さいごのライオン




その知らせを聞いたとき、ついにその日がやってきたのだとわかった。
なんとなく覚悟はしていたことだったけれど、実際にその日がきてみて、初めてルークはそのことをなるべく考えないようにしていた自分がいたことを知った。
その日が来ることを、誰よりも知っていたはずなのに。




その日。珍しく夕刻に屋敷に戻ったアッシュは、離れの部屋に入るなり目に飛びこんできた光景に軽く眉を跳ねあげた。
部屋の中は黄昏の最後の光がさしこんでいたが、すでに明かりが必要なくらいに暗い。そしてその部屋の窓際に置かれた一人がけの大きな椅子の上には、ルークが膝を立ててぼんやりと座っていた。

「明かりもつけねえでなにをしている」

アッシュは一呼吸置くと、部屋の明かりを灯してからルークの方へ足を踏み出した。

「あ、お帰り。アッシュ」

明かりがついたことでようやく我に返ったようにルークは顔をあげると、アッシュの姿を見てにこりと笑みを浮かべた。その笑みに、なぜかざわりと胸が騒ぐ。

「何かあったのか」

その問いにルークは少し目を瞠ると、すぐにまた笑みを浮かべた。今度は切なくなるような、そんな虚ろな笑みを。

「アッシュには隠し事できないな」
「てめえに隠し事はできねえよ」
「ひでえな……」

くすくすと小さな笑い声をたてながらそう呟くと、ルークはふと表情を消してため息をひとつ漏らした。

「……アニスから、手紙がきたんだ」

今ではローレライ教団導師守護役筆頭の地位についている、かつてのルークの仲間の名前が出る。ルークはかつての仲間達と、今でもやり取りを続けている。もちろん互いに多忙な身のため頻繁にとはいはないが、そこにはたしかな繋がりがしっかりとある。
アッシュにしてみれば少々面白くないことではあったが、さすがにそれが理由で彼らとのやりとりに口出しをするつもりはない。だが仲間達の誰かから手紙が来るたびに嬉しそうにするルークに、その相手に軽い嫉妬を覚えているのは事実だ。
だからこそ、そのルークの反応はアッシュにとって意外だった。

「あのガキになにかあったのか?」
「いや、そうじゃない」
「だったら……」
「フローリアンが、消えたって」

消えた、という言葉にふと眉を顰めてから、アッシュはハッとしたように軽く目を見開いた。普通なら消えたという言葉は失踪と同義語として扱われるが、フローリアンにとって、いや彼らにとってはそれは別のことを意味する言葉になる。

「アニス辛かっただろうな。二度目だし」

ほうと小さくため息をつくと、ルークは手に持っていた手紙をたたんだ。その様子を隣に立って見下ろしていたアッシュは、なんと言葉をかければいいのか分からなかった。



二人でこの世界に戻ってから、すでに4年が経っていた。
その間にレプリカ達は次々にその生命活動を終え、今年に入ってからはすでに数えるほどの数のレプリカしかこの世界には残っていなかった。
いみじくもかつてジェイドが言っていたとおり、レプリカはレプリカであるがゆえにその命は短い。
あの当時でも、ルークとネビリムの生きた年数は例がないと言われていたのだ。半ば大量生産といってもいいほどずさんに作られた他のレプリカ達が、それ以上に生きられるはずがなかった。
それでも、プラネットストームが停止したことによってこれでも彼らは長く生きた方なのだ。人為的に作られた彼らの時間は、もとより自然の摂理から生み出されたものとはかけ離れていたのでそう長くはなかったのだ。
そのことが分かったのは、皮肉にもアッシュたちがこの世界に戻る前のことだった。
彼らがこのオールドラントに戻ったときには、すでにあの当時生き残っていたレプリカ達の約半数はすでに消えていた。でも、だからこそレプリカ保護の問題が大きな問題にならなかったと言えるのも、それはそれで皮肉な話ではあったが。
年を追うごとに減ってゆく同胞達に、ルークがひそかに心を痛めていたのをアッシュは知っている。それと同時に、いつ自分が消えるのだろうかという恐怖を抱いていたことも。
そして今日フローリアンが消えたという連絡が入ったということは、ルークが恐れていたもう一つのことが現実になったということなのだと言うことも、アッシュは知っている。

「……これで、本当に俺だけになったんだな」

そう、ルークはいまやこの世界に生きるたった一人のレプリカだった。
たった一人の異邦人。同胞と呼べる存在は、もう一人もこの世界にはいない。彼らはすべて音譜帯へと還っていってしまったのだから。
それはどんな気持ちだろうか。
ルークには家族も友人もいる。だが、彼と同じレプリカはもうこの世界には誰もいないのだ。

「そうだな、おまえはこの世界でたった一人のレプリカになる」
「アッシュ……」

ルークはのろのろと顔をあげると、すぐ隣にいるアッシュの顔を見あげた。

「だが、おまえと同じ存在がすべてこの世界からいなくなったわけじゃない。まだいるだろう? おまえのオリジナルである、この俺が」

ルークの翡翠色の瞳が、大きく見開かれる。

「レプリカという同胞がこの世界にいなくても、半身である俺がまだここにいる。だからおまえはこの世界でたった一人の存在じゃない。わかるな?」

そっとルークの髪に触れ、そのまま頬へと手を滑らせる。ひんやりとした頬の感触。だがすぐにそれを熱くさせる涙がルークの瞳からこぼれ落ちて、アッシュの手を濡らした。
震えながら伸ばされた手に引かれるように身を屈めると、子供のようにルークが抱きついてくる。
肩に触れる唇が小さくしゃくり上げる音を聞きながら、あやすようにそっと背を撫でてやるとさらに強くしがみついてくる。アッシュはルークの体を横抱きに抱き上げると、ルークが座っていた椅子に自分が腰をおろして膝の上にルークの体をのせた。
安定したことでさらに強く抱きついてきた体を優しく抱きしめながら、泣きたいがままにさせておく。
たった一人だけこの世界に取り残されてしまった存在。
だがそんなルークが可哀想だと思うと同時に、アッシュは自分が暗い喜びを胸の奥底で感じていることも知っている。
これで、ルークにとって同じ存在は、この世界に自分以外にはいなくなってしまったのだ。
それが歪んだ愉悦であることはわかっている。だが、それでも思わずにはいられないのだ。それが嬉しいと。



優しく抱きしめ、そっと頬にキスを落とす。
愛しくてたまらない、たった一つの存在。
この世界に取り残されてしまった、最後の一人。
仔羊の群れの中に残された、最後のライオン。
だから最後まで愛そう。その命が終わるその瞬間までも。




END
(08/05/09)



ライオンなのはイメージで。たった一人崖の上にいる感じ。