漆黒のサンタクロースの野望




 
十二月二十四日。
その日、世界の果て近くにある精霊たちの街からさらに離れた場所に立つ屋敷の扉を、機関銃なみの勢いで叩く者があった。
この屋敷の主人であるアッシュは、こめかみに青筋をたてながら広い屋敷の二階から階下へと向かう。

「こんにちは〜、世界サンタクロース協会から紹介されてきました〜」

その合間に聞こえてきた、実にのんきな声。しかしその声になんだか聞き覚えがあるような気がして、アッシュは記憶を探るように眉間に皺を寄せた。しかしどうにも思い出せない。
その間にも扉は叩かれ続ける。ふざけているのかクリスマスソングのリズムを刻んで叩かれるその音に、ただでさえ沸点の低いアッシュは階段から飛び降りると、勢いよく扉を開きながら怒鳴った。

「うるせえっ! いいかげにしろ、てめえっ!」

何かに勢いよくぶつかるいい音と潰れたような悲鳴と共に、扉が開く。アッシュは、雪の積もった玄関先でどうやら強打したとおぼしき頭を抱えながら唸っている訪問者を、冷たい目で見下ろした。

「なんだお前は」
「ううぅ、痛てえっ…って、いきなり扉を開くなよな危ねえだろっ! おかげで頭打ったじゃねえか!」

最後は唸るように叫びながら上を向いた相手が、アッシュの顔を見てぽかんと口を開く。かなりの間抜け面だが、アッシュの方もそれどころではなかった。

「ええええぇっ!」
「うるせえっ! 叫ぶなっ!」

こちらを指さしてきた相手の手をはたき落とすと、アッシュはまだ玄関先でしゃがみこんでいる相手の襟首を掴んで立たせる。目の高さは一緒。そして目の前にある間抜け面も、認めたくはないが自分の顔とそっくり同じ。さっき声を聞いたときに感じた違和感はこのせいだったのか、とアッシュは顔をしかめる。

「なな、なんでっ?」
「知るかっ! それよりもてめえ、協会から来たって言ったな。まさかてめえが今年のトナカイか?」
「お、おうっ!」

ようやく本来の目的を思い出したのか、相手はアッシュと同じ緑の瞳をパチパチと音が聞こえそうな程大きく瞬かせると、かぶっていたフードを後ろに落とした。
予想してはいたが、アッシュと似た赤い髪がフードの下から現れる。違うのは色合いと長さだけ。そして横についた鹿科の耳。さらにその上にあるはずの角に目をやり、アッシュはげんなりとした顔になった。
短い角にはリボンが結ばれていて、そこには柊の葉と赤い実、そして金色のベルが飾られている。しかも自分とおなじ顔のはずなのに、なぜかこのトナカイは異常にそれが似合っている。
アッシュの視線に気がついたのか、そのトナカイは全開笑顔を向けてきた。なかなか可愛らしい。しかしそう思った心とは裏腹に、次の瞬間にはアッシュは反射的にそのおめでたいトナカイの頭をはたいていた。

「なにすんだっ!」

はたかれた方のトナカイは、当然のことながら謂われのない暴力にむうっと頬をふくらます。ますます可愛い。これが自分とおなじ顔とはとても思えない。

「中に入れ。エッグノッグを飲むくらいの時間はあるだろう」

丸く膨らんだ頬を突きたい衝動にかられながらも、アッシュは苦笑いに似た笑みを浮かべると、屋敷の中に招き入れるように戸口で体を寄せた。突然の言葉にトナカイはキョトンと目を丸くしたが、すぐにその言葉の意味に気がつくと、嬉しそうに笑みを浮かべてぱたりと耳を動かした。

