緑の蝶々と幸せについて




 綺麗な髪だと言われて、不思議な気持ちになった。
 どうしてなのかは分からないけれど。



「アッシュの髪って、やっぱり綺麗だよなあ」
 ごろごろとソファの上を転がりながら、ルークは同じソファの端に座っているアッシュの長い髪に手をのばした。
 自分の少し褪せたような赤とは違う、深い赤の色。
 しっとりとした重みを感じさせるその色は、触れてみると意外にもさらさらとして軽い。
 するりと指の間をすり抜けるしなやかさと、絹を触っているようなしっとりとした肌触り。その感触をもっと確かめたくてたぐり寄せた髪を頬にあてようとすると、逃げるように手の中から髪を抜かれてしまった。
「人の髪を勝手にいじるな」
「別に良いじゃねえか。なあ、引っ張らないから」
「おまえは信用ならねえ」
 何時だったか、ルークがアッシュの髪にじゃれてついていたと思ったらそのまま眠ってしまい、まるで赤ん坊のようにしっかりと髪を握られてしまって動くに動けなくなったことがある。
 そのことを思い出したのか、ルークは乾いた声で笑いながらも再びアッシュの髪に手をのばした。
「触るな」
「なんでだよ。ケチ」
「じゃあ何でそこまで触りたがるんだ、お前は」
 スキンシップが好きなのは、いやというほどよく知っている。なにしろここ最近の一番の被害者は、間違いなくアッシュ自身だからだ。
 実年齢が子供なせいか、ルークは人との距離がとても近い。好意を持っている相手なら、なおさらだ。
 まあ、それだけ懐かれているのだという証拠なので悪い気はしないが、正直言えば色々と複雑な気分にさせてくれるので心臓に悪い。
「あ、そうだ!」
 ルークは突然声をあげて起き上がると、自分のチェストの引き出しをごそごそとあさりはじめた。
「お、あったあった」
 目当ての物が見つかったのか嬉しそうな声をあげると、ルークは何かひらひらした物を持ってこちらに戻ってきた。
「ジャーン」
 子供っぽく擬音を口で言いながらルークがアッシュの目の前にさしだしたのは、二人の瞳と同じ色の明るい緑色のリボンだった。
「前に、アニスにねだられてリボン買ってやったときにもらったんだ」
「……で、何をするつもりだ」
 何となく嫌な予感を覚えながら訊ねると、案の定ルークは嬉しそうに満面に笑みを浮かべた。
「アッシュの髪、結わせろ」
「断る」
「即決かよ!」
 むむうと唇をとがらせたルークに、アッシュは呆れた目をむけた。
「不器用なてめえにやらせたら、とんでもねえことになるだけだろ」
「そんなこと、やってみなくちゃわかんねえじゃねえか」
 なあなあ、と子供のように肩を揺さぶってくるのに顔をしかめる。
「ダメだ」
「いいじゃねえかよ、ケチ!」
「誰がケチだ!」
「髪の毛ぐらい触らせてくれたっていいだろ、別に。減るもんじゃないんだし」
「てめえに触られたら減る」
「……やっぱり、髪の毛のこと心配なんだ」
「ンだとっ!」
 なぜか急に哀れむようなまなざしを向けられて、アッシュは気色ばんだ。そんな兆候は見えないのに、なぜか彼の周囲は遠回しに髪の毛の将来を気にするようなことを口にする。もちろん気にしてなどいない。たぶん。
「余計な心配をするな! ……気分が悪い」
「じゃあ、別に触っても良いよな」
 一転してパッと顔を輝かせたルークに、アッシュは渋い顔をしながら小さく舌打ちした。ここで否定すれば、屈辱的な言いがかりを認めることになるだろう。
「勝手にしろ」
 アッシュはそう吐き捨てるように言うと、ルークから顔をそらせた。
 そんなアッシュの態度に、ルークはこっそりとばれないように笑みを浮かべた。
 単純馬鹿だお子様だと散々言われてはいるが、長旅の間あの口達者なコンビに毎日のようにからかわれ倒されていたのだ。すこしばかり教育上よくないスキルもちょっとは身につくというもの。
 だがこれ以上余計なことを言って拗ねられても困るので、ルークは黙ったまま喜々としてアッシュの髪に手を伸ばしたのだった。



