Happy Marry!




*この話には女装要素があるので、注意してください。




「動かないで」

 まるで不審者を誰何するときのようなティアの厳しい声に、ルークは反射的に固まった。
 声だけではなく軽く睨みつけてもきたティアの顔は綺麗に化粧されていて、普段は長く垂らされている髪も綺麗に結い上げられていた。
 淡い栗色の髪はやわらかなクリームのようで、結い上げた髪に飾られた華やかなリボンや花が可愛らしいケーキを思い出させる。
 ちょっと美味しそうだなと思ったが、口にはしない。さすがに女三人に囲まれて旅をしただけあって、そういう不用意な発言が彼女たちの怒りを招くことは学習済みだ。
 そういえばお腹が空いたかもしれないなどと呑気なことを考えていたルークは、ふとすぐ近くにティアの顔があることに今更気がついて、慌てて後ずさろうとした。



「ルーク、動かないでって言ったでしょう?」

 だがすぐに飛んできたティアの注意に、ルークは再び動きをとめた。

「もう、どうしてじっとしてられないのかしら」

 ティアは綺麗なカーブを描く柳眉を軽くしかめながら、手に持っていた大きな刷毛のようなものをルークの顔の上に置いた。

「な、なんだ……?」
「ルークっ!」

 メッと子供のようにティアに叱られながら、ルークは自分の頬の上をはたいてゆく柔らかな刷毛のくすぐったい感触に目を白黒させた。
 おまけになんだか、甘ったるい匂いもする。
 動揺していたせいかルークは思いきり息を吸い込んでしまい、その途端甘い粉っぽさにむせ返る。ケホケホと咳をするルークにティアは不満げに眉をしかめたが、すぐに真剣な顔で手元にある何かを覗き込みながらなにかを選びはじめた。
 ルークはなんとか息を整えると、微かに涙のにじんだ目であらためてティアの方を向いた。そして初めて彼女がいつも着ている教団服ではなく、滑らかな絹の光沢が美しいチョコレート色のドレスを着ていることに気がついた。
 思わず開いた胸元に目がいきそうになり、あわてて視線をそらす。
 年下ながら(もっとも、今ではティアの方が年上になってしまったのだけれど)姉のように思っている彼女の艶姿にどぎまぎしながら、ルークはふと背中と腹のあたりが妙に苦しいことに突然気がついた。
 それだけではない。なんだか首のあたりも、ぴっちりと布に被われているような気がする。襟の詰まった服など正装以外ではめったにしないせいか、一度気になると気になってしかたがない。
 そっと首元に手を伸ばすと、なぜか手袋の頼りない指触りがした。普段身につけているグローブは指先が出ているのに、と巨大な疑問符を浮かべたところで、ティアが今度は先ほどよりも細い筆のような物を取り出してまた顔を近づけてきた。

「目を閉じて」

 あまりに真剣な顔に思わず目を閉じると、瞼の上にくすぐったい筆の感触が走る。なにをされているのかさっぱりわからないルークは、もういいわよというティアの声に促されて目を開けた。
 なんだか、顔がいつもと違う感じがする。無意識に顔に触ろうとすると、ティアに軽く手をはたかれる。それに抗議するように彼女を見上げると、なぜかうっとりとした顔で満足げにルークの顔を見ていた。

「可愛いわ」
「は……?」

 なにが?
 たしかに、彼女が可愛い物マニアな事は知っている。だが自分の顔を見てそういう感想をもたれたとは、絶対に思いたくない。だがうっとりとルークの顔を覗き込んできているティアの顔は、紛れもなくそういう時に彼女がする顔だった。
 慌てて彼女を問い詰めようと口を開きかけたルークの勢いを削ぐように、軽やかなノックの音と共に扉が開かれた。

「ティア、出来まして?」

 部屋に入ってきたのは、こちらも普段の動きやすいドレスではなく、淡いブルーの正装用のドレスを着たナタリアだった。その手の中には、ちょこんとミュウがおさまっている。
 そんな一匹と一人はルークの方を見ると、途端に目を輝かせた。

「まあ、綺麗に出来てましてよ。ルーク」
「ご主人様、綺麗ですの!」

 そう言いながらこちらにやってきたナタリアとミュウ、そしてティアの三人は、ルークの頭の上で彼を囲みながらなにやら嬉しそうに話しはじめた。一人だけ置いてけぼりにされたルークは抗議の声をあげようとしたが、彼女たちの不穏な会話を耳にして慌てて口を閉じた。

「やっぱりルークは白が似合いますわ。ティア、貴女にメイクをお願いしたのは正解でしたわ」
「ありがとう。でも、元がいいからあまりメイクしないでも十分だったわ」
「ええ本当に。髪の色もドレスに綺麗に映えて、本当に綺麗ですわ」

