ななつのこ




 それは物資の補給に立ち寄った、ケセドニアでのことだった。
 綺麗に着飾った幼い男の子が、両親に手をひかれて歩いていた。
 上等な布で作られた、法衣のような衣装の裾がはためく。
 ローレライ教団の印こそないものの、その衣装が特別なものなのだと一目でわかる。
 頭には綺麗な布が巻かれ、その布も風になびき様々な模様がひるがえる。
 思わず惚けたようにその少年を見つめていたルークに、横を歩いていたガイはその視線にあるものに気づいてああと小さく笑った。




「七聖体の儀式だな」
「七聖体?」
 聞き慣れない言葉にきょとんと目を見張ったルークに、少し前を歩いていたティアが振り返った。
「子供が七才になったときの儀式よ。子供から大人への一歩を祝うためのお祝いなの。誕生日を迎えてから半年の間に教会で聖体の儀式をおこなって、ローレライ教団でもはじめて信者として扱われるようになるわ」
「へえ…」
 遠ざかってゆく子供の姿を見送りながら、ルークは感心したように声をあげた。
「でも、あんな古式な衣装を着ているのは最近では珍しいけどね」
「そうなのか?」
 そういって笑ったアニスに、ルークは小さく首をかしげた。
「最近じゃ普通に晴れ着着て礼拝して終わり、ってのがほとんどだよ。昔はわざわざダアトまでくる人もいたみたいだけど、最近じゃ近くの教会に行く人の方が多いと思うし」
「ふうん。てことは、もしかしなくてもけっこう普通なお祝いだったりすんのか?」
 何気なく問われたその言葉に、アニスは一瞬はっとした顔になってからすぐにいつものような明るい笑みを浮かべた。
「そーだねー。…あ、そうそう。七聖体のお祝いの時は特別な焼き菓子を作るんだよ。今度作ってあげよっか?」
「マジで?」
 お菓子という言葉にぱっと顔を輝かせたルークに、まだまだ子供だねえとお姉さんぶった顔でアニスも笑う。
 今までものを知らなかったこの子供は、いま必死になって色々なことを知ろうとしている。
 その姿はひどく一生懸命でほほえましいと同時に、なぜかひどく悲しく思える瞬間がある。
 だけどそう感じていることを、この子供に感づかせないこと。それが仲間達の間での不文律でもある。
 ものを知らないことを適度にからかいながら、さりげなく必要な知識を好奇心を満たしてやれるだけあたえてやる。
 それが、彼らにできる精一杯の好意。
 子犬同士がじゃれ合うようにはしゃいでいるアニスとルークを微笑ましく見つめていたガイは、ふと少し離れたところにいたジェイドを何気なく振り返った。
 そこに見つけた表情に、違和感を覚える。
 しかしジェイドはすぐにガイの視線に気づいたのか、その表情を消してしまった。
 ジェイドが意味ありげな表情をすることはよくあることだったし、ことルークに関しては彼なりに色々と思うところがある理由も知っていたので、普段はガイも彼のそんな表情を見て見ぬふりをすることが多い。
 だが、なぜかその表情だけは、小さな棘のようにいつまでもガイの心の片隅に引っかかっていた。





 ドアの開く音とぺたぺたという裸足の足音に顔をあげると、頭からタオルをかぶったままのルークがちょうど浴室から出てくるところだった。
「ルーク!またちゃんと頭拭かずに出てきたな」
「んー」
 ルークは面倒げにその声に答えると、タオルをかぶったままガイのところまでやってきた。
「拭いて」
「…たく」
 仕方ないなと肩をすくめながらも、答えるよりも前に手が伸びていては言い訳にもならない。
 どうにも自分はこの子供に甘くできているらしい。
 さすがに男三人で同室の時はこうまであからさまに甘えてくることはないが、二人きりになるとルークは思い出したようにこうやって甘えてくることがある。
 もっともこうやって甘えてくるのが可愛いなどと思ってしまっている時点で、この可愛いわがままも半分は自分のせいだといえなくもない。
 頭にかけられただけのタオルをとってやさしい手つきで髪を拭きはじめると、まるでミルクで腹をいっぱいにした子犬のように満足げにルークが目を細める。
「やっぱり、ガイに拭いてもらうの、気持ちいいよなあ」
「お褒めいただいて光栄ですよ、ご主人様」
 軽口で返してやると、小さな笑い声がある。
 最近ではなにかとふさぎがちになることが多いこの子供も、どうやら今日は機嫌が良いらしい。
 小さく鼻歌ででたらめな歌を歌っていることからも、その機嫌の良さが知れる。
 たわむれにそっとつむじの上に唇を落としてやると、くすぐったそうに小さく肩をすくめた。
 そんなルークの反応に気をよくして軽いキスをいくつか仕掛けてやると、二人きりという気安さもあるのか、じゃれるように体をあずけてきた。
 ガイは綺麗に髪の滴をすべて拭き取ってやると、かるく髪の形を整えてやってから、ポンとかるくルークの頭を手のひらでたたいてやった。
 礼のつもりなのか、言葉とともに笑いながら小さくあごのあたりに唇が押し当てられる。
 今夜は本当に機嫌が良いらしい。
 ちらりと一瞬だけこのまま戯れになだれ込んでしまおうかと思いながらも、あまりに子供っぽく笑うその顔に苦笑する。
 あくまでも甘えたいだけなのだわかってしまっては、いけない手を出すのがどうにもためらわれてしまう。
 それに、これだけ機嫌がいいルークは最近では本当に珍しいので、仕方がないとあきらめることにする。

