不器用者と背中合わせ

(前・なんかむかつく)


 
「ルークさん、ですよね…?」
 町中で急にそう声をかけられて、ルークは怪訝そうに声の主をふり返った。
 人でごった返す市場のなか、その中でもひょっこりとひとつ飛び出したような銀色の頭がこちらを見てにこりと笑いかけてくる。その人懐っこい笑顔にきょとんと目を瞠っているあいだにも、彼はよろよろと人波に負けそうになりながらも、ルークの方へやってきた。
「やっぱりルークさんだ。おひさしぶりです」
 にぱっと朗らかな笑みを見せた青年に、ルークは一瞬首を傾げかけてから、ようやく思い出したように小さく手を叩いた。
「ギンジか!」
「そうです。おいらですよ。いつも妹がお世話になってます」
 ぺこりと頭をさげたギンジつられて、あわててルークも頭をさげる。
「いや、こっちこそノエルをかりっぱなしでゴメン。けっこう危険な目にもあわせちゃってるし…」
「気にしないでください。妹もその覚悟でついていってるんですし、ルークさん達の方がもっと危険なことやってるんですから」
 ギンジはやんわりとそういうと、どこかノエルに似た印象の顔で笑った。
「そう言ってもらえると助かる…」
 ほっとしたように笑ったルークに、ギンジはちょっと目を瞠ってからくすりと優しく笑ってからぽんぽんと軽く手のひらでルークの頭を叩いた。
 突然のことにきょとんと目を丸くしてギンジを見あげたルークに、彼はますますニコニコと笑みを深めた。
「やっぱり、アッシュさんとはちょっと反応が違うんですね」
「へ?」
「こんなことしたら、あの恐ろしげな剣で斬りかかられちゃいますよ」
 こんなこと、と言ってさらに二三度ルークの頭を撫でると、ギンジは優しい目をしたままルークを見下ろした。
 そんな表情が、ちょっとだけガイに似ているかもしれないとルークは思った。
「さっきあそこから見て、ちょうどルークさんの赤い髪が見えたんですよ」
 ギンジはさきほどまで自分がいた方を指で示すと、続けた。
「ちょっと色合いが違うけど、こんなに綺麗な赤はアッシュさん以外にはルークさんしかいませんからね。で、声をかけたんですけど、やっぱり色々違うんだなあって」
 ますますわけがわからず小首を傾げると、さらにギンジの笑みが深くなる。だけどそれは決して不快な物ではなく、どちらかというとふんわりと優しい気持ちを感じさせくれるもので。
「そういえばノエルに会っていかないのか…?」
 ほんわりとした気持ちになりながら、ルークはふと今日もアルビオールの整備に残っている彼女のことを思い出して訊ねた。
「行ったら、妹の奴に邪魔扱いされますからね。そういうところは本当に頑固だから」
「そんなもんなのか?」
 会えれば嬉しいんじゃないかと思うのだが、違うのだろうか。
「そういうものなんですよ。あ、でも、よければおいらも元気でやっているって伝えてやってください。……ところで、ルークさんはいま買い物の途中かなんかですか?」
「ん?ああ、まあな。暇だったからちょっとぶらぶらしていただけだけど…」
「じゃあ、もし良かったらおいらにちょっと付き合いませんか?」
「へ?」
「一度ゆっくりお話ししてみたかったんですよ、ルークさんと。……だめですか?」
 うって変わってシュンとした顔でのぞき込まれて、ルークはうっと言葉に詰まった。
「別にかわまねえけど…」
「じゃ、そこでちょっとお茶でも飲みませんか?おごりますから」
「えっ?いや、別にそんな…」
「前に助けてもらったお礼って事で」
 じゃあ行きましょう、と自然に腕をとられて戸惑う。
 違うのに、となぜか咄嗟に思った。
 そして、そんなことを急に思った自分を不思議に思う。
 ではなにが違うのかとすこし考えてみたが、結局は分からなかった。