 なにやら恐ろしい単語が頭の上を飛びかっている。
 ルークは背中に冷たい汗が一筋落ちてゆくのを感じながら、おそるおそる自分の恰好を見下ろした。

「なんじゃこりゃああああぁっっ!」

 思わず椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がったルークは、そのまま裾を踏んで倒れそうになったところをなんとか踏みとどまった。
 そして、ふと横に流した視線の先にあった大きな姿鏡の中に写った己の姿に、目眩を覚える。
 白くふんわりと膨らんだドレスの裾。
 そこに写っていたのは、紛れもなく白いドレス姿の自分だった。



「何って、貴方のドレスでしょう?」

 呆然と鏡の中の自分を見つめていたルークに、心底不思議そうなナタリアの声がかけられた。

「なななっ、なんで、俺がドレスっ!」

 なんかの罰ゲームなのか、これは。いやしかし、それにしては随分と気合いが入っているドレスだ。
 だが、今はそんなことが問題なのではない。どうして自分がこんな物を着せられなくてはならいいのか、ルークには全く覚えがないのだ。

「何でって……」

 こちらも不思議そうな顔で呟きながら、ティアはナタリアと顔を見合わせた。  なんだか、とても嫌な予感がする。
 そして、そういう予感は得てして外れないものだ。

「……今日は、貴方の結婚式じゃない」

 その瞬間、世界が終わったような気がした。



「冗談じゃヌェええええっ!」

 一瞬遠のきかけた意識をなんとかたぐりよせると、ルークはすぐさま逃亡をはかることを決意した。
 しかし裾を長く引くドレスは思いのほか動きづらく、裾を踏んで転びそうになるのにじれて裾をたくし上げると、そのまま扉の方へと走った。
 あと少しで扉に手がかかるというところで、突然ルークの顔のすぐ横を何かが勢いよく通り抜ける。それが何かと認識するよりも前に、ルークの手のすぐ横に矢が突き刺さる。

「ひっ……!」
「お待ちなさい! ルーク!」

 一体どこから取り出したのか、ナタリアの手には愛用の弓が握られていて、しかも二射目の矢がつがえられている。

「まだ支度は終わっていませんわ! キムラスカ王家の名にかけて、貴方の婚礼の支度は完璧な物に仕上げなくては!」
「んなことしなくて良い!」

 むしろ今すぐこのドレスを脱がせと叫びたかったが、その途端、聞こえてきた聞き慣れた歌声にざっと顔が青ざめるのがわかった。

「ふっざけんなあああぁ──っ!」

 だがそんな叫びもむなしく、ルークの意識は突如暗転した。



 もう、拷問だとしか思えなかった。
 次に気がついたときには、すでに支度はすべて終わったらしかった。だが逃げ出そうにも実際には身動き一つ取れず、ルークは体を締め付けてくる苦しさに呻きながら、いかにも控えの間というような部屋の真ん中に立ちつくしていた。
 何かで締め上げられているのか、腰と腹が苦しい。しかも足には安定の悪い高いヒールを履かせられていて、ちょっとでも身動きしたらそのまま倒れることは請け合いだった。
 だがそのままへたり込もうとすれば、両脇に控えているティアとナタリアから叱責が飛んでくる。
 顔の前にはヴェールがたらされ、視界もあまりはっきりしない。
 これが拷問といわずにいられるだろうか。

「ルーク、時間ですわ」

 さあ、とナタリアが晴れやかな声をあげてルークのドレスの裾を持った。反対側でティアも同じようにするのが、ヴェールごしに見える。
 いまだ冗談のただ中に放り込まれているとしか思えないルークは、いやいやながらも彼女たちに無理矢理押し出されるようにして開かれた扉の向こうに一歩踏み出した。

「つか! 公開羞恥プレイかよ!」

 大歓声に迎えられたルークは思わずそのまままわれ右しそうになったが、両脇に控えた女性陣にさりげなく突き飛ばされるように前に進まされる。
 なんだか死刑台に連行される囚人のような気持ちになりながら、ルークは半ば魂の抜けかけたような状態で前に進んだ。
 長い長いヴァージンロードを歩き終わってようやく祭壇の前にたどり着いたときは、すでにルークは完全にやさぐれていた。
 ヴェールの向こうに隠れて、相手の顔は見えない。
 正面に立った相手を蹴り飛ばしてやりたかったが、バランスの取れない靴ではそのまま後ろに転がるのが関の山だとわかっているのでかろうじて堪える。
 ともかくここで乱闘を起こして逃げ出すにしても、自分を花嫁にしようなどとアホなことを考えた相手の顔を拝んで一矢報いてやらなければ気が済まなかった。
 花婿の手が伸びて、ルークのヴェールを押しあげる。
 ようやく開いた視界に正面に立つ相手にガンつけようとしていたルークは、そこにあった顔に、今すぐヒールを脱ぎ捨てて全速力疾走で逃げ出したくなった。

「おおお、おまえっ! 何考えてんだっ!」
「出し抜けになんだ、屑」

 きっぱりはっきりいつもの口調で。だが、その目だけは空恐ろしいほど優しく笑うアッシュがそこにはいた。



「綺麗にしてもらったな」

 あまりのことに金魚のようにくちをぱくぱくさせているルークを無視して、アッシュはヴェールを後ろに追いやると満足げにルークの顔を覗き込んだ。
 そう、覗き込まれている。おなじ身長のはずなのに、自分はヒールを履いているのに!