 
 
「そうだ、ちょっと待ってろよ」
 しばらくたわいなくじゃれ合ってから、ふと思い出したようにガイは立って自分の荷物の中をあさりはじめた。
 それをぼんやりと見つめていたルークの膝の上に、ガイが荷物の中からとりだしたものを投げてよこす。
 それを反射的に受け取ったルークは、その小さな包みに小さく首をかしげた。
「それ、やるよ」
「…へ?」
 きょとんと目を丸くしながらガイと手元の包みを見比べていたルークは、その言葉にさらに目を丸くした。
「あけてみろよ」
 言われるままに包みを開くと、朱色の紐で編まれた飾り紐があらわれた。
 幾本もの糸で編まれた紐の部分には金色の糸が織り込まれ、複雑な形に組まれた花飾りの部分にも所々翡翠のビーズが編み込まれている。繊細なようでいて手触りはしっかりとした、それは剣帯に飾るための飾り紐だった。
「これっ…!」
「さっき買い物の時に見つけたんだ。良い色だろ?」
「…うん」
 あざやかな朱色の中にキラキラと金糸きらめくその飾り紐は、見た目も十分に美しかった。思わずそのまま見入っていたルークは、はっと気づいて問いかけるような視線をガイへ向けた。
「でもこれ…」
「おっと、受け取れないとか言うなよ。それは、祝いの品だからな」
 ま、ちょっと祝いの品っていうには質素だけどな。
 そう続けたガイに、ますますルークは困惑したような顔になった。
「昼間、羨ましそうに見てただろ?」
「うっ、だけど…」
「さすがに晴れ着までは用意してやれないから、やるよ」
 なぜそこで晴れ着が出てくるのか、本気でわからない顔になったルークに、ガイは困ったように笑いながら頬を掻いた。
「あー、お前さ。一応17だけど、本当は七才だろ今…」
「…どうせ七歳児だよ」
 とたんに拗ねたような声をあげたルークに、ガイはあわてたように腕をつかんだ。
「ほら、だからホントなら七聖体の祝いの年だろ。おまえ」
 苦笑混じりにそういわれ、ルークは不意を突かれたような顔になった。
「俺はおまえの親代わりみたいなもんだしな。だから、やるよ…」
 その瞬間、まるでルークの顔が泣き出す寸前のようにゆがめられたのにガイは気がついたが、あえてみなかったふりをした。
 無言のまま抱きついてきた体を受け止めてやりながら、ガイはその小さく感じられる肩が震えている事に気づいた。それでも黙ったままあやすようにかるく背中をたたいていてやると、少し落ち着いたのか、決まり悪げな様子でルークが顔をあげた。
「ありがとな…大切にする」
「ああ」
 ぎゅっと大切そうに飾り紐を握りしめたルークに破願すると、ガイはそっとルークの頭をなでた。
 
 
 