 さわさわ、ぱさり、しゅるしゅる。
 先ほどからひっきりなしに耳元で鳴る小さな物音に、アッシュはついにたまりかねて開いていた本を閉じた。
「……てめえ、何時間かけるつもりだ」
「まだ20分もたってないだろ。せっかちめ」
 またしゅるりとリボンがほどかれる音がして、まとめられていた長い髪がぱさりと肩に落ちてきた。
「う〜、上手くまとまらねえ。アッシュの髪、スルスルなんだもんな」
「てめえが下手なだけだ」
 深いため息をひとつつきながら、アッシュは自分の後ろで先ほどから悪戦苦闘しているルークをふり返ろうとして、軽く頬を叩かれた。
「ちゃんと前を向いてろよ。まとめられねえだろ」
「もういいから、そのリボンをよこせ!」
「イヤだ」
 手探りでリボンをたぐろうとしたアッシュからリボンを遠ざけると、ルークはぐいっとアッシュの頬に手をやって前を向かせた。
「アッシュが自分でやったら意味ないだろ」
「……おまえにまかせていたら、日が暮れる」
「いいから! ほら、前向けよ」
 また後ろを向こうとしたアッシュの顔を前に向かせると、ルークは真剣な顔で髪をまとめはじめた。
 さわさわと、ルークの手が不器用そうに髪を梳いてゆく。
 気になるのは音だけではない。
 ルークの指が髪を梳くたびに、柔らかな甘い疼きが背筋を伝う。髪の毛には神経が通っていないはずだが、触れられる心地よさと悩ましさが同時にわき上がってくる。
 髪をまとめる指が首筋に触れ、真剣になるあまりに項に顔を埋めるように前のめりになるせいか、吐息が首筋や耳を擽る。
 本人は全く気にしていないのだろうが、じっとそんな悩ましい感覚に擽られる方にしてみれば、たまったものではない。
「もう一回失敗したら、終わりだからな」
「え〜! 横暴!」
「ここまでてめえに付き合ってやったんだ! もういいだろう」
「い・や・だ!」
 ぐいっといきなり強く髪を後ろに引っ張られ、アッシュは後ろにのけぞりそうにながらルークを睨みつけた。
「いい加減にしろ、この屑がッ!」
「後もうちょっとだから、な」
 項のあたりにキスせんばかりに顔を寄せられて肩越しにねだられ、思わずひるむ。言葉に詰まったアッシュに、了解は取り付けたとばかりにルークはまた髪をまとめはじめた。
「……アッシュの髪、一回結ってみたかったんだ。俺」
 するする、さらさら、と髪がまとめられてゆく。
「アッシュは正装の時は髪結うだろ? あれ、好きなんだよな。格好良くて」
 編むのはもう諦めたのか、一つにまとめた髪をそのままリボンで結ぶことにしたらしい。首筋にしゅるりと絹の感触がして、軽く髪が引っ張られる。
「アッシュの髪は俺よりもずっと色も綺麗でまっすぐで、すげえ好き」
 何度か結び直したり形を整えながらようやく満足がいったのか、ルークは最後の仕上げとばかりにきゅっとリボンの結び目を整えた。
「出来た!」
「……やっとか」
 ため息とともに、疲れ切った呟きがアッシュの口からこぼれる。
 見ろ見ろと煩く騒ぐルークに合わせ鏡で確認すると、何度も結び直したせいかよれよれになったリボンが不格好に結ばれている。よくよく見れば、左右で膨らみの大きさも違うし、長さも違う。
 ちらりと横目で見やれば、採点を待つルークが期待に満ちた小犬のようなキラキラした目で見つめている。
「……まあまあだな」
「やった!」
 アッシュのまあまあは、ほぼ及第点だ。
 ひとしきりアッシュにじゃれるようにして喜んだ後、ふとルークは自分の髪をつまみ上げてアッシュの髪と見比べるように見た。
「今度はなんだ?」
「え? う…」
 なんでもないと首を横に振るルークをじっと見つめてから、アッシュはおもむろにルークの手の中に残っていたもう一本のリボンを掴んだ。
「わっ……」
 リボンごと引き寄せられて、有無を言わさずアッシュの前に座らされる。髪を結んだせいで、いつもより輪郭がシャープになっているアッシュの顔が近づいてくる。
 おもわずそれに見とれている間にアッシュの手がルークの髪を撫でつまみ上げると、そこに手際よくリボンが結ばれてゆく。
 ぽかんとした顔でアッシュを見上げていたルークの前に、鏡がさしだされる。
 首筋あたりで切りそろえられた、短い自分の髪。その左横の頭に、ちょこんと形よくリボンが結われている。
「これでいいだろ」
 アッシュは苦笑するように微かに唇の端をあげると、仕返しとばかりにルークの耳元に顔を寄せた。
「お揃いだな」
 その瞬間、ばっと慌てて体を離したルークの顔が見事に真っ赤になる。その反応を満足げに見つめながら、アッシュはわざと乱暴にルークの頭を撫でた。



 お茶の支度を頼んでくる、と逃げるように部屋からルークが出て行くと、アッシュはぐったりと疲れ切った様子でソファに沈みこんだ。
 まったく、自覚がないお子様はこれだから困る。煽るだけ煽った後に物欲しそうに見上げられて、理性が吹き飛ばなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。
 ぐったりとソファの背に体をあずけながら、ふと自分の髪をつまみ上げてみる。
 綺麗な髪だと言われたことは何度もあったけれど、それはたいてい畏怖や追従とセットになった讃辞ばかりだった。
 それなのに、この自分の半身はただ憧憬だけを瞳に宿してこの髪を綺麗だと言う。
 だけどアッシュにしてみれば、鮮血とまで称された自分の髪よりもやわらかな焔の色を宿すルークの髪の色の方がずっと綺麗な色に思える。もちろん、本人には口が裂けても言うつもりはないが。
 


 その日ファブレ公爵邸では、お揃いのリボンを結んだ子息達を使用人達が微笑ましく見守ることとなった。
 そして、アッシュは不格好なリボンの結び目を誰にも触らせることなく、一日を終えることとなったのだった。



END(07/08/11)


ルークの頭は、いわゆるキ○ィリボン。そして、某ウミさんを再び巻きこんでの企画話でした。