ここにいるよ




 
 世間で言うところの奇跡の生還をとげた二人をとりまく環境は、はじめは決して楽な物ではなかった。
 バチカルに帰還した直後からあらゆる公式の場所を引っ張りまわされ、祝賀や式典などで埋め尽くされた予定をなんとかこなし、ようやく彼らが人心地つくことができたのは、タタル渓谷に二人で降り立ってから実にひと月後のことだった。
 だからアッシュは、すっかり失念していたのだ。
 不意打ちが、自分の半身の専売特許だということを。



「おかえり!」
 その日、久しぶりに陽が残っているあいだに屋敷の門をくぐったアッシュの前に一番最初にあらわれたのは、ルークだった。
 そのこと自体には、とりたてて問題はない。
 だが問題なのは、彼が自分を出迎えたその場所だった。
 重厚な趣さえあるファブレ公爵家の玄関扉。その前にある石段にぺたりと座りこんでいる己の半身に、アッシュは一瞬呆けたような顔をした。
「……テメエ、何してやがる」
「何って、お出迎え」
 ルークはアッシュの問いにきょとんと目を丸くすると、じつに可愛らしく小首を傾げた。
 それにうっかりつられてそうかと頷きかけて、アッシュは慌てて頭を横に振った。
「俺が言っているのはそういうことじゃねえ!なんでこんな所にいるんだっ!」
 ようやく我に返ったアッシュは、のんきな顔で自分を見あげているルークを怒鳴りつけると、乱暴に腕を掴んでその場に立ちあがらせた。
「なんでって、ここで待っていればすぐにアッシュに会えるだろう?」
「バカかおまえはっ!だったら中で待ってりゃいいだろうが!」
 ファブレ公爵家の屋敷は、その家格に見合ってこの上層部でも広大な敷地を持っている。しかし少々変わったつくりの屋敷であるため、門から玄関ホールまでの距離はそれほど離れていない。
 もっとも、それでも普通の屋敷にくらべればその前庭も広くとられているのだが、門の前を通りかかれば玄関扉までを見渡すことができる。
 つまり、いつからここにいたのかは知らないが、ルークの姿は外から丸見えだったということだ。
 ふだんから貴族の子息らしからぬ行動の多いルークではあったが、これではどこぞの町の子供が父親の帰りを待っている姿のようではないか。
 すくなくとも、貴族の屋敷の玄関までぼけっと座り込んでいる不審人物がいたら、怪訝な目をむけられても仕方がない。いや、それ以前にみっともない。
「誰か止めなかったのか?」
「ラムダスはなんかうるさく言っていた」
 さすがファブレ家の常識、とアッシュが感心しかけたその出鼻をくじくように、
「でも、アッシュを出迎えるんだっていったら飴くれた」
 にへら、とじつにお気楽な笑顔が返される。
 甘い、甘すぎる。アッシュは頭痛を覚えながら、眉間をかるく押さえた。
 戻ってからというものの、屋敷の誰もがルークにたいして砂糖を八つくらいいれたミルクティなみに甘い。
 たしかにルークに背負わされたものはあまりに辛く過酷なものだったので、それらすべてを乗り越えて帰ってきた子供に、事情を知る誰もが甘くなるのはわからないでもない。
 アッシュ自身も、なんのかの言いながらも自分がこの半身に甘いことを、自覚しているのだから。
 それと、他の者たちがルークに甘いのはその外見のせいもあるだろう。
 本来ならすでに二十歳を迎えているはずの自分たちだが、なぜか戻ってきたときにはルークだけがもとの年齢からもすこし幼くなって戻ってきてしまった。
 なので、現在の彼らはそっくりな顔立ちではあるが、二十歳と15歳という年齢のひらきがある。
 たった二歳の違いではあったが、ちょうど成長期にあたる年頃だったせいか、年齢が退行したルークはすっかり少年に戻ってしまっている。
 おまけに背もずいぶんと縮んでしまったので、いまではナタリアよりも背が低い。
 幼い子供というわけではないのだが、いかんせん中身は正真正銘子供なので、その行動や仕草が以前よりもずっと外見に合っている。それがどうやら屋敷の者たちのツボにはまったらしい。
「ガイの奴はなにしてんだ!」
「いま、お茶を持ってきてくれるって厨房にむかったところ」
 現在ルークの世話役兼騎士をつとめている元使用人は、やはりまったく役に立っていないらしい。
 アッシュはそのまま脱力しそうになるのをかろうじてこらえながら、頭に花が咲いているような笑顔をむけてくるルークを睨みつけた。
「説教は後だ、とっとと屋敷に入れ!」
「んだよ、せっかく出迎えてやったんだからもうすこし嬉しそうな顔しろよ!」
「うるせえっ!いつまでもぼけっと玄関先でアホ面さらしてんじゃねえ!」
 ルークの腕を掴んだまま扉にむかったアッシュの目の前で、まるで見えていたかのようなタイミングで扉が開く。
 そのむこうにずらりと並んだラムダスをはじめとする出迎えのメイドたちが、おかえりなさいましとすました顔で頭をさげる。
 だが、その表情にはどこか微笑ましいものを見守るあたたかな色が混ざっているように見える。
 どれだけアッシュたちが喧嘩腰に怒鳴りあっていても、屋敷のものたちはたいてい微笑ましくそれを見守っている。
 それが単なるじゃれ合いの延長だと知っているからだ。
 深刻そうな喧嘩に発展してた場合には、無言のままアッシュの方へ批難の目がむけられる。
 いい度胸じゃねえかと内心思うが、たいていの諍いはアッシュのきつい物言いが原因となるので、あまり強くはでられないのも事実だ。
 実際いまも、引きずられながらアッシュの後をついてくるルークの様子に、頭を下げていても彼女たちがおだやかな笑みを浮かべているのが見えるようだ。
 そんなにこの自分のレプリカが可愛いと思うなら玄関先に放置しておくな、と怒鳴りたいところだったが、どうせルークに丸め込まれてしまったのだろうと見当がついているので、いうだけ無駄だとわかっている。
「お、アッシュ戻ったのか」
 ずかずかと荒い足音を立てて廊下を歩いていると、カラの盆をかかえたガイと行きあった。
 現在、形だけ使用人としてファブレ家に滞在しているこのルークの保護者は、いまでは表でも彼らに敬語を使わない。
「戻ったのかじゃねえ!世話役ならこいつを放置するな!」
「仕方ないだろう?ルークがどうしてもって言うんだし。それに、門には白光騎士団が詰めているし。もし侵入者があっても、とりあえずルークが逃げるだけの時間はかせげるからな」
 聞きようによっては素敵に人でなしなことを、ガイは爽やかな笑顔で言い切った。
 その笑顔をなぐりつけてやりたい衝動をおぼえながら、アッシュはまだ自分よりも上にあるガイの顔を睨みつけた。
「ルーク、茶の支度は部屋の方にしておいたからな」
 自分を睨みつけてくるアッシュにガイはニヤリと質の悪い笑みを浮かべると、今度はうってかわった蕩けるような笑みをルークにむけた。
「玄関先の騒ぎが聞こえたからな、その方がいいと思って」
「サンキュー、ガイ!」
 ぱっと満面に笑みを浮かべたルークに、ガイは可愛くてたまらないという笑顔を浮かべた。
「夕食も部屋に運ばせてるから、二人ともそっちでとれよ。奥様には言ってあるから」
「おい!」
「あ、奥様はもうお部屋に下がられたからな。挨拶は明日の朝でいいそうだ」
 てきぱきとガイは先回りしてそう答えると、ニコニコと笑いながらルークの頭をくしゃりと撫でた。
「というわけだから、めいいっぱい甘えてこい!」
「おう!」
 つられて両手をあげそうになったルークに、アッシュは間髪入れずに拳骨を降らせた。
「痛ってえぇぇっ!」
「うるさいっ!」
 涙目になっているルークに勢いよく怒鳴りつけると、アッシュはルークの腕を掴んだまま離れへと足をむけた。
 ぎゃあぎゃあと言い合いながら遠ざかってゆく二人の後ろ姿に、ガイはにこやかな笑みを浮かべながらひらひらと手を振って見送ったのだった。




