パパには内緒




「それじゃあ、ルークお願いね」

そう言って心配そうに何度もこちらをふり返りながら扉の向こうに消えたティアに、ルークはひらひらと手を振ってからさてと辺りを見回した。
足元には、あの時と同じように神託の盾の兵士が転がっている。そう言えば、彼が自分が初めて殺した相手だったっけなどとぼんやりと考えながら、ルークはその場にしゃがみ込んだ。
前の時はミュウが一緒にいたが、今回は何とか言いくるめてティアについて行くようにそれとなく仕向けておいたので、この場所にはルーク一人だ。もっとも、その行動がティアのルークに対する好感度をより高めたことについては、本人に自覚はない。
この場にミュウにいられては、都合が悪いのだ。
忠誠心に厚いチーグルの子供は黙っていろといえばきっと言わないだろうが、絶対に何かを隠していることは聡いジェイドには嗅ぎつけられてしまうだろう。
とはいえ、ルーク自身もそう隠し事が得意な方ではないけれど、少なくともあの当時よりは素知らぬふりだって上手くなっているはずだ。なにしろ一年近く前の世界でジェイドと一緒に旅をしたのだから、そうでなくては困る。

「なあ、いるんだろ」

風の強い地上艦の上で、その声はかき消されてしまいそうに小さい。だけどきっと相手は聞き届けてくれるはずだと、ルークは確信していた。
はたして頭上に黒い影がさし、目の前に黒ずくめの青年が降り立つ。鋭い瞳に赤い髪。自分とおなじなのに違う顔。ルークは長い上着の裾を払って立ち上がると、想いを込めて彼の名を呼んだ。

「久しぶり、アッシュ」




名前を呼んだ途端、アッシュから放たれる鋭い雰囲気が和らぐのがわかった。
もしかして緊張していたのだろうかと思ったが、ルークは黙っていた。余計なことを言って、この貴重な時間を失いたくなかったから。

「……どうやら、ちゃんと思い出せたみてえだな」
「うん……」

苦笑いに似た笑みだったが、アッシュが笑ったことに不覚にも胸にきた。
あの時はまだ自分はアッシュのことを知らず、アッシュは自分のことを憎んでいたから、こんなふうに笑いかけられるなんてありえないはずだった。本当に今があの時とは違う時間の流の中なのだと、改めて実感させられる。

「どうした?」

たぶん変な顔をしてしまったのだろう。アッシュが怪訝そうな顔で訊ねてくる。それにルークは慌ててなんでもないと首を横に振ると、改めてアッシュの顔を見て笑みを浮かべた。

「アッシュの方こそ、ちゃんと俺のことを覚えていてくれたんだな」
「当たり前だ」

その言葉にアッシュはムッとした顔になると、乱暴にルークの腕を掴んで自分の方へと引き寄せた。自然とアッシュの腕の中に抱き込まれるような形になったルークは、突然のことにきょとんと目を丸くした。

「この七年間、おまえのことを忘れたことは一日だってなかった」

背中にまわった腕に抱き寄せられ、ちょうど耳元にきた唇から低い囁きがこぼれる。そこに秘められた強い想いがその声から伝わってきて、ルークはちいさく震えた。こんな言葉をもらえるなんて、思っていなかったから。
記憶の封印が解けた後、一番最初に思ったのはアッシュのことだった。
あの短い時間の中で彼は自分のことを信じてくれたけれど、はたしてそのままでいてくれただろうか。サフィールがついているのだから平気だと思いたかったが、あの頃のアッシュはまだヴァンへの憧憬を捨てきれないでいるのをルークは知っていた。自分だってまだ完全にあの師への尊敬を捨てきれないのだから、それは当然だろう。
七年という月日は短くない。アッシュが変わらずに自分のことを信じて協力をしてくれるのか、本当は確かめるのが怖かった。でもその一方で、彼が自分のことを忘れていないだろうと言うことも信じていた。
ルークの記憶に残る二度目の七年間は、多少のずれは生じているものの大筋では変わっていない。自分の計画は漏れていない。そうわかっていたから。

「ごめんな。俺は七年間お前のこと忘れていたのに……」
「しかたねえだろう。そうじゃなきゃならなかったんだからな」

何も知らない真っ新なままでルークが存在しなければ、計画自体が怪しまれる。だから本当にすべての記憶を消し去り、一番はじまりの日に記憶が戻るように仕掛けられた。それまで自分たちは絶対に干渉しあわない。記憶のなかった自分にはその長い年月は飛ぶように過ぎ去ったようにしか思えないが、真実を背負ったままここまできたアッシュとサフィールにはどれだけ辛い七年だっただろう。

「なあ、父さんはどうしている?」
「あの馬鹿は、ここまで来るって言い張っていたがヴァンの奴にあっさり却下をくらった」
「ええっ? 来るつもりだったんだ……」
「言っておくが、この七年であいつは立派な親馬鹿になり果てているぞ。覚悟しておけ」
「親馬鹿って……」

予想外の言葉に思わずポカンとした顔でアッシュを見ると、何が気に入らなかったのか眉間に皺が寄る。

「……そういや、鬼の居ぬ間だな」
「は?」

意味不明なことを呟いたアッシュに首を傾げると、突然唇にやわらかな物が触れた。

「ん? んんっ!」
「……目ぐらい閉じろ、屑」

突然のことに目を閉じることも忘れているルークにアッシュはありえない近さでそう呟くと、苦笑しながらもう一度唇を重ねてきた。
キスされているのだと気がついたときには、もう唇は離されていた。ルークはまるで痺れたように敏感になっている自分の唇にそっと手を当てると、ようやく夢から覚めたように慌ててアッシュの顔を見た。

「時間がねえ。とりあえず、会えただけで満足しておいてやる。今はな……」
「なっ……、なっ…!」
「あの野郎には秘密にしておけよ。面倒だからな」

そして唇の端をかすかに上げると、アッシュは不意に表情を変えた。乱暴に突き飛ばされると同時に、背後の扉が開く。
これが、ここでしておかなければならない事。
ルークは急速に意識が遠のくのを感じながら、そっと目を閉じた。



すでに運命は変わりはじめている。
ルークを取り巻く人々の感情も、以前とは少しずつ変わっている。これが本当に正しい方法なのかは、ルークにもわからない。だけど、少なくとも今度はアッシュと憎み合う事だけはないのだと思うだけで、泣きたくなるほど幸せだった。
そして、運命の悪戯が思いも寄らない相手にも影響していたことを、ルークはこの先のセントビナーで知ることとなる。
見事に親馬鹿と化した死神に熱烈な抱擁を受け、ルークはようやくアッシュの「秘密」の意味を理解したのだった。



END(07/12/15)