音のない夢
その話をルークがはじめたとき、ジェイドはいつものたわいのない話の一つだと思った。
それは、たわいのない食後のお茶の時間でのことだった。
久しぶりに少しは良いものを食べようということで、その日の夕食はいつも町で彼らが利用するレストランよりワンランク高級な店でとった。
最後のデザートまで美味しく食したあと、食べすぎで後が怖いと何気なく口にしたアニスの言葉がその発端だった。
「ガイが怖いのは女性として、ルークはなにかありまして?」
優雅にカップを傾けながらそう問いかけたのは、ナタリアだった。
そういわれるのは語弊があるんだけどな、とテーブルの隅でガイが小さく呟くが、もちろん黙殺される。
「ルークが怖いのはお化けでしょ。怪談話の時、誰よりもびびってたもんねえ」
「…っるせっ!お前だって顔引きつらせてたじゃねえかよ」
「あれは大佐だったからだもん。アニスちゃん、怪談大好きだし☆」
なんだったらなんか話してあげようか、とにんまりと笑ったアニスに、ルークはあわて手首を横に振った。
何のかの言いつつも、口の上手いアニスの怪談も十分に怖いのだ。
「やめなさいよ、せっかく美味しく食事をいただいた後なのに」
かるく顔をしかめて、もっともらしい口調でティアがたしなめる。
しかしここにいる誰もが知っている。彼女も怪談が苦手なのだと言うことを。
「で、何が怖いの?」
ひとしきり笑いがあがったあと、しかしアニスは引き下がるつもりはないのか、再度ルークに問いかけてきた。
「…いいだろ別に、んなこと」
「別にどーでもいいことならいいじゃん。教えてよ」
「お前の得になるようなことはなんもねーのに?」
「好奇心が満たされるもん」
きっぱりと言い切ったアニスに、負けたというようにルークは小さく肩をすくめた。
「で、なに?」
「んなこと、いきなり言われても思いつかねえよ…」
ぶつぶつと口の中で小声で文句を言いつつも、ちゃんと考えるそぶりを見せるルークになんとなしに微笑ましい視線が皆からむけられる。
「夢かな…」
ぽつり、ともらされたその言葉に、わずかに視線を動かしたのは二人だけだった。
たがいに視線を合わせるようなことはしなかったが、そのときジェイドはガイが、ガイはジェイドがあることに気づいていることを確信した。
「夢?なにそれ。怖い夢でも見るっての?」
意外な答えにおもわずぽかんとルークの顔を見てしまってから、アニスは戸惑いながらもたずねた。
「…怖い夢っていうのともちょっと違うかな。なんて言うんだ?不思議?」
自分でもよくわかっていないのか、ルークは眉をしかめて首をかしげた。
「たまに見るんだけど、本当に何気ない夢なんだ。でもたいてい誰かと話していたり、一緒にいたりするんだよ。いまみたいに食事してたりとかもあるかな」
うっかりすると、本当は起きてるんじゃないかって思うくらいリアルだったりするんだよな、とルークが続ける。
「……でも、それがなぜ怖いの?」
素朴な疑問をティアが口にする。どちらかといえばそれは単純な夢と言っていいだろう。場面によっては、楽しいとさえいえるかも知れない。
「だよなー。笑ってたりとかするし」
つられたようにルークが笑う。
「……たださ、何も聞こえねえ夢なんだ」
「聞こえない?」
きょとんとアニスが目を丸くする。
「そ、何の音もしねえの。声も音も聞こえなくて、ただ目の前で景色だけ流れてく。自分の声も聞こえない。そういう夢なんだ」
不思議だろ。
同意を求められてうなずいたアニスは、自分でもよくわからないといった表情で軽く眉をしかめた。
「…そういう夢、私も見たことあるけど」
「へー、アニスもあるのか」
「まあね。でも別に怖いって感じじゃなかったけどな」
うーんと考え込むような顔になったアニスに、ルークが笑う。
「ま、怖いってより不思議って感じだからな。俺の場合」
「そうだねー。ま、たしかにあれって不思議な感じではあるけど」