「てめえ、どういうつもりだ……」
 たがいの部屋がならぶ離れへと戻ったアッシュは、先ほどとは逆に自分の部屋へアッシュを引きずり込もうとしているルークに、不穏げに目を細めた。
「どういうつもりって、さっきガイが言ってただろ?今日はもう、こっちには誰も来ないから」
「何を企んでやがる」
「たくらむだなんて、人聞きの悪い…」
 不服そうに頬をふくらませたルークに、アッシュはますます疑い深そうに目を細めた。
 以前、やはりこうやって浮かれたようなルークにのせられて彼の部屋に引きずりこまれ、眠り薬を盛られたことは記憶に新しい。
 ルークいわく、働きすぎだから少しでも休ませてあげようと思ったとのことだったが、その効き目が強すぎてうっかり永遠の眠りにつきそうになったのは笑えなかった。
 もちろん出所はあのマルクトの死霊使いで、あれが単なる配合ミスなどではなかったことは明白だ。
「どうだか…」  すがめた目のままでルークを見おろすと、見あげてくる顔がむっとした顔になった。
「なんだよ!アッシュのケチ!」
「ケチとはなんだケチとは!」
「ケチだからケチと言って何が悪りい!」
 勢いよくそう言いはなって、そのままくるりと背をむけて部屋のドアを閉めようとしたルークを、今度は逆にアッシュが捕まえる。
「わけわかんねえこと言ってないで、きちんと説明しろ」
「知らねえよっ!」
 どうやら完全に拗ねてしまったらしいルークに、アッシュはとりあえず一度自分の苛立ちを押さえることにしてできるだけ優しい声をだした。。
「……てめえの部屋で話を聞いてやる。それでいいな」
 強情に顔を背けたままだったが、無言のままルークが頷くのがみえた。
 以前は自分とまったく同じ姿形だったせいか、怒鳴りつけることにあまり抵抗がなかった。しかし目線がすこし下になっただけで、どうにも居心地の悪い気分にさせられてしまう。