 はじめてゆっくり話をしてみたが、ギンジは明るく屈託のない性格の青年だった。
 あのノエルの兄らしくさわやかな青年で、しかしどこか彼女よりもおっとりとした印象が強い。嬉しそうに笑う顔もどこか幼い感じで、背の高さのわりにはあまり威圧感をあたえない。
 カップを持つ手はごつごつとしていて大きく、だけど器用そうだった。
 その手をぼんやりと見て相づちをうちながら、ルークはなんとなく彼を見てガイのことを思い出していた。
 ガイの方がもっと色々とそつのないところが多いが、さっきルークの頭を撫でた手の感じとか、全体から受ける印象があの過保護な元使用人によく似ている。
 もしかしたら音機関関連でそう連想するのかもしれないが、時々目が合うとにこりと安心させるように笑ってくれるところとかもよく似ていた。
「ああでも、やっぱり不思議な感じですね」
 自分の珈琲を一口飲んで、ギンジが笑う。
「よく見ればやっぱりそっくりだけど、こうやって話しているとアッシュさんとは全然違う」
「は?」
「アッシュさんね、なに話していても基本的にはここに皺を寄せてるンすよね」
 ここ、とギンジは自分の眉間のあたりを指で突くと、わざとらしく眉をしかめてみせた。
「ルークさんは話しているところころ表情が変わるから、印象からして違うし。もうすこし力を抜いても良いんじゃないかとおいらなんかは思うけど、あれがアッシュさんにしてみれば普通なんでしょうね」
 そのまま頬杖をついて、ギンジはきょとんと目を丸くしているルークに、楽しそうに笑った。
「……アッシュって、やっぱり普段もあんな感じなんだ」
「基本はかわらないですね。いつも気むずかしそうな顔して。でも、たまに笑いますよ」
「へー」
 正直言ってしまうと、笑ったアッシュの顔なんて想像ができない。
 同じ顔なのだから自分の笑い顔を鏡で見ればいいじゃないかと言われてしまいそうだが、やはりそれでは何かが違うのだ。
「普段、どんなこと話したりしてるんだ?」
「ほとんどは行き先の相談とか、そんなのがほとんどですね。あとはお姫様のこととか」
「ナタリアのことか…」
 そういえば、前に漆黒の翼の連中がアッシュの話すことはナタリア六割と言っていた気がする。
「あまり自分のこととは話さないですね。あとは、ルークさんのこともよく話題に出ますよ」
「……どうせ屑とか役立たすとか、散々言ってんだろ?」
「うーん、否定できないところが辛いところですが」
 ギンジは困ったように眉尻をさげて頬を掻くと、居心地悪そうに肩をすくめた。
「でも、そう言いながらもアッシュさんてルークさんのこと認めているようにおいらは思うんですがね」
「へ?」
 彼の口から漏れたその一言に、ルークは思わず動きをとめた。
「さんざんなこと言いますけど、期待しているから酷いこと言うんだと思いますよ。アッシュさんの場合。それと、たぶん素直に認めたくないんですよね。ルークさんを認めていること。そういうところ、素直じゃない人だし……」
「で、でも…」
 思いがけない嬉しい言葉に、動揺が走る。そんなことはないと打ち消しながらも、期待する気持ちを止められない。
 それに、なまじアッシュの側にいるギンジの言葉だから、信じたい気持ちが強くなる。
「ちゃんと話してくれませんけど、色々あったってことはちょっとずつ聞いてます。でもね、アッシュさんはルークさんのこと話すとき、どうしようもない馬鹿野郎だって言いながらも、たまにすごく嬉しそうだったり得意そうだったりするンですよ。本人は気づいてないと思いますけど」
 ギンジは片目を瞑りながら、悪戯っぽく笑って見せた。
「だから、色々言うけれど、アッシュさんはルークさんのこと気にかけているんだっておいらは思ってます。そうでなけりゃ……」
「随分と楽しそうなこと話してんな……」
 不意に後ろから割ってはいってきた低い声の響きに、ルークは文字通り飛び上がった。
 目の前のギンジが、あ、という顔でルークの背後に目をやり、へらりと笑う。
「アッシュさん、遅かったですねぇ」
「……てめえ、これはどういうことだ?」
 ふり返ってみなくてもわかる。めちゃくちゃ機嫌が悪い。
 それでも好奇心と誘惑に負けてそろそろとルークが背後をふりかえると、そこには想像通り不機嫌そうに顔をしかめたアッシュが立っていた。
「買い物の途中でルークさんに会ったから、お茶に誘ってたんですよ」
 ね、とアッシュの不機嫌さもどこ吹く風といった顔でギンジが受け流す。
「アッシュさんだって、ルークさんに会いたかったでしょ?」
「勝手なこと抜かすな!用もねえのに、こいつの顔なんて見たいわけがねえだろうが!」
 いつものようにギロリと睨みつけられて、びくりとルークの肩が震える。
「またそうやって憎まれ口を言うし。いいじゃないですか、一緒にお茶を飲みましょうよ」
 ギンジはアッシュに睨まれても、平然としたまま続ける。
「冗談じゃねえ!なんで俺が、この屑と仲良く茶なんざ飲まなくちゃなんねえんだ!……胸糞悪りい。先に戻る」
「あ、アッシュ!」
 突然声をあげたルークに、アッシュは不機嫌さ全開の目をむけてくる。
「なんだ?屑」
「せっかくなんだから、ゆっくり話でも…」
「おまえに話なんかねえ」
 アッシュはルークの言葉を容赦なく切ると、きびすを返してそのまま店を出て行ってしまった。
 遠ざかってゆく赤い長い髪を見送ると、ルークは小さく肩を落とした。それをギンジは困ったように見つめると、ため息をひとつついた。
「……すみません。おいらが余計なことしましたね」
「ギンジのせいじゃないから…」
 うなだれてしまった緋色の頭に、ギンジは情けなく眉尻をさげた。
「俺、そろそろ帰ります…。ごちそうさまでした」
 ルークは席を立ってぺこりと頭をひとつ下げると、そのままギンジの顔も見ずに足早に店を出て行ってしまった。
 その後ろ姿を見送りながら、ギンジはまたひとつため息をついたのだった。