まだ納得がいないようにアニスはしばらく眉をしかめていたが、結局納得のいく答えが見つからなかったのか、ちいさく肩をすくめた。
「そういえば、変わった夢と言えば…」
ふと思い出したように、ナタリアが侍女の一人に聞いたという夢の話をはじめる。
ルークもアニスもその話にいままで話していたことは流してしまい、あれこれと勝手に話をはじめる。取るに足らない、会話のひとつとして。
それに耳を傾けてたまに茶々をいれながら、ふとジェイドは何気なく視線をガイの方へむけると、端からは気づかれないくらいわずかに目を瞠った。
話に夢中になっている他の四人をいつものように穏やかに見つめている青い瞳が、ルークの姿をとらえた瞬間、かすかに痛みをこらえるように瞬いた。
その表情に、ふと違和感を覚えた。
さきほどルークが夢の話をはじめたとき、てっきりもっと別の話をするのかと思ってかすかに身構えていたのはジェイドも一緒だったが、結局はたわいのない話に終始したのでほっとしたのは同じはずだ。
もっとも、同室になる自分たちにさえ時々夢にうなされていることを話していないルークが、こんな明るい場所でそんな話を持ち出すとは、お互いに思っていなかっただろうけれど。
先ほどの話は、あくまでもたわいのない話だったはずだ。
なのに、どうしてガイはあんな顔を見せたのだろう。
その一瞬だけ浮かんだ苦い表情は、なぜかいつまでもジェイドの心の中に小さな石のように残っていた。
「なにか聞きたそうな顔だな」
先に眠ってしまった子供の髪をそっと愛しそうに撫でてから、ガイは宿の小さな部屋の隅に置かれたテーブルセットに座ってこちらを見ているジェイドの方を振り返った。
部屋の明かりは落とされ、テーブルの上にのせられた小さな明かりだけが部屋の中に明るい場所を作っている。
ガイはもう一度たしかめるようにルークの毛布をそっとかけ直してやると、ゆっくりと足音を立てないようにして明かりの中にやってきた。
「あいかわらず、かいがいしいですね」
軽い調子でからかいの言葉をむけると、ガイは気にした風もなくにやりと笑みを浮かべた。
「大事なご主人様だからな。…それに、できる限りは甘やかせてやりたいからな」
「ほどほどにお願いしますよ」
あまり調子に乗られては困りますから、と続けたジェイドに、ガイは笑みだけで答えた。
「で、なにが聞きたいんだ?旦那は」
椅子がひとつしかないため、ガイは立ったままジェイドの顔を見下ろした。
「なぜ、あんな顔をしたんですか?」
いつとは言わなくても、察しの良い彼なからわかるはずだ。
「珍しいな、あんたがそうやってストレートに聞いてくるのは」
くすりと小さく笑いながら、ガイはまっすぐジェイドの顔を見つめた。
「好奇心ですよ」
「好奇心、ね」
アニスみたいな言い方だな、とガイはかるく唇の端をひきあげた。
「……俺も、見たことがあったからな」
一呼吸おいて、ガイはぽつりとそう呟いた。
「そう、珍しい夢ではないと思いますが?」
「まあそうだろな。誰でも見たことあるような夢だと思うよ」
わかっていない、と言いたげにガイが笑う。
なぜかその笑顔が、ひどく気に障った。
「でも、どうしてルークがあの夢が怖いって言ったのか、俺はわかるような気がするよ」
なぜと問おうとした声は、視線で制される。
「……俺が見たことがあるのは、まだ家族が生きていた頃の夢だ」
両親がいて、姉がいて。
使用人やメイド達が笑いさざめき、明るく日のさす屋敷の中を行きかっている。
笑う姉に、その後を追いかける自分。
だけど姉の笑い声も、自分の声も聞こえない。
それだけではない。
誰の声も、足音さえも聞こえない夢…。
明るく幸せにみえるだけに、それは異様な光景だった。
だんだんと不安になって声をはりあげても、声は届かない。
ひたすらむけられる笑顔や、優しいまなざし。
だけど何も聞こえない、何も届かない。
「……正直、目が覚めたとき、一瞬自分がどこにいるのかわからないくらい怖い夢だった」
ガイの右手が小さく拳の形をとるのを、ジェイドはぼんやりと見つめた。