 部屋にはいると、テーブルの上にはきちんと二客のカップがセットされていた。
 まだむくれたままのルークをテーブルにつかせようとしたが、逆にしがみつかれてしまう。アッシュは一瞬迷ってから、しがみついてきたルークの頭をそっと撫でるように軽く叩いた。
 こんな時どうすればいいのか、正直言ってはじめはよくわからなかった。
 ガイがよくこうやってルークをなだめるのを見ていたから、最初はその真似をしてみた。実際にそうやってみると、不思議と自分に頼ってくるルークが大切に思えるようになったから自分でも単純だと思う。
 このままではまともに食事を取ることもできないだろうと判断すると、アッシュはルークを抱えたままベッドの方へ移動した。
 先ほどまでの浮かれた様子が嘘のように、ひどく不安定で落ち込んだような顔をしている自分の半身に、アッシュはまた読み違えたことに気づく。
 もともとは活発で明るい性格なこともあって普段は陽気に暮らしているせいか、その心の中に想像もできないような闇を抱えていることを忘れてしまいがちになる。
 決して心が弱いわけではないとは知っているが、人はいつでも自分を律していられるほど強くはない。
 それでも、そんな自分の弱さをルークは容易に人に見せようとはしない。
 例外なのは、アッシュとガイくらいだろう。
 ベッドに腰を下ろすと、待ちかまえていたようにさらに強くしがみついてくる。
 ガイが「甘えてこい」と言ったのは、これを見抜いていたからだろう。
 まったく、共にある相手としてルークが手を取ったのは自分のはずなのに、いつまで経っても自分はこの半身についての判断はあの男にかなわない。
 何があったわけでもない、ただ耐えきれなくなっただけなだのろう。
 だが、そうやってやってくる心の闇はあまりに唐突で暗すぎて、辛くて苦しい。
 そう思えば、あの浮かれた様子も玄関先で自分をじっと待っていたことも、すべてこれに直結しているのだと考えればわかりやすい。
「ったく……」
 おもわずそうもらした途端、びくりと怯えたように腕の中の体が震えた。
「テメエのことじゃねえよ」
 苦笑いしながら見あげてくる顔をのぞき込むと、碧色の瞳が不安げに揺れているのが見える。
 そっと頬を撫で、軽く額にキスを落とす。
 眦にも一つキスを落とし、鼻の頭にもひとつ掠めるようにキスをすると、薄く目を閉じたルークの顎を上向かせて唇を重ねる。
 従順にひらいた唇を軽くついばんでから舌をすべり込ませると、それに応えるようにおずおずとルークの方からも舌がのばされる。
 やわらかな舌を絡めとると、アッシュは思いのままに激しく舌先でルークの口内を蹂躙しはじめた。
「…んっ…んんっ」
 舌先で上顎の裏側を撫でると、くぐもった声があがる。何度もそこを執拗に突くように舐め、耐えきれないようにしがみつく指が震えるのを横目で見下ろしながら、痺れたように動かなくなっている舌に自分の舌をすりつけるようにして刺激してやる、
 敏感な舌先をなんども擦るようにして舌を絡め、すべてを奪い尽くそうとするような激しさで口内の熱をさぐる。
「うっ…んんっ…はっ」
 一度軽く唇を離してやると、必死に息をつこうと赤く染まった唇が開く。
 苦しさと快楽に赤く染まりはじめた頬をそっと指でたどると、それだけでちいさく震えるのが指先に伝わってくる。
 もう一度深く唇をあわせながら、空いた手でするりと背筋から腰までのラインをなで下ろし、焦らすように腰のあたりを撫でると、びくりと腕の中の体が大きく震えた。
 そのまま腰を抱え上げるようにして体を持ちあげ、膝の上にルークの体をのせる。
 片足を挟むようにしてのせられたルークの下肢の中心をやわらかく刺激するように上下させてやると、その刺激から逃げようとするようにルークの腕がアッシュの胸にのばされて必死に体を離そうとする。
「逃げんな」
 唇を離して耳元で低く囁くと、びくりと怯えたように肩が震えるのが見えた。
「ちゃんと、甘やかして欲しいんだろう…?」
 くつりと笑いを含んだ声で、揶揄するような言葉を耳の中に流しこんでやる。
 碧の瞳がアッシュをとらえ、歪む。
 


 抱えあげた体をベッドの上に押し倒しながら、今度は軽くついばむようなキスをひとつする。
 いつだって、この存在に振りまわされてきた。
 それを疎ましいとも、憎いとも思ったこともあった。
 それらの気持ちがすべてなくなったわけではないのだろうけれど、愛しいと思う気持ちも同時にいまは自分の中にある。
 だから、どうしようもない闇にルークが落ちそうになるたびに、自分はこれからもずっと手を伸ばし続けるだろう。
 自分という場所があることを、教えるために。



END
(07/02/13)


エロ逃げ…。