綺麗な空と、世界の中心
たぶんボロボロになっていたから、さあおいでと差しだされたその手を拒むことなんてできなかった。
「ああ、こうやって見る空は本当に綺麗ですね」
彼は草原の真ん中で空を見あげながらそう言うと、新緑色の瞳を嬉しそうに細めた。
ルークよりもずっと細い手足に、細い体。だけどその瞳には強い意志が宿っていて、たぶんルークよりもずっと強い。
「本当に、綺麗な空です」
それはルークだって思った。空はこんなにも青くて、ただひたすら綺麗なんだと。そしてそれが嬉しくて、だけど悲しい。
「あなたが」
ふわりと甘い笑みがむけられる。知っているけれど、知らない笑み。
「あなたが