「それで、って言いたそうな顔だな」
「ええ」
それは、ひどく幸福な夢ではないだろうか。
懐かしく幸せだった頃の夢。話だけを聞けば、包み込むような温かさも感じられそうだ。
「音がないって言っただろ?何も聞こえない、こちらからも何も働きかけられない。だから怖い」
ぎゅっ、と自分の左腕を握りしめながらガイが続ける。
「自分だけが世界からはじき出されたような、そんな気分にさせられるんだ。目の前に幸せがあるのに、そこからとても遠い場所に自分だけ放り出されたみたいな。……ルークは自覚してないかもしれないけれど、それを怖いと言っているんだと思う」
「それは…」
「単なる夢だって言いたいんだろ?だけど、ルークにとっては自分がはじき出されているって気持ちを味あわされるのは、致命的だ。そうでなくても、あいつは自分が「違う」ってことにひどく敏感になっているから」
皆と違うもの。
オリジナルではなくて、レプリカという人造生命体。
自分という個を探しながらも、ルークが無意識のうちにいつでも感じている不安。
「あいつは、はじき出されることの怖さを知っている。俺たちだって一度はあいつをはじき出した。それがルークが変わるための一つの起爆剤になったことはたしかだったけれど、傷を負わせたことはたしかだ」
「そうかもしれませんが…」
「全部が間違っているとは言わない。もうやり直せるわけじゃないしな。でも、あれが本当に正しいことだったとは、いまも俺は思っていない」
暗い煌めきを宿した青い瞳に、ジェイドはかすかに瞳を細める。
いままであからさまに口に出したことはないが、ガイがあのアクゼリュスでの出来事についてガイ自身もふくめて仲間達に不満を持っていることを、ジェイドはなんとなく察していた。
しかしそのことについて糾弾しないのは、同時に彼も一度は他の者と同じようにルークを見限ろうとしたから。
そういう点では公正明大な彼は、自分を棚に上げて他人を責めるようなことはあまりしない。
だから自分の前でそういう面をわずかにでも見せたのは、先ほどのルークの話がよほどショックだったのだろう。
「違うことは、そんなに怖いことでしょうか?」
「自分で「違う」ものになったのと、根本から「違う」ということは全く意味が違うと思わないか?」
「…なるほど」
それが自分を指して言っているのだとわかっても、不思議と腹は立たなかった。
たぶん、そういう意味での人間的な感情が自分に欠けているものなのだと知っているから。
「で、好奇心は満たされたか?」
重くなった空気を払うように、少し軽い口調でガイがたずねてくる。
「ええ、少しは」
「少しかよ」
「ですから、やはり興味深いとあらためて思いましたよ。彼は…」
ちらりと毛布の中で丸まっているだろうと思われる子供に目を向けると、すっと見下ろしてきている青い瞳が不穏な形に細められた。
「興味本位でつつかれるのは、歓迎しないな」
「これでも、真面目なつもりなんですがね」
理解してもらえなくて、残念です。
そういって薄く笑ったジェイドに、ガイは小さく肩をすくめた。
「……そろそろ寝ようぜ。明日も早い」
「そうですね」
そう相づちを打ってから、ふと思いついたようにジェイドは口を開いた。
「あなたは、いまでも音のない夢を見ますか?」
ベッドに向かおうとしていたガイの動きがとまり、ゆっくりと顔だけで後ろを振り返る。
「……ああ」
表情のない目をむけてそう答えると、ガイはそのまま自分のベッドへ向かっていった。
途中、すでに深い眠りに入っている子供の頭をそっとひとつ撫でてから。
二つの寝息が聞こえはじめた部屋の中で、ジェイドはぼんやりとテーブルの上の明かりを見つめていた。
そして、先ほど話したことをゆっくりと自分の中で反芻してみた。
しかし、理解はできても、なにか薄い膜を一枚隔てたような曖昧な感覚しかわかることはできなかった。
彼が音のない夢を怖いと思うようになるのは、すべてが取り戻せなくなったその後のことだった。