「シークレットか……」
「何か言ったか?」

 今の状況を忘れて思わず呟いたルークに、アッシュが怪訝そうな顔になる。

「じゃなくて……っ! アッシュ、これはどういうことだよっ!」

「俺とお前の結婚式だろう」
「あっさり認めるなあああぁっ!」

 どう考えても非現実的な話だ。だが試しに頬をつねってみても、なんの変化もない。意地になって頬をつねろうとするルークに、アッシュはその手を取って離させると、つねっていた頬にキスを落とした。

「せっかく綺麗にしてもらったのに、台無しになるだろうが」

 誰だこれは……。
 嘘くさいほど優しい笑みを向けられて、怖気が一気に襲ってくる。
 確かに自分とアッシュはそう言う関係にあるが、いまだかつて甘い愛の囁きなどというものは、片手で数えるのも悲しくなるほどしかもらったことがない。
 悲しいかな、それはそれでいいのかもと慣らされてしまっている自分もあれだが、あの超絶ツンデレが真顔で甘い言葉を囁くわけがない。
 というか、はっきり言ってキモイ。

「どうした、気分でも悪いのか? だがもう少しだけ我慢しろ」

 そっと髪を撫でられ、耳元にも軽いキスが落とされる。

「……やはりお前は白が似合う。この会場にあるどの花よりも綺麗な花だな」

 あまりのことに、その場で失神しなかった自分をルークは褒めてやりたかった。
 心理攻撃としか思えない台詞に魂の抜けかけたルークは、いつの間にか自分ががっしりとアッシュに捕まえられていることに気がついた。

「なななな、なんだっ!?」
「どんな苦況にあろうとも俺はおまえを一生愛し、何があっても一生離さない。そして、世界の誰よりもお前を幸せにしてやると誓う。……これは、その証だ」

 アッシュの顔が、だんだんと近づいてくる。逃げ出そうにも、しっかりと腰を抱き寄せられていてはそれもかなわない。
 うっかり見とれそうなほど綺麗な翠の瞳が視界に広がり、唇にやわらかな感触が重なる。


「離婚だあああああぁっっ!」
 

 反射的にあげた拳に、衝撃があった。
 低いうめき声と共にのしかかってくる重みを慌てて横に放り出すと、ルークは勢いよく起き上がった。

「あれ……?」

 気がつけば、なぜかそこは見慣れた自分の部屋のベッドの上だった。
 慌てて周囲を見回したルークは、自分のすぐ隣でシーツの中に埋もれたまま唸っているアッシュの姿を見つけて、さあっと血の気が引くのがわかった。

「あ、あ、アッシュ?」
「てめえ、どういうことだ今のは……」

 乱れた長い髪を掻き上げながら体を起こすと、アッシュは地の底を這うような低い声をだしながらルークを睨みつけてきた。

「いや、えっと……! 結婚式、……じゃなくって! 夢……?」

 こてんと首を傾げたルークに、すっとアッシュの目が不穏な形に細められる。

「夢だと? てめえ、寝ぼけて俺のことを殴りやがったのか。……良い度胸だ」
「うえええっ! ふ、不可抗力だっ!」
「そういやさっき、なにか変なことをほざいてやがったな……。離婚とはどういことだ?」
「え、ええっと。その、夢の中で……」
「どこのどいつとだ?」

 一気に、アッシュがブリザードを背負ったかのように怖い顔になる。

「うっと…、あ、アッシュと……」
「俺と別れると言いやがったのかてめえはっ!」
「突っ込むところはそこかよっ!」

 じたばたと暴れる体を背中から押さえこまれ、上に乗りあげられる。完全に逃げ場を失ったルークは、顔だけで後ろをふり返ると小さな悲鳴を上げた。

「どうやらてめえには、自分の立場をもう一度きちんと思い知らせてやる必要があるようだな……」
「知ってる知ってる! 暴力反対〜っ!」
「うるせえっ!」

 低い怒鳴り声と共に、首筋に噛みつくようにキスが落とされる。
 その日一日のルークの運命は、その時に決まったのだった。

 

Happy Marry!


END(07/09/09)



出来心です…。