「そう言えば名前を聞いていなかったな。俺はアッシュだ」
「ルークだ。よろしくな!」

ルークと名乗ったそのトナカイはもう一度にぱっと笑ってみせると、飛び跳ねるような足取りで屋敷の中に入ってきた。彼が動く度に角に飾られたベルがシャラシャラと明るい音を振りまく。
変なトナカイだ。
そう思いながらもアッシュは、なぜかメレンゲのようにやわらかな何かが自分の胸の中に生まれるのを感じずにはいられなかった。
それを人は一目惚れという。
だが当然のことながら、そのことを彼に教えてくれる者はこの場にはいなかった。



* * *



ところでアッシュは、言うまでもなくサンタクロースである。
サンタといえば白髪の髭の老人というイメージが一般的だが、もちろん老人だけが働いているわけではなく、毎年のように新人が増えている。
その若手のサンタクロース達の中で、アッシュはここ数年配達総数第一位をキープし続けているホープである。もちろん今年も記録更新を狙っており、そのために今年も協会に足の速いトナカイを回してくれるように申請済みだった。

サンタクロースの足となりパートナーともなるトナカイ達は、精霊界生まれの特別なトナカイだ。ある程度人や荷物をのせて走れるようになるとサンタクロース協会に登録され、サンタ達に振り分けられることとなる。
ただ専属契約を結んでいるサンタとトナカイも多く、ヒヨっ子のトナカイは、同じような若手のサンタか専属のトナカイが引退してしまったサンタ達に振り分けられることが多い。
だが、アッシュには専属契約を結んだトナカイはいない。
つねにナンバーワンを目指すためには、その年フリーでいる一番足の速いトナカイを振り分けてもらう方がずっと効率が良いからだ。
去年組んだギンジというトナカイは、穏和で足も速くていっそ契約を結ぶかどうか考えさせられたが、なんとなく保留している。ギンジもまだ気ままにフリーでいたいと言っていたこともあり、今年も新しくトナカイを頼んだのだが、それでやってきたのがこのルークだ。

アッシュは、目の前で一生懸命な様子でエッグノッグを飲んでいるルークを見ながら眼を細めた。
ずいぶんと子供っぽい感じからして、まだ今年生まれたばかりのトナカイだろう。しかし、協会が寄越したからにはそれなりに足は速いと思って良いのだろうが、なんとなく不安を感じさせもする。もしかしたら自分にそっくりだからという理由だけで、面白半分に押しつけられた可能性もある。
しかし、すでに今日はクリスマスイブ。今からトナカイの交代は認められない。ここ数年きちんと要望通りのトナカイが派遣されてきたこともあって、今年は事前の確認をしなかったのは失敗だったろうか。いや、自分とおなじ顔をしたこのトナカイがそこまで無能なわけはない。というか、思いたくない。

「アッシュ?」

キョトンとしたようなルークの声に呼ばれて、アッシュは慌てて目の前のトナカイへと意識をもどした。

「そろそろ支度しなくてもいいのか? 完全に陽が落ちるぞ」

シャランと可愛らしい音を立てて、ルークが窓の方をふり返りながら訊ねてきた。

「そうだな。用意が終わったらすぐに出発する。おまえも用意をすませておけ」
「おう!」

にぱっと嬉しそうに笑いながら答えたルークに小さく頷いてから、アッシュは自分と似た髪の色を持つあのトナカイがどんな美しい毛並みを見せてくれるのかを楽しみにしながら、自室に向かったのだった。



* * *



しかし支度をすませたアッシュが外に出ると、そこには先程と何も変わらない様子でちょこんと佇んでいるルークがいるだけだった。
赤い髪に、もこもこと温かそうなフードのついた白のダッフルコート。たしかにその姿は可愛らしいが、可愛いだけでは役に立たない。