END(06/12/11)
薄暗い…。
それは、たわいのない食後のお茶の時間でのことだった。
久しぶりに少しは良いものを食べようということで、その日の夕食はいつも町で彼らが利用するレストランよりワンランク高級な店でとった。
最後のデザートまで美味しく食したあと、食べすぎで後が怖いと何気なく口にしたアニスの言葉がその発端だった。
「ガイが怖いのは女性として、ルークはなにかありまして?」
優雅にカップを傾けながらそう問いかけたのは、ナタリアだった。
そういわれるのは語弊があるんだけどな、とテーブルの隅でガイが小さく呟くが、もちろん黙殺される。
「ルークが怖いのはお化けでしょ。怪談話の時、誰よりもびびってたもんねえ」
「…っるせっ!お前だって顔引きつらせてたじゃねえかよ」
「あれは大佐だったからだもん。アニスちゃん、怪談大好きだし☆」
なんだったらなんか話してあげようか、とにんまりと笑ったアニスに、ルークはあわて手首を横に振った。
何のかの言いつつも、口の上手いアニスの怪談も十分に怖いのだ。
「やめなさいよ、せっかく美味しく食事をいただいた後なのに」
かるく顔をしかめて、もっともらしい口調でティアがたしなめる。
しかしここにいる誰もが知っている。彼女も怪談が苦手なのだと言うことを。
「で、何が怖いの?」
ひとしきり笑いがあがったあと、しかしアニスは引き下がるつもりはないのか、再度ルークに問いかけてきた。
「…いいだろ別に、んなこと」
「別にどーでもいいことならいいじゃん。教えてよ」
「お前の得になるようなことはなんもねーのに?」
「好奇心が満たされるもん」
きっぱりと言い切ったアニスに、負けたというようにルークは小さく肩をすくめた。
「で、なに?」
「んなこと、いきなり言われても思いつかねえよ…」
ぶつぶつと口の中で小声で文句を言いつつも、ちゃんと考えるそぶりを見せるルークになんとなしに微笑ましい視線が皆からむけられる。
「夢かな…」
ぽつり、ともらされたその言葉に、わずかに視線を動かしたのは二人だけだった。
たがいに視線を合わせるようなことはしなかったが、そのときジェイドはガイが、ガイはジェイドがあることに気づいていることを確信した。
「夢?なにそれ。怖い夢でも見るっての?」
意外な答えにおもわずぽかんとルークの顔を見てしまってから、アニスは戸惑いながらもたずねた。
「…怖い夢っていうのともちょっと違うかな。なんて言うんだ?不思議?」
自分でもよくわかっていないのか、ルークは眉をしかめて首をかしげた。
「たまに見るんだけど、本当に何気ない夢なんだ。でもたいてい誰かと話していたり、一緒にいたりするんだよ。いまみたいに食事してたりとかもあるかな」
うっかりすると、本当は起きてるんじゃないかって思うくらいリアルだったりするんだよな、とルークが続ける。
「……でも、それがなぜ怖いの?」
素朴な疑問をティアが口にする。どちらかといえばそれは単純な夢と言っていいだろう。場面によっては、楽しいとさえいえるかも知れない。
「だよなー。笑ってたりとかするし」
つられたようにルークが笑う。
「……たださ、何も聞こえねえ夢なんだ」
「聞こえない?」
きょとんとアニスが目を丸くする。
「そ、何の音もしねえの。声も音も聞こえなくて、ただ目の前で景色だけ流れてく。自分の声も聞こえない。そういう夢なんだ」
不思議だろ。
同意を求められてうなずいたアニスは、自分でもよくわからないといった表情で軽く眉をしかめた。
「…そういう夢、私も見たことあるけど」
「へー、アニスもあるのか」
「まあね。でも別に怖いって感じじゃなかったけどな」
うーんと考え込むような顔になったアニスに、ルークが笑う。
「ま、怖いってより不思議って感じだからな。俺の場合」
「そうだねー。ま、たしかにあれって不思議な感じではあるけど」
まだ納得がいないようにアニスはしばらく眉をしかめていたが、結局納得のいく答えが見つからなかったのか、ちいさく肩をすくめた。
