク達のところまでやってくると、人当たりの良い笑みを浮かべて挨拶をしてきた。
ジェイドやガイのように整った顔というよりは十人並みな容姿だが、優しく笑う目元がノエルによく似ていて人好きのする顔をしている。もの凄くもてるというわけではないが、いつの間にか好感度があがっているタイプ。強いて言うなら、ルークの中ではガイタイプに分類されている。音機関好きはタイプが似るものなのだろうかなどと、こっそり思っているのは内緒だ。

「久しぶりだな〜。あっ、ノエルはアルビオールで留守番しているんだけど、会っていくか?」
「あ、いえ……」

ギンジは曖昧に笑いながら小さく手を振ってから急にハッとした顔になって、なぜか突然ルークの手を強く握りしめると、詰め寄らんばかりの勢いで迫ってきた。

「そうだっ! ここで会えてよかった。ルークさんならなんとかなるかもしれないっ!」
「は……っ?」

突然のことに思わず固まったルークに、ギンジは必死な顔で縋るような目を向けてくる。体格はルークよりもガイに近いギンジだが、へにゃりと情けなく眉毛をたらした顔は捨てられた小犬のようで、邪険にするのをついためらってしまう。

「な、なんだよ」
「実は、アッシュさんのことで…」
「アッシュ? アッシュがどうかしたのか?」

その名が出た途端に、今度は逆に詰め寄らんばかりの勢いで迫ってきたルークに、ギンジはひるむことなくコクコクと何度も頷いた。

「ちょっと色々あったんですが、たぶんここで説明するよりも見てもらった方が早いんで、宿の方に来てもらってもいいすか?」
「もちろんっ! ……いいよな?」

迷わず即答してから、ルークはようやく自分が一人ではなかったことを思い出して、そろそろと背後をふり返った。
視線の先には、ガイのあきれ顔。そして、胡散臭いにこやかな笑顔のジェイド。

「止めたってどうせ行くんだろ」
「いやあ、そのまま走り出さなくなっただけちょっとは躾ができてきたみたいですねえ」
「う……」

呆れ混じりのガイの言葉に、追い打ちをかけるように威圧するようなジェイドの笑顔が向けられる。思わず言葉に詰まって小さくなったルークを楽しそうに眺めてから、ジェイドはギンジへと視線を移した。

「わかりました。詳しいことは後でお聞きますが、簡単に何があったのかだけは教えていただけませんか?」

理由がわからなければついて行くわけにはいかない。にこやかに笑いながらもそれだけは譲らないとばかりに目を細めたジェイドに、ギンジは少し引きつりながらもそれもそうですよねと小さく頭を掻いた。

「実はアッシュさん五日前にこの近くで怪我をして、それからどうもちょっと様子が変なんです」
「変とは?」
「どうも、俺たちのことがわからないらしくて……」

落ち着かなげにそわそわと視線をさまよわせるギンジに、ジェイドはすっと眉をしかめた。

「どういうことだ?」

今ひとつギンジの言葉の意味をのみこめなかったルークが、きょとんと瞳を丸くする。

「それだけじゃなくて。その…、どうも自分のこともわからないみたいなんすよ」
「えっ?」

それはどういう事なのかと問おうとしたルークを制するようにして、ジェイドが静かに口を開いた。

「案内していただけますか」

その顔には先程までの面白がる様子はない。
ルークは見えない不安が胸の中で膨れあがるのを感じたが、すぐにきゅっと唇を引き結ぶと、先に歩きはじめたジェイドとギンジの後を追いかけて歩きはじめた。



ギンジが三人をつれてきたのは、マルクト側の路地裏にある小さな宿屋だった。
こじんまりとしてはいるがしっかりとした造りの建物で、中も思ったよりもこっざぱりとしていてなかなか上等な宿だった。

「この宿は、ノワールさん達の知り合いが経営しているんですよ」

ギンジはそう説明すると、カウンターの中の亭主らしい初老の男性に軽く頭を下げてから二階へむかった。
廊下を歩いて突き当たりの部屋までくると、ギンジはルーク達の顔を見てから扉をノックした。だが、いらえはない。

「アッシュさん、入りますよ」

だがギンジは慣れているのか、そう一言声をかけると返事を待たずに部屋のドアを開いた。
ギンジに続いて中にはいると、出窓になっている窓のところに腰をおろしているアッシュの姿が逆光で見えた。ルーク達の気配に気がついたのか、アッシュがこちらを向く。鋭い緑の瞳が、射抜くようにこちらを見つめてくる。

