タナトスとヒヨコの思い出






右を見て、左を見て。
もう一度右。よし、異常なし!
ルークはぐっとちいさく拳を握りしめると、ようやく最近思い通りに動くようになった小さな足をそろそろと廊下に踏み出そうとした。

「なにをしているんですか」

後一歩で廊下の床に足が着くというところで、不意に後ろから声がかかる。それにルークはちいさく飛びあがると、そろそろと後ろをふり返った。

「父さん……」
「ですから、父さんと呼ぶのはやめなさいと言ったでしょう」

少しムッとしたような、やや甲高い声が返ってくる。その声とともにルークの背後に立ったのは、ひょろりと背の高い一人の青年だった。

「私は子供を持った覚えはありませんよ。レプリカルーク」
「ンなこと言ったって、俺を作ったのは父さんだろ?」
「たしかに制作には携わりましたが、だからといって勝手に父親呼ばわりしないでください。さ、それよりもさっさと部屋に戻りなさい。こんなところを見つかったら、言い訳できませんよ」

肩に置かれた大きな手に部屋に引き戻されると、ルークは不満げにぷくりと頬を膨らませた。

「ちょっと出てくるくらいいいだろ」
「ダメです。アッシュのところでしたら、いまヴァンが行っていますから」

返された答えに、ルークは目を丸くして自分を引き留めた青年を見上げた。

「もしかして、感謝するべきなのか? サフィール」
「多いに感謝してもらってかまわないですよ」

ふん、と得意げに胸を張ったサフィールにルークはちいさく笑うと、ぎゅっとその腰のあたりに抱きついた。
突然の接触に驚いたのか、細いからだが硬直したのがわかる。その緊張っぷりにひそかに笑いながら、ルークはわざと抱きつく腕に力を込めた。
頭の上で、サフィールがどう反応して良いのか分からずに、そわそわしているのがわかる。人のことなど知ったことではないという態度を取るくせに、こうやって無邪気に甘えられると弱いと知ったのは最近だ。そう思うと以前の時間の中で出会ったときの彼が、ひどく不器用だったのだと分かる。
分かりづらい愛情表現をして優しくされるのを望むくせに、こうやって好意をむけられることにはてんで免疫がないのだ。
だけどそんな彼の不器用さが、ルークには好ましかった。

「じゃあ、あとで父さんがアッシュのところにつれていってよ」
「勝手なことを言わないでください」
「だって、師匠がアッシュのところにいっているならどうせ後で検診に行くんだろ?」

白衣の裾につかまって早足でサフィールについていきながら、ルークはことさら無邪気な顔をみせてねだってみた。
サフィールはそんなルークの顔を困惑げに見下ろしてから、諦めたようにその場にしゃがみ込んでルークと視線を合わせた。

「レプリカルーク。あなたには危機感という物が欠けています」
「うん、ジェイドにも良く言われた」
「……」
「まさか、ちょっぴり羨ましいとか思った?」

ひょこっとサフィールの顔を覗きこむと、彼は慌てて誤魔化すように眼鏡のブリッジを指で押しあげた。

「なにバカなことを言っているんですか。私が言いたいのは、ヴァンがアッシュのところに行っているのなら、その後でこっちにも来るに違いないということをあなたに忠告しているのですよ」
「……あ、そっか」

そういえば、かつての師がそういう点では実にマメな人だったことをいまさらのように思い出す。何でも自分で把握しておかないと気が済まない。そういう用心深い人だった。
ふと思い出した、ヴァンとの思い出に小さく胸が痛む。
あれだけ酷い仕打ちを受けても、やはり彼との思い出には優しさがあふれている。いまでは偽りの感情の上にあった物だとわかっているけれど、でもあのすべてが嘘だったとは思っていない。
ほんの一瞬でも、自分に対して愛情めいた物を持ってくれたこともあったはずだ。そうでなければ、あれほどに自分が彼にのめり込むことはなかったはずだ。

「レプリカルーク」

不意に名を呼ばれ、ハッとしたところに大きな手が不器用そうに頭を撫でてきた。
どう撫でればいいのか戸惑っているのがあからさまに分かる不器用な手つきで、そろそろとサフィールの大きな手がルークの頭を撫でている。どれだけ力を込めていいのかもわからなくて、怖がっている。そんな優しい躊躇いが見えるその手つきに、ルークは不覚にも涙が出そうになった。
しっかりと言い聞かせるように撫でてきたヴァンの手とは違う、あまりに不器用すぎるその手。
だけどそこから伝わってくる温かさは、紛れもなく本物の好意で。
その温かさが心の中に染みこんでくる。

「さあ、こちらに来てください。いつヴァンがこちらに来るかわかりませんからね。大人しく人形のふりをしていてくださいよ、私の最高傑作」
「はい、父さん」

抱き上げられ、小さなベッドの上におろされる。小さく瞬きをしてから、すっと眠りに落ちるようにして意識を沈めてゆく。こうすれば、本来のレプリカルークとしての意識が交代に目覚めるのだ。
ぽふん、とベッドの上に横倒しになった小さな体に、かいがいしくサフィールが毛布をかけてくれるのが見える。
それにほんのりと柔らかな気持ちを感じながら、ルークは自分の自我をゆっくりと意識の中に沈めていった。




END(08/04/21)


お父さんと子供の思いで。
そしてなぜか頭からポリンキーの歌が離れません。三角形の秘密は何なんだろう。