「そういえば、変わった夢と言えば…」
ふと思い出したように、ナタリアが侍女の一人に聞いたという夢の話をはじめる。
ルークもアニスもその話にいままで話していたことは流してしまい、あれこれと勝手に話をはじめる。取るに足らない、会話のひとつとして。
それに耳を傾けてたまに茶々をいれながら、ふとジェイドは何気なく視線をガイの方へむけると、端からは気づかれないくらいわずかに目を瞠った。
話に夢中になっている他の四人をいつものように穏やかに見つめている青い瞳が、ルークの姿をとらえた瞬間、かすかに痛みをこらえるように瞬いた。
その表情に、ふと違和感を覚えた。
さきほどルークが夢の話をはじめたとき、てっきりもっと別の話をするのかと思ってかすかに身構えていたのはジェイドも一緒だったが、結局はたわいのない話に終始したのでほっとしたのは同じはずだ。
もっとも、同室になる自分たちにさえ時々夢にうなされていることを話していないルークが、こんな明るい場所でそんな話を持ち出すとは、お互いに思っていなかっただろうけれど。
先ほどの話は、あくまでもたわいのない話だったはずだ。
なのに、どうしてガイはあんな顔を見せたのだろう。
その一瞬だけ浮かんだ苦い表情は、なぜかいつまでもジェイドの心の中に小さな石のように残っていた。
「なにか聞きたそうな顔だな」
先に眠ってしまった子供の髪をそっと愛しそうに撫でてから、ガイは宿の小さな部屋の隅に置かれたテーブルセットに座ってこちらを見ているジェイドの方を振り返った。
部屋の明かりは落とされ、テーブルの上にのせられた小さな明かりだけが部屋の中に明るい場所を作っている。
ガイはもう一度たしかめるようにルークの毛布をそっとかけ直してやると、ゆっくりと足音を立てないようにして明かりの中にやってきた。
「あいかわらず、かいがいしいですね」
軽い調子でからかいの言葉をむけると、ガイは気にした風もなくにやりと笑みを浮かべた。
「大事なご主人様だからな。…それに、できる限りは甘やかせてやりたいからな」
「ほどほどにお願いしますよ」
あまり調子に乗られては困りますから、と続けたジェイドに、ガイは笑みだけで答えた。
「で、なにが聞きたいんだ?旦那は」
椅子がひとつしかないため、ガイは立ったままジェイドの顔を見下ろした。
「なぜ、あんな顔をしたんですか?」
いつとは言わなくても、察しの良い彼なからわかるはずだ。
「珍しいな、あんたがそうやってストレートに聞いてくるのは」
くすりと小さく笑いながら、ガイはまっすぐジェイドの顔を見つめた。
「好奇心ですよ」
「好奇心、ね」
アニスみたいな言い方だな、とガイはかるく唇の端をひきあげた。
「……俺も、見たことがあったからな」
一呼吸おいて、ガイはぽつりとそう呟いた。
「そう、珍しい夢ではないと思いますが?」
「まあそうだろな。誰でも見たことあるような夢だと思うよ」
わかっていない、と言いたげにガイが笑う。
なぜかその笑顔が、ひどく気に障った。
「でも、どうしてルークがあの夢が怖いって言ったのか、俺はわかるような気がするよ」
なぜと問おうとした声は、視線で制される。
「……俺が見たことがあるのは、まだ家族が生きていた頃の夢だ」
両親がいて、姉がいて。
使用人やメイド達が笑いさざめき、明るく日のさす屋敷の中を行きかっている。
笑う姉に、その後を追いかける自分。
だけど姉の笑い声も、自分の声も聞こえない。
それだけではない。
誰の声も、足音さえも聞こえない夢…。
明るく幸せにみえるだけに、それは異様な光景だった。
だんだんと不安になって声をはりあげても、声は届かない。
ひたすらむけられる笑顔や、優しいまなざし。
だけど何も聞こえない、何も届かない。
「……正直、目が覚めたとき、一瞬自分がどこにいるのかわからないくらい怖い夢だった」
ガイの右手が小さく拳の形をとるのを、ジェイドはぼんやりと見つめた。
「それで、って言いたそうな顔だな」