「ギンジ、そいつらはなんだ?」
「……ええと」

前に見えるギンジの肩が、目に見えてがくりと下がるのがわかる。もしかしたらという期待が、それだけあったのだろう。たしかに、ある意味ギンジよりもルーク達の方がアッシュとは縁が深いので、彼が期待したのもわからないでもない。
ぼんやりとルークがそんなことを考えていると、ちらりとギンジがこちらをふり返ったところで視線が合う。人の良さそうな顔に落胆を滲ませながら、同時に困ったように眉尻を下げている。たしかにそうなると、ギンジも自分たちとの関係をどう説明すればいいのか、判断に困るだろう。
なにしろ自分たちは仲間ではないが、敵対しているわけでもない。だが味方というには語弊があるし、協力者というのともまた違う。おそらく毎日のようにルークへの不平不満や罵詈雑言を聞いているだろうギンジが、返答に迷うのも無理はない。

「まあ、なんと言えばいいのか少々困りますが、少なくともあなたの敵ではありませんよ」

全員が思わず言葉に詰まったところで、すっとジェイドが一歩前に踏み出した。しかし何か引っかかるものでも感じたのか、アッシュは気むずかしげに眉を顰めると、ジェイドのことを睨みつけてきた。
それは、まるで手負いの野生の獣のような目だった。たしかにアッシュはお世辞にも目つきが良いとは言えないが、ここまで露骨に自分たちに敵意をあらわした目を向けてくるのは、はじめて見たかもしれない。
ふと、突然なにかに気がついたようにアッシュの目がジェイドからルークに向けられる。その瞬間、心臓を掴み上げられるような痛みがルークの胸に走った。
確かにアッシュが自分に優しい目を向けることは、少ない。しかしそこには何時もかならず、負の感情であってもなにかしらの強い感情が込められていた。だが、いまアッシュがルークに向けている目には、知らない何かを見る時の小さな好奇心とフラットな感情しか感じられない。
この時はじめてルークは、きつい視線を向けられることよりも無関心な目を向けられる方が辛いこともあるのだと、知った。
アッシュは自分でもなぜルークの方に気をひかれたのかと訝しげな表情を一瞬浮かべたが、すぐにルークを見る目が怪訝そうに眇められた。

「おまえ……、なんで俺と同じ顔をしているんだ?」

ルークは咄嗟になんと答えればいいのか迷った。自分はアッシュのレプリカなのだと正直に伝えたところで、そもそもレプリカが何であるのか今のアッシュは知らないはずだ。それに、自分たちの関係は一言で説明できるほど簡単なものではない。
ルークがためらっているのを感じとったのか、さらに促すような視線が向けられる。何か答えなければいけないとわかっているのに、何を言えばいいのかわからない。言葉だけが頭の中をぐるぐるとまわり、肝心の声にならないのだ。

「彼は、あなたの兄弟みたいなものですよ」

突然斜め前から聞こえた声にハッと顔をあげると、ジェイドが目で黙っているように伝えてくる。

「みたいなもの、というのは何だ」

アッシュの意識はジェイドの方に戻ったらしく、視線から解放されたルークは気付かぬうちに深呼吸していた。

「言葉通りですよ。あなた方は兄弟のようなものですが、兄弟ではない」
「親戚か?」
「もっと近い関係ですよ」

曖昧な答えしか返さないジェイドに、アッシュは露骨に不快そうな顔をした。どうやら記憶がなくなっても、根本的な性格は変わらないらしい。
だがそれだけに一層、違和感が強まった。

「……まあ、そのあたりは追々説明させていただくとします。ところで、診察をさせていただきたいのですが、よろしいですか?」
「診察? てめえは軍人だろ?」
「医師免許も持っています。信用できないというのなら、無理にとは言いません」

ジェイドは挑発するような口調でそう言うと、微かに唇の端をあげた。アッシュはさらに苦い表情になると、ちらりと困った顔でこちらを見ているギンジに目をやってから、忌々しそうに舌打ちした。

「あいつが連れてきたんだから、一応信用はできるんだろ」
「理解が早くて助かります」

にこりと笑ったジェイドに胡散臭そうな目を向けると、アッシュはなぜか急にルークの方を向いた。

「おい、お前」
「へ? お、俺?」
「そうだ。お前はここにいろ」

検査と聞いて部屋から出て行きかけていたルークは、どうすればいいのかわからず反射的にジェイドを見た。そして彼の首が小さく縦に振られたのを見て、部屋の中に戻る。

「そこじゃねえ。こっちにこい」

そのまま壁によりかかろうとしていたルークに、さらにアッシュが有無を言わせない口調で言う。ルークは一瞬ためらったが、すぐにアッシュに強く睨まれて慌てて彼の側まで行った。
アッシュの側まで来て、ルークははじめて彼が前髪をすべて下ろしていることに気がついた。そのせいか、いまのアッシュがさらにいつもの彼とは違うように見える。

「そこに座れ」

二つあるベッドの片方を示されて大人しく腰をおろすと、もう一つのベッドの方にはアッシュが腰をおろして診察がはじまった。その間ルークは何をするともなく、ぼんやりと二人の会話を大人しく聞くことになった。



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(08/02/03)