小さな恋のリズム




 見られることには、慣れているつもりだった。
 両親から受け継いだ整った容姿は、自慢ではないが子供の頃からやたらと人の関心を引いていたから。
 妹と並んで歩けば、まるで人形のような子供達だと褒めそやされたこともある。実際、ひいき目に見ても妹はちょっと近寄りがたいほどの美少女であったし、関心はなかったが自分の容姿が整っているという自覚はジェイドにもあった。
 ただ彼にとってはそれは自慢に思う部分ではなく、利用する価値のあるオプションのようなものだった。
 人に綺麗だと思わせることが出来るものは、それだけで価値と力がある。傾国の美女に王や英雄達が狂わされるのも、美しい宝石や財宝が醜い争いを生むのも、「美しさ」というものが力を持っているからだ。
 物心ついた頃からジェイドはそんな自分の長所を巧みに利用してきたし、それが悪いことだと思うこともなかった。
 大人になってからは、また違う意味で注目を集めるようになった。
 だから、いつだって無遠慮に見つめられるのには慣れているつもりだった。
 いままでは。



 見られている。
 じいっと力のある瞳がこちらを見ていることを意識しながら、ジェイドは素知らぬふりを続けながら書類を捲った。
 だけど、ふとその指先にさえ見られているという意識が張りめぐらされていることに気付いて、ジェイドはひっそりと内心苦笑した。
 向けられている瞳の色は、翠。
 譜眼を施す前の自分の瞳と同系列の、だけどもっと澄んだ美しい色をした瞳だ。
 その色が本当に綺麗な色なのだと気がついたのは、たぶん彼の瞳がとても綺麗な色をしていることに気がついた時だ。素直でまっすぐな子供の瞳がどんな宝石よりも美しいことに気がついてからは、ほんの少しだけ無くした自分の瞳の色を惜しんでみたりもした。
 さらさらとペンを走らせながら、自分の横顔にまたじっと視線が注がれるのがわかる。
「ルーク、ページを捲る手が止まっているようですが?」
 わざと顔をそちらに向けることはせず、ジェイドはすました顔のままルークへ言葉を投げかけた。
 自分の言葉に我に返ったのか、慌ててページを捲る音が聞こえてくる。そんな彼の相変わらずの素直な反応は、ジェイドの笑みをさそう。
 書類にサインを終えて顔をあげると、ソファに足を上げて座っているルークの顔の前には、開かれた本がまるで視線を隠すように立てられている。その向こう側にあるであろう困ったような顔を想像して、ジェイドはさらに笑みを深めた。
 そのままつついてからかうのも楽しいが、すぎると怒って出て行ってしまうだろうことは想像に難くない。ジェイドはルークの後ろにある窓の外へ目を向けると、瞳を細めた。
 外はよく晴れており、どう考えても室内にこもっているよりも外でのびのびと遊んでいる方が楽しいだろうに、どうしてこの子供はここにいるのだろう。
 意外と室内でだらだらしているのも嫌いでないことは知っているけれど、他の仲間達の誘いを断ってまでくるほどの魅力が、自分の執務室にあるとは思えない。
 ぼんやりと目を外に向けているのが分かったのだろうか、視界の隅でルークが本の陰からこちらを見ているのが見えた。そちらに視線を向けてやると、また楽しくなるくらい素直に反応してルークが顔を引っ込める。
 ジェイドはしばらくの間自分の方に向けられている本の表紙を見つめていたが、やがて小さくため息を一つつつくと席を立った。
「ルーク」
 名を呼んでやれば、びくりと跳ねあがる。
 そろそろと本の陰から現れた瞳には、不安と期待が見え隠れしてる。そのキラキラとした目にジェイドは微かに苦笑を浮かべた。
「集中できていないようですし、お茶にしませんか?」
 その言葉に、ぱっとルークの顔が輝く。
「なあなあ、俺がいれてもいいか?」
「いいですよ。ただし、蒸らし時間を間違えないように」
「わかってる」
 さっそく勝手知ったる他人の部屋とばかりにお茶の用意をはじめたルークの背中を見つめながら、ジェイドはひっそりと笑いをかみ殺した。



