メレンゲ・ワルツ




 
その朝、ルークの機嫌はいつになく斜めだった。
ガイに綺麗にブラッシングしてもらった髪の毛はつやつやだったし、朝食に食べたフレンチトーストの甘さも絶妙だった。だけど、それらすべてがそろっても、ルークの機嫌は上昇しなかった。
しかも不機嫌の原因がわかっているだけに、まわりも微妙な笑みしか浮かべられない。
本日の屋敷猫ルークの不機嫌の原因。それは無邪気に慕っている兄が、朝から彼を置いて一人で街に降りて行ってしまったことにあった。
もちろん今までにも何度か同じようなことはあったが、その時はかならずアッシュはルークに一言行ってから出かけていたのに、今朝は起こしてもくれなかった。つまり、置いてけぼりをくらったわけだ。
それに気がついたときのルークの落ち込んだ姿は、使用人や白光騎士団たちから見ても気の毒なくらいだった。
だからそっとしておいてあげましょう、などと少々仏心を出したのが徒になったのかもしれない。気付いたときには、ルークの姿は広大な敷地のどこにもなかった。



「で、あんたは何しにここに来たわけ?」

シンクはアッシュのように眉間に皺を寄せながら、でかでかと「迷惑」と書いた顔で呆れたような視線をルークに向けてきた。

「なんでって、ひでーと思わねえ? アッシュの奴!」
「欠片も思わないね。あんたみたいに鈍くさい猫を連れているより、一人の方がずっと身軽だからね」

ここぞとばかりに不満の声をあげたルークにシンクは冷ややかにそう答えると、鼻で笑った。

「ンだとっ!」
「大体僕が通りかかったからよかったものの、あんたまた迷子になっていたんだろ?」

シンクのその言葉にルークはうっと言葉に詰まると、立てていた尻尾と耳を垂らした。
実は街に降りるまではよかったのだが、アッシュの行きそうなところを探し回っているうちに、気がついたときにはすでにルークは立派な迷子になっていた。
そして、思わず涙ぐみそうになってとぼとぼと歩いていたところを、はじめて外に出たときと同じようにシンクに保護されてここにつれてこられたのだ。

「シンク、言い過ぎですよ」

半ば涙目になりつつあったルークを見かねて、すぐ横からイオンが口を挟んでくる。
おっとりとした柔らかな口調だが、同時にこちらに向けられた目が笑っていないことに気がついたシンクは、慌てて目をそらした。こんな顔をしているときのイオンが酷く厄介な相手だと言うことは、シンクが誰よりもよく知っている。

「でもびっくりしましたよ、シンクがいきなりあなたを連れてきたから」
「……悪い」

途端に情けなく下がった眉尻に、イオンは笑いながら首を横に振った。

「ルークならいつでも歓迎しますよ。ですが、今回はたまたまシンクがあなたを見つけたからよかったですが、下町での一人歩きは危険ですから気をつけてくださいね」
「お、おう」

そっとイオンの柔らかな手が自分の手を取るのに、ルークはどぎまぎしながら返事を返した。それをシンクは呆れたように横目で見ていたが、ふと何かに気がついたのかぴくりと耳をふるわせた。

「どうやら、お迎えが来たみたいだよ」
「へ?」

まるで何もわかっていない様子できょとんと目を丸くするルークに、シンクはこめかみのあたりを軽く押さえる。これだからお屋敷猫は、とでも言いたそうな顔だ。
ちょっとバカにされたのがわかったのかルークはムッとした顔になったが、すぐに自分も耳を立てるとぱあっと花が咲くような勢いで笑顔を浮かべた。
はたしてそのすぐ後に、全速力でこちらに駆けてくる靴音とともに角から必死な形相のアッシュが現れた。

「あ…っ!」
「こんっっっの屑がっ!」

ぴこんと耳を立ててアッシュの名を呼ぼうとしたルークは、その声を吹き飛ばす勢いで駆け込んできたアッシュに思いきり頭をはたかれて、その場にうずくまった。

「いってーなっ! 何すんだよっ!」
「何すんだじゃねえっ! 勝手に屋敷を抜け出しやがって、ばれたらどんだけ大騒ぎになると思ってんだ!」
「だって!」
「だってじゃねえ!」
「まあまあ、それくらいでいいじゃないですか」

さらに追い打ちをかけるようにはたこうとしたアッシュの手を、音もなく近くにきていたイオンが止める。おっとりとした優しい声の制止に似合わない強い力に手を握られて、アッシュはぎょっとした顔でイオンの顔を見た。

「ルークも無事でしたし。心配してここまで来たのでしょう?」
「えっ?」
「こいつを見かけたら、ここに来るようにって伝言しておいたんだよ。落とし物があるからって」
「落とし物……」

遺失物扱いかよと心の中で独りごちながらも、ルークはイオンの言葉にムッとしながらも顔を赤らめたアッシュに、悪いとは思いつつぱたりと尻尾が動いてしまうのを止められない。

「よかったですね、ルーク」
「よくねえっ!」
「お迎えも無事来たようですし、騒ぎになる前に帰った方がいいと思いますよ」

噛みつくような勢いで答えるアッシュを軽く無視したまま、名残惜しそうにイオンはルークの手を握りながらそっとルークの耳に囁いた。

「ルーク。なんでアッシュがあなたを置いて出かけたのか、僕はわかりましたよ」
「えっ?」

思わず目を丸くして自分を見るルークに、ふふっと花のようにイオンが笑う。
「気になるでしょうけれど、明日を楽しみにしているといいですよ。きっといいことがありますから」
「へっ? えっ?」

いったい何がわかったというのだろう。気になって聞き返そうとすると、楽しみは後でわかった方が楽しいですよ、とはぐらかされる。そうこうしているうちにも、苛立ったアッシュにルークは強引に引きずられてゆく。

「イオン?」
「またいらしてくださいね。今度は二人で」
「あ、お、おうっ!」
「ルーク、勝手に返事をするな」
「良いお茶を用意して待っていますよ」

イオンはニコニコと笑いながら手を振ると、ぎゃんぎゃんと口喧嘩をはじめた赤毛の兄弟を微笑ましく見送った。



その後、屋敷に帰るまでのあいだルークは屋敷を抜け出したことについてアッシュにこってり絞られることとなった。それに怒ったルークが屋敷に帰るなりてこもったりもしたが、結局は夜になって寂しくなり自分で部屋のドアを開いたことにより、それも解決することとなる。
そしてその翌日。
目覚めるなり無言でアッシュがさしだしてきた箱の中身を見て、ルークは思わず歓声を上げた。
そこにあったのは、色とりどりの丸いマカロン。
思い違いでなければ、前に街に出たときにルークがショウウィンドウにへばりついて見ていた店のものだ。だがアッシュは、キラキラと目を輝かせているルークに、お返しだとぼそりと呟くとそのまま慌てたように部屋から出て行ってしまった。
いったい何のお返しなのだろうと首を傾げていたルークの疑問に答えてくれたのは、ルークを起こしにやってきたガイだった。
そこでようやくホワイトデーの存在を知ったルークは、昨日のイオンの言葉が本当になったことに驚きながらも、アッシュからもらった箱を抱えながら部屋を飛び出した。



しかしその後、同じ物をナタリアにも買って渡していたことを知ったルークは再び部屋の中に立てこもり、痺れを切らしたアッシュに部屋の中から引きずり出されることとなる。
そして、それに怒りながらもそんなふうに拗ねて見せる弟に、やっぱり可愛いなどとメロメロになっている兄がそれなりに幸せだったことは言うまでもない。



END