「……俺は支度をすませておけといったはずだが?」

だが地の底から這うような声で呟いたアッシュに、ルークはきょとんと目を丸くしただけだった。

「用意、できてるぜ」
「ふざけるな。橇がないのもアレだが、おまえがそのままの恰好でどうする!」

もちろん最近では橇を使わないサンタも多いが、それにしたってトナカイが人型のままでいてどうするつもりなのか。

「さっさと変身しろ。屑トナカイ」
「屑ってなんだよ! それを言うならアッシュだってなんでそんな恰好してんだ? サンタっていったら赤い服だろ、赤!」

ルークはむうっと頬をふくらませると、アッシュのことを指さした。ルークが疑問を持ったのも無理はない。サンタなら赤い服。強制されているわけではないが、それがトレードマークのようになっているので大抵のサンタ達はそれにならっている。だがアッシュはなぜか赤ではなく、黒い服を着ていた。

「人を指さすな!」
「だったら人のことを屑って言うな!」

子供のように言い返してくるルークにアッシュはさらに言い返そうとして、思いとどまる。これはまだ新米のトナカイなのだ。そして今日はもうクリスマスイブ。ここでトナカイと決別してどうする。
ぐっと奥歯を噛むようにして言葉をこらえたアッシュに、ルークはじっと抗議するように睨み返していたが、しばらくするとその視線が何か聞きたそうな好奇心たっぷりの子供の眼差しに変わる。どうやら怒りよりも好奇心の方が勝ってしまう性分らしい。

「なあ、どうしてそんな恰好なんだ」
「髪が赤いからな」

これでサンタの真っ赤な衣装を着ると全身真っ赤になってしまうので、アッシュははじめての時から黒い衣装を着ているのだ。

「ああ、それで『漆黒のサンタクロース』。なんでかなーって思ってたんだよな」

てっきり腹黒いからそう言われているのかと思った、などとかなり失礼なことを言いながらルークが笑う。その笑顔に一瞬殺意を覚えながらも、アッシュはなんとかこらえた。

「わかったならもういいな。さっさとお前も用意をしろ」
「だーかーら。用意は出来てるって言ってんだろ」
「トナカイにもならずになにを言って……、なんだ…?」

急にしゃがみ込んで背中をこちらに見せたルークを、アッシュは怪訝そうに眉根を寄せて見た。

「何って、乗れよ」

ほらと背中を見せたまま手招きするルークに、アッシュは訝りながらもその背に乗る。
直接トナカイに乗るのはまだ試したことはないが、たしかに乗ってから変化した方が手間はかからないのかもしれない。なんだそういうことなのか。

「よっしゃ! 行くぜっっ!」
「待て──っ!」

ぐっと握り拳を握り締めてそのまま自分を背負ったまま立ち上がったルークに、アッシュは心からの叫び声をあげながら耳をひっぱった。

「ってぇっ! 何すんだよっ!」
「てめえっ、まさかこのまま行く気か?」
「あ? 当たり前だろ」
「ふざけんなっ! さっさとトナカイになれ!」
「別にアッシュを背負って走るくらい平気だぜ」

ケロリとした顔で答えるルークに、アッシュは抗議するようにその頭をはたいた。

「うるせえっ! どこに人型のまま走るトナカイがいる。さっさと変化しろっ!」
「アッシュ俺より軽いから平気だって! それに俺体力バカだし、こっちの方が走るの速いしな」

どうだとばかりに胸を張るルークに、アッシュはまず怒るべきなのか呆れるべきなのか迷う。紛うことなく、このトナカイは頭が温かい。
しかしここで黙り込んでしまったのが、アッシュの最大の失敗だった。


「つーわけで、出発っ!」
「……っ! 待てと言っているだろうが、この屑トナカイ──っ!」


アッシュを背負ったまま、白いコートを着たトナカイは軽やかに夜空に駆け上がる。しかもそのスピードは、文句のつけようがないほど素晴らしいもので。
その年の聖夜の空には、世にも珍しい疾走する人型トナカイに背負われたまま駆けめぐる漆黒のサンタクロースの姿が見えたという。



そしてクリスマスの朝を迎えたその後から、精霊の街から離れた場所に立つその屋敷に一匹のトナカイが住み着くこととなるのだった。



END


*ルークの頭はチョッパーを参照のこと。