 店から見えない場所までやってくると、ルークは走り出した。
 ときどき人にぶつかりながらも、ただひたすら走った。
 そうしないと、あとから追いかけてくるなにかに捕まってしまうとでもいうように。
 アッシュに酷い言葉を投げつけられるのは、いつものことだった。
 たしかにいつもそのことで傷つきはするのだけれど、今日はそれだけではなかった。
 今胸の中にある、このもやもやとした思い。
 それが羨望や嫉妬と呼ばれるものに近いことを、ルークは知っていた。
 先ほどギンジに腕を捕まれたときに「違う」と感じた思いがなんだったのか、ようやくわかったのだ。
 ギンジと一緒にいるのはアッシュで、自分ではない。アッシュと一緒にいるのは、自分ではなくギンジなのだ。
 思い出してみると、アッシュが六神将の誰か以外と一緒にいるところを、ルークはほとんど見たことがない。
 アッシュがルークたちの前に現れるときはたいてい一人で、だから誰かと一緒にいるアッシュというのをいままでルークはあまり意識したことがなかった。
 先ほどのアッシュとギンジのやりとりのなかにあった空気を、ルークもよく知っている。一度失ったけれどようやくいま彼が取り戻しつつある、仲間同士のあいだにある信頼だ。
 自分にはむけられない信頼を、ギンジはあっさりとアッシュから受け取っている。そう感じた瞬間、自分の中に暗い感情が渦巻いたのをルークは感じた。
 そして、そんなことを感じてしまった自分を恥じて消えてしまいたかった。
 ギンジは、ルークから見てもちょっと情けない感じはあったが、いざとなれば頼れるだけの懐の広さを感じさせる相手だった。
 ガイに似ている、と思ったのもそのせいなのかもしれない。
 きっと彼ならアッシュを受けとめて、助けることができる。それをアッシュも無意識にわかっているから、信頼をよせているのだろう。
 ルークがガイのことを無意識に味方だと信頼しているように。
 だから、それがどういうものなのかよくわかるだけに、嫉妬したのだ。
 確かに自分ではアッシュを支えきれないことは分かっている。
 だけど、自分には与えられない心が他人に向けられているのを平気で見ていられるほど、ルークは大人ではない。
 人一倍アッシュのために何かができたらいいと思っているからこそ、できない自分に苛立ち、他人を羨望する。
 まるでだだっ子のようだと、自分でも思う。
 自分がだめだからと思う反面、どうしてわかってくれないのかという気持ちも同じように大きくなってゆくから。
 立ち止まったら、大声で叫んでしまいそうだった。
 だからひたすら走った。
 とりあえず、それしかこのもやもやとした気持ちから逃げ出すすべをルークは知らなかった。



「どこまで意地っ張りになれば、気が済むんですか?」
 アルビオールに戻ったギンジは、中に入らず機体にもたれかかって自分を待っていたアッシュに、小さく肩をすくめた。
「……なんのことだ?」
「ルークさんに会えて嬉しかったんでしょ?なのに、あんなこと言っちゃって…」
「てめえがどう思っているかしらねえが、俺はあの屑のことなんてなんとも思っちゃいねえ。おまえも同類に見られたくねえなら、あいつに近寄るな」
 アッシュは吐き捨てるようにそれだけを言うと、一度ギンジを睨んでからアルビオールの中に入っていった。
「……近寄るなねえ」
 一人取り残されたギンジは、そう呟いて小さく肩をすくめた。
「羨ましかったなら、素直に言えばいいのに……」
 まったく素直じゃないんだから、とひとつ息をつくと、ギンジはこきこきと首を鳴らした。
 大切なレプリカに自分が近づいたからといって、こうも不機嫌になられてはたまったものではない。しかも、当たり散らす対象が自分だけでなくルークにまで波及するのは、照れ隠しにもほどがある。
「あのまま、嫌われなければいいんだけど…」
 ギンジはどこまでも不器用な子供のことを思いながら、もう一人の気の毒な子供のことを思ってため息をひとつついた。



END
(07/03/06)


ギンジは本当はもっと鈍いと思う。