 用意されたお茶うけは、ルークが好きな焼き菓子だった。
 クッキー生地にアーモンドカラメルをのせて焼いた香ばしいこの焼き菓子は、上のカラメル部分が歯にくっついて少し食べにくいが、それでもついつい手が伸びてしまう。
 嬉しそうに何度も手を伸ばすルークをしばらく観察していたジェイドは、さてとカップをおいた。
「先ほど、なぜあんなに私のことを見ていたのか聞いてもいいですか?」
 ぶほっと変な音がして、ルークが慌てて自分のカップに手を伸ばす。
「……気がついていたのかよ」
「まあ、あれだけ見られていて気がつかない方がおかしいと思いますよ。普通は」
 ジェイドは微かに唇の端をあげると、指を唇に当てた。
「で、なぜですか?」
 ルークはでかでかと顔に言いたくないと書いていたが、意味ありげな笑みで黙殺する。それこそ蛇に睨まれたカエルのようになったルークは、それでも救いを求めるように上目づかいにジェイドを見上げたが、その笑みを見てがっくりと肩を落とした。
「別にいいだろ、そんなこと」
「よくありませんよ。まるで視姦されているようじゃないですか」
「しかん……?」
 なんだそれはという顔になったルークに、ジェイドは笑ったまま眼鏡のブリッジを上げた。
 妙に大人びたことを知っていると思えば、今みたいにすっぽぬけた反応をルークは時々する。それはそれで大変からかいがいがあるのだが、いまはそれよりも話を進めたかったので、ジェイドはあえて無視した。
「それで?」
「……なんでそんなこと気にすんだよ」
「質問に質問で返さないでください」
 あくまでも譲らない態度をやんわりと示せば、ルークは困ったように眉尻を下げてから諦めたように大きくため息をひとつついた。
「……いいなあって…」
「なにがですか?」
 もしかして身長のことかなどと失礼なことを思いながら、いつもその件では恨めしそうに見られているのを知っているので内心首を傾げる。先ほどのは、そういう視線ではなかったようだが。
「そうじゃねえよ。……なんていうか、あらためて見るとやっぱジェイドって格好いいんだなあって」
 耳まで赤くしながら、ぼそぼそとルークは呟く。
「仕事しているところとか、すごく真面目な顔してるし。普段と違ってこういう場所で書き物していたりするのとか、やっぱり雰囲気違うし。そう思ってぼーっと見ていたら、なんか格好いいなあって……」
 そう言いながら、ルークはちらりと上目づかいにジェイドを見て悲鳴を飲みこんだ。
 怖い。なんだか分からないけれど、すごく怖い。
「ほ、本当にそう思ったんだからな!ナタリア達がジェイドの顔がすごい綺麗だって言っていたのも、なんだかすごく分かるなって。男の顔見て綺麗だなんて思うことがあるのかなんて思ってたけど、やっぱりあらためてこうやって見てみると綺麗だなとかさ。だから、つい見とれ……へっ?」
 わたわたと早口に言葉を続けている途中で、不意にぐいっと顔を上向かされる。
 思わず悲鳴を上げそうになった口が、なぜかそのまま柔らかなものに塞がれた。何だろうと思う間もなくさらに柔らかく温かなものが唇に触れ、ぞくりと粟立つような感覚が背筋を駆け抜けた。
「……んんっ」
 キスをされているのだと気がついた瞬間、頭が真っ白になった。
 熱くてやわらかな物が口の中に入ってきて、好き勝手にかき回してゆく。それが口内のやわらかな場所を掠める度に、ぞくぞくとわけのわからない感覚が弾ける。
 ついに耐えきれずに体から力が抜けると、すかさずジェイドの腕がルークの体を支えて椅子に座り直させた。
「お茶を入れ替えてきますね」
 くすりと小さな笑い声とともに、甘い声が耳元で囁く。
 それにびくりと小さく跳ねあがりながらも、ルークは顔をあげることが出来なかった。
 いまはとてもではないが、ジェイドの顔をまともに見られそうにない。小さな音を立てて扉が閉まるのにほっとしながら、ルークは必死に音が聞こえそうなほど鳴り響いている自分の鼓動を鎮めようと、大きく息を吐いた。



 扉を閉めるなり、ジェイドはそっと扉に背を預けながらあいた方の手で顔の下半分を被った。
 まったく、あの子供はいったい何を言い出すのか本当に油断ならない。
 精神が子供だからこそ、あれほど何の裏もない言葉が飛び出してくるのだろうが、思わずいたたまれなくなって口封じをしてしまった。
「まったく……」
 見られるのも賞賛の言葉を向けられるのにも慣れているはずなのに、どうしてかあの子供から向けられるそれらにはどうにも慣れない。
 不自然なほど心拍数があがっているのが、わかる。
 だが、扉の向こう側とこちら側で互いが同じ事を考えいてることを、二人はまだ知らない。



END(07/08/25)



ジェイドは平気な顔でへたれなのが好き。