その声は




 空は晴天。
 ほかほかと適度に温まった屋根の上で、ルークは上機嫌でしっぽを立ててぱたぱたとさせながら寝そべっていた。
 大きな猫科の耳も、気持ちよさそうにピンと立っている。振られているしっぽも、長くて手入れが良くされていてつやつやとした毛並みを光らせている。
 ルークは緩い傾斜の屋根に腹ばいに寝そべりながら、手元の本のページを捲った。
 勉強はあまり好きではないが、今読んでいる本はガイが面白いからと選んできてくれた本で、挿絵も多くてたしかに言われたとおりなかなか面白い。
 昼寝前にちょっと読んでみようと気まぐれに持ってあがってきたのだが、すっかり本来の目的であった昼寝も忘れてルークは本に夢中になっていた。
 そうやってページを捲っていくうちに、ルークはあるページにあった絵に目を留めると、きょとんと大きく目を瞠った。
 小さく首を傾げてから、ちょいちょいと自分の白い耳を引っ張ってみる。そしてもう一度本のページに視線を落とすと、さらに深く首を傾げた。
 やがてぱたりと音を立てて本を閉じると、ルークは危なげなく起き上がってそのままひょいと屋根から飛び降りた。
 最後に白いしっぽの先がぱたりと揺れて、ひさしの向こうに消えていった。



 ばたばたと騒がしい足音がこちらに近づいてくるのに、アッシュは読みかけの本に視線を落としたまま気むずかしげに眉間に皺を寄せた。
 その顔にはまだどこか少年らしさが残っているというのに、そんな表情一つで実際の彼の年よりもずっと年上に見える。
 やがてその足音が部屋の前までやってくると、ノックもなしにいきなり大きく扉が開かれた。
「アッシュ〜っ! 見て見てっ!」
「テメエはノックくらいしろと何遍言、ったら……」
 予想通り部屋に勢いよく飛びこんできたルークに怒鳴りつけようとして、アッシュは目の前に嬉しそうに駆けよってきたルークの姿を見て、思わず言葉を失った。
「なあなあ、どうだ?」
 ルークは得意げに小さく胸を張ると、期待に満ちた目でアッシュを見つめた。
「……こんっっっっっの! バカ猫が──っ!」
 次の瞬間、屋敷中に響き渡った怒声に、使用人達は別段驚くでもなくあらあらと笑い合いながら仕事を続けていた。今さらこんなことで驚くような使用人や騎士は、この屋敷には皆無である。
 怒鳴られたルークの方は、いつもと違ってなにがアッシュの怒りに触れたのかわからなくて、きょとんと目を丸くしただけだった。
「なんで怒るんだよ」
 驚きが去ると、すぐにむっとした顔でルークはアッシュを睨み返した。
「なんでだとっ? そんなふざけた恰好しやがって、テメエの頭は空っぽかっ!」
「んだとっ!」
 ぴんっ、とルークの大きな耳が立つ。
「わっけわかんねえっ! なにいきなり怒ってんだよ!」
「その首に着いているものはなんだっ!」
 びしりとルークの首に巻かれている物を指さすと、アッシュは一息に言い切った。
 ルークは、四年前に秘密裏に作られたアッシュのレプリカだ。
 姿形も顔も当然そっくりで、世間的にはアッシュの双子の弟と言うことになっている。
 アッシュが十歳の時にルークが作られたため、身体的には十四才の少年なのだが、その中身はまだ四才の幼児同様の精神年齢である。そのため、彼の行動は外見と中身が釣り合わないことが多い。
 そのことはアッシュも十分理解しているので、普段のちょっとした子供っぽい行動とかには目を瞑っている。しかしたいていの場合このお子様は突拍子もない事をしてくることが多く、先ほどのようにアッシュが怒鳴りつけることの方がずっと多い。
 ルークはアッシュに指摘された物にちょっと触れると、また嬉しそうにへらりと笑みを浮かべた。
「似合うか?」
「ンなことを聞いているんじゃねえ! なんでそんな物を付けているんだっ!」
 アッシュが指摘した物。それは、ルークの首になぜか巻かれている真っ赤なリボンだった。
「ガイっ! そこにいるんだろう。出てきやがれ」
 大きく開いたままのドアの向こうに向かってアッシュが教育係の名を呼ぶと、するりと待ちかまえていたように金髪の彼らよりも少し年かさの少年が現れる。ルークはてててっとガイの方へ行くと、その腕にしがみついた。
「ガイ、なんか不評みてえ」
「俺は可愛いと思うぞ、ルーク」
 ガイはにこりと優しげな笑みを浮かべると、よしよしとルークの頭を撫でた。
「ガイ、テメエどういうつもりだっ!」
「どういうつもりって、可愛いと思わないか……?」
「誰が思うかっ!」
 顔を真っ赤にさせて怒るアッシュを見て、ガイが微妙な笑みを浮かべる。本当は思っちゃったんだね、とでも言いたげなその顔におもいきり拳をたたき込んでやりたい衝動を覚えながらも、アッシュはかろうじてそれをこらえた。
「…………テメエの仕業か?」
「まさか。ルークが付けて欲しいって言ったんだよ」
 な、とガイが同意を求めると、朱赤の頭がこくりと縦に振られる。
「俺と同じのが、付けてたから」
「……は?」
 さらにわけのわからないルークの説明に眉をひそめたアッシュに、ガイが苦笑しながら説明をする。
「なんか、読んでいた本に猫の絵があったらしいんだよな……」
「猫?」
 それでなんで馬鹿馬鹿しい事に繋がるのかと首を傾げたアッシュに、さらにガイの苦い表情が深くなる。
「本物、見たことないからな」
 ハッとしたようにガイを見かえしてからその隣にいるルークの方へ目線を移すと、無邪気に笑い返してくる。
 ルークは生まれてから一度も外に出たことがない。彼の知識はこの屋敷の中のものだけで、見たことがある物もこの屋敷の中にある物だけ。
 屋敷では生き物は飼われていないので、ルークが見たことがあるのは庭にいる虫と鳥ぐらいだ。猫という動物がどういうものか知っているかどうかも、怪しいだろう。
「本当は、これがよかった」
 そう言ってルークが指さしたのは、ガイの首に巻かれたチョーカー。だからダメだって言ってるだろ、とガイが苦笑いする。
「なんだったらアッシュに買ってもらえよ」
 ルークの肩に手をやりながらアッシュの方にむけると、ガイはほらと促した。
 じっと新緑色の瞳がガイを見てから、アッシュの方に向けられる。
 実際首に赤いリボンを巻き付けたルークは、その大きな白い耳と相まって怖いくらいにそれが似合っている。
 にこりと無邪気にルークが笑う。
 ピンと大きな耳が嬉しそうに立って、ぱたりと大きなしっぽが振られるのが見えた。
「ルーク、猫はなんて鳴く?」
「にゃあ!」
 元気よく誇らしげに発せられたその一声が、決め手だった。



 後日、りっぱな赤い石のはまったチョーカーを嬉しそうに首に巻いて屋敷の中を走り回るルークの姿が、しばらくの間見られたという。



END
(07/07/17)

猫は四歳なので、悪気はありません。