嘘は砂糖菓子のように




 一体いま自分は何をしているのだろう。
 思わずそう自問してから、ルークは先ほどから自分の背中にへばりついている相手を横目で見た。
「あの、ひとつお聞きしてもいいですか」
「なんだ?」
 いかにも面倒くさげな声が返ってくるのにため息をつきそうになりながらも、ルークは口を開いた。
「なんで俺に抱きついてるんですか?」
「『ルーク』がいないからだ」
 間髪いれずに帰ってきた予想通りの返事に、ルークはがっくりと肩を落とした。そんなルークを見て、彼の背中にへばりついていたピオニーは笑いながらルークの体を抱きしめ直した。



 そもそものはじまりは、ひさびさに訪れたマルクト王宮でブウサギの脱走を告げられたことからだった。
 以前にも似たようなことがあって捜索を命じられた覚えのあった面々は、言われるよりも先に諦めを覚えていた。
 ルークももちろん、その中の一人だった。
 だからいざ探しに行くために仲間達と部屋を出て行こうとしたところを捕獲同様にピオニーに部屋の中に引き戻され、一瞬なにが起こったのか理解できなかった。
「おまえはこっち」
「へっ?」
 まるで猫の子のようにひょいっと首根っこを掴まれたまま目を白黒させたルークに、ジェイドとガイは軽く頭を押さえ、女性陣はきょとんと目を丸くした。
「俺の可愛いブウサギたちが一匹もいないから、お前はそのかわりだ。じゃ、お前ら頼んだぞ」
 ピオニーはそんなルーク達の反応など全く気にかけることなく、ひらひらとマイペースに片手を振ると扉を閉めた。
「へへへ、陛下っ?」
 目の前で扉の閉まった音にようやく我に返ったルークは慌てて自分を捕まえている相手を見上げたが、ピオニーはそれにニヤリと笑みを返しただけでずるずるとルークを引きずりながら部屋の中に戻っていった。
 そして、現在に至る。
 散らかった居室の中の片隅に積まれた沢山のクッションの上に陣取ったピオニーは、自分の膝の間にルークを置くようにして背中から抱きしめている。
 ルークがすこし小柄なせいもあるが、長身で体格もそれなりのピオニー抱きしめられると、その腕の中にすっぽりと体がおさまってしまう。
 ルークとて剣士なのだからそれなりに体が出来ているはずなのだが、やはりどこか育ちきってない体は完成された大人の体に比べると脆弱に見える。
 もともとピオニーに対して苦手意識のあるルークにとって、そうやって自分との差を見せつけられるのは正直言ってあまり嬉しくない。しかし苦手であるが故に振り払うことも出来ず、もう半時間近くこの状態は続いていた。
 しかもそれだけでない。
 ピオニーはルークの頭を撫でたり頭の上に顎を置いたり(あっさりやってのけられたのはかなりショックだった)と、まるで可愛いペットを愛でているかのように遠慮なく触ってくる。
「陛下……いいかげん放してくれませんか?」
「断る」
 即答かよと内心毒づきながら、そう言ったからには放してくれるつもりは毛頭ないのだろうと諦めを覚える。
 なにしろ相手は、あのジェイドを丸め込める人物だ。自分なぞ歯も立たないことは、ルークも自覚していた。
「でしたら、せめて頭を撫でるのはやめてくれませんか?」
「それも断る。言っただろう、おまえは『ルーク』の代わりだからな」
 その言葉に、不意にイヤな具合に鼓動が跳ねあがる。
 彼が言っているのはそう言う意味ではなくて、あくまでも自分の名前をつけたブウサギのことだとわかっているのに、自分の中にある暗い部分が驚くほど敏感に反応した。
「……だったら、それこそなんで俺なんですか?ジェイドだって同じ名前なんだし」
「あっちのジェイドは可愛くないからな」
 だったら可愛い方を選ぶのは当然だろう、と笑い声があがる。
 そのままぎゅうっと抱きしめられるが、一度感じてしまった違和感というかささくれだった気持ちは抑えようがない。



「……気になるか?」
 ふと、耳元にうって変わった低い声が落ちる。
 それにハッとして答えようとするより前に、ルークの顎にかかった手が顔を後ろに向かせた。
 すぐ近くに、青い瞳が見える。
 ガイの瞳の色とは少し違う、海のような色をした瞳だ。
 そのまま言葉を失ったルークの鼻の頭に、小さな音を立ててキスが落とされる。
 続けて両方の頬、額。そして最後に、からかうようにやわらかな唇へのキス。
「……っ!」
 唇が離れてすぐに我に返ったルークは、慌てて自分の口元を手で被った。いったい何が起こったのか、すぐに理解できなかった。
 わかったのは、触れてきた唇が柔らかくて熱かったこと。そして、今の行為がキスと呼ばれるものだということだけ。
「へっ…、陛下っ?」
「代わりだって言っただろう?」
 大きな手が優しく髪を撫で、青い瞳が優しく細められる。
「お前がそう言われるのを怖がっているのは知っている。だけど、今だけはそう言うことにしておけ」
 優しげに細められた青い瞳。だけどその瞳自身は決して笑っていないことに、ルークはふと気がつく。
「俺がいまお前にしていることは、『ルーク』にしていることであってお前にしている事じゃない。こうやって抱きしめるのも、キスするのもな」
 また、小さく音を立てて唇が吸われる。
「どうして、という顔をしているな」
 くすりと小さく笑われるが、ルークは笑うことが出来なかった。抱きしめられる腕の強さが、なぜか怖い。
「もしお前がそれを否定するなら、すべては代わりじゃなくて本当になる……」
 頬にまた一つ、キスが落とされる。
「そうなったら、お前を放してやれなくなる。お前がそれを望まなくても。俺には、そうできるだけの力があるから」
 指が顎の線をたどり、頬に触れる。
「だから、これは『代わり』だ。……いいな?」
 最後の一言だけいつもの声に戻ると同時に、頬にあてられていた指がむにゅっとルークの頬をつまんだ。
 突然またがらりと雰囲気を変えたピオニーをルークが固まったまま見上げると、さきほど一瞬見せた冷たい光が嘘のように明るい青い瞳が楽しげにルークの顔を覗き込んでいる。
「おまえ、ほっぺた柔らかいな。ガキみたいだぞ」
 さらに楽しむようになんどか頬をつまんでくるピオニーの手から逃げようとじたばたと暴れるが、しっかりと抱きしめられたままでは逃げようがない。
 


 逃げようとする体を強く引き戻され、抱きしめられる。
 からうように頭の天辺にキスされ、大きな手が優しく髪を撫でる。
 だからルークも、その嘘に巻きこまれることに決めた。
 嘘と偽るその手もキスも、とても甘いものだったから。
 

 その嘘も、あと少しだけで消えてしまう。
 だからもう一度二人は唇をかわす。
 口の中で消えてしまう甘い砂糖菓子のような嘘を飲みこむために。



END(07/08/27)



なんか一つ足りない