「ええ」
それは、ひどく幸福な夢ではないだろうか。
懐かしく幸せだった頃の夢。話だけを聞けば、包み込むような温かさも感じられそうだ。
「音がないって言っただろ?何も聞こえない、こちらからも何も働きかけられない。だから怖い」
ぎゅっ、と自分の左腕を握りしめながらガイが続ける。
「自分だけが世界からはじき出されたような、そんな気分にさせられるんだ。目の前に幸せがあるのに、そこからとても遠い場所に自分だけ放り出されたみたいな。……ルークは自覚してないかもしれないけれど、それを怖いと言っているんだと思う」
「それは…」
「単なる夢だって言いたいんだろ?だけど、ルークにとっては自分がはじき出されているって気持ちを味あわされるのは、致命的だ。そうでなくても、あいつは自分が「違う」ってことにひどく敏感になっているから」
皆と違うもの。
オリジナルではなくて、レプリカという人造生命体。
自分という個を探しながらも、ルークが無意識のうちにいつでも感じている不安。
「あいつは、はじき出されることの怖さを知っている。俺たちだって一度はあいつをはじき出した。それがルークが変わるための一つの起爆剤になったことはたしかだったけれど、傷を負わせたことはたしかだ」
「そうかもしれませんが…」
「全部が間違っているとは言わない。もうやり直せるわけじゃないしな。でも、あれが本当に正しいことだったとは、いまも俺は思っていない」
暗い煌めきを宿した青い瞳に、ジェイドはかすかに瞳を細める。
いままであからさまに口に出したことはないが、ガイがあのアクゼリュスでの出来事についてガイ自身もふくめて仲間達に不満を持っていることを、ジェイドはなんとなく察していた。
しかしそのことについて糾弾しないのは、同時に彼も一度は他の者と同じようにルークを見限ろうとしたから。
そういう点では公正明大な彼は、自分を棚に上げて他人を責めるようなことはあまりしない。
だから自分の前でそういう面をわずかにでも見せたのは、先ほどのルークの話がよほどショックだったのだろう。
「違うことは、そんなに怖いことでしょうか?」
「自分で「違う」ものになったのと、根本から「違う」ということは全く意味が違うと思わないか?」
「…なるほど」
それが自分を指して言っているのだとわかっても、不思議と腹は立たなかった。
たぶん、そういう意味での人間的な感情が自分に欠けているものなのだと知っているから。
「で、好奇心は満たされたか?」
重くなった空気を払うように、少し軽い口調でガイがたずねてくる。
「ええ、少しは」
「少しかよ」
「ですから、やはり興味深いとあらためて思いましたよ。彼は…」
ちらりと毛布の中で丸まっているだろうと思われる子供に目を向けると、すっと見下ろしてきている青い瞳が不穏な形に細められた。
「興味本位でつつかれるのは、歓迎しないな」
「これでも、真面目なつもりなんですがね」
理解してもらえなくて、残念です。
そういって薄く笑ったジェイドに、ガイは小さく肩をすくめた。
「……そろそろ寝ようぜ。明日も早い」
「そうですね」
そう相づちを打ってから、ふと思いついたようにジェイドは口を開いた。
「あなたは、いまでも音のない夢を見ますか?」
ベッドに向かおうとしていたガイの動きがとまり、ゆっくりと顔だけで後ろを振り返る。
「……ああ」
表情のない目をむけてそう答えると、ガイはそのまま自分のベッドへ向かっていった。
途中、すでに深い眠りに入っている子供の頭をそっとひとつ撫でてから。
二つの寝息が聞こえはじめた部屋の中で、ジェイドはぼんやりとテーブルの上の明かりを見つめていた。
そして、先ほど話したことをゆっくりと自分の中で反芻してみた。
しかし、理解はできても、なにか薄い膜を一枚隔てたような曖昧な感覚しかわかることはできなかった。
彼が音のない夢を怖いと思うようになるのは、すべてが取り戻せなくなったその後のことだった。
END(06/12/11)
薄暗い…。