「そういや聞きそびれてたんだけどさ」
「ん?」
「なんで七才なんだ?」
 成人の儀式は一応20才だろ、と小さく首をかしげる。
「子供って、七才ぐらいまでは死亡率が高いんだよ。だから七才を無事に迎えられたってことでお祝いしたってのが始まりらしいな」
「へえ、そういうものなのか?」
「実際、子供は抵抗力が弱いからな。お前だって、戻ってきたばかりの頃はさんざん病気したり具合が悪くなっていたりしてただろ。あの頃は記憶喪失のショックで衰弱しているからって思われたけど、いま思うとあの頃のお前は新生児みたいなもんだったんだから、しかたなかったのかもな」
「……んな昔のことなんて覚えてねえよ」
 記憶にない頃のことを言われ、ルークが拗ねたような口調になる。
「人の服に派手に吐いてくれたこともあったよなあ…」
「だ〜っ!うるせえっ!」
 殴りかかるふりをしてくるルークを笑ってかわしながら、ガイはふとなにかを思い出したような顔になった。
「そういやさ、子供って七才までは本当は人間じゃないって説もあるんだぜ」
「はあ?」
「七才前後ってのは、ようやく物心がつく頃だろ?それより前はまだ世界に魂が定着してないから、神の世界に属するものだって昔は言っていたみたいだな。だから、アニスが言っていたみたいに教団の信者にもなれない。だってまだ、神の世界に属しているモノなんだから信者ってのはおかしいだろ?」
「ふ〜ん。なんだかややこしいな」
「ま、さすがに神さま云々は迷信だけど、そういう昔からのしきたりみたいなもんだな」
 そっか、とようやく納得したように小さくうなずいた頭をかるくなでる。
 子供扱いするな、と口先だけで文句を言いつつも、ルークもまんざらではない顔で笑う。
 短いけれど、幸せなやわらかな時間。
 それが、とても愛しかった。
 
 
 



 青紫の空の中を、銀色の翼が切り裂くように飛んでゆく。
 重苦しい沈黙が落ちるブリッジからそっと出ていったジェイドの後を追って、ガイもその後に続いた。
 後からやってきたガイに、ジェイドはさして驚いた様子もみせずに視線を向けると、ゆっくりと口を開いた。
「前に、七聖体の祝いの話をしたことを覚えていますか?」
 突然かけられた意外な問いに、ガイは思わず自分の言葉をのみこんだ。
「……いま私は、ひどくらしくないことを考えています」
 ガイの答えを待つことなく、ジェイドが続ける。
「だからこれは、私の独り言です。……確信のないことを真実のように話すのは、私の主義ではないので」
 かるく背後で手を組むようにしてから、ジェイドはくるりとガイに背を向けた。
「…七つまでは神の内といいます。だとしたら、七聖体の祝福を受けていない七つの子供は、もしかしたらまだ神の域の住人なのかもしれない」
 淡々とした、いつもの彼の声。だけど、その表情は見えない。
「だとしたら、子供は本来あるべき場所に帰ろうとしているのではないだろうか…」
 それが、いったい誰のこと言っているのか。
 理は時に残酷な選択を迫る。
 世界中の人達と引きかえに、世界の誰よりも大切な誰かをさしだせと言う。
 ましてまだ七年しか生きていないあの子供は、迷信が言うならまだこの世の理に縛られていないはずなのに。
「…還って行くのだと、そう考えたくなりませんか」
 否、と心は叫んでいる。
 それは、いま自分に背を向けているこの男も同じ思いを抱いているはずだ。
 あのとき、彼はもうこうなるかもしれないことを知っていたのだろうから。
 

 もし自分が代われるならという考えは、もうずっと前に潰えている。
 いくら祈っても、自分では駄目なのだとガイの中の冷静な部分はささやいている。
 誰よりも大切なあの子供を犠牲に願う世界の神にいくら祈りをささげても、無駄なのだと。
 
 
 
 いつでも引き換えにされるのは、無垢な存在。
 負わされた罪にまみれていても、あの子供はとても綺麗だから。
 もし本当にあの子供が天に還されるのなら、自分は天に唾してやるかもしれない。
 それでも、この世界の幸せを祈るあの子供の願いを自分が踏みにじることなどできないことも、ガイは知っていた。


 世界はいつでも、彼の一番大切なモノを犠牲にして生き延びてゆくのだ。


END(06/12/10)

もちろんそんなイベント(七聖体)は捏造です。そしてお察しの通り、七五三がネタです。
もっとも、七才までは神の領域の生き物という考えはけっこうひろくあるみたいです。穿った考えだと、ルークの実年齢が七才っていうのもそういう意味なのかなと思ってみたりして
実際、この七才って年齢を境にして色々あるみたいなので、意味のある数字なんだなと勝手に思っています。
薄暗いことをいうと、七つになるまでは神の内だから殺せないとかそういうしきたりもあったらしい。
そう考えると、世界のための犠牲になった七つの子供は人であって人でない存在だったのか、それとも神に属さない存在になったから犠牲になったのか、とかぐるぐる。
でも今回のこのネタもちょっと消化不良なので、きっとっまたどこかでお目にかかるかと…。
わー、後書きで妖しいこと語ってますな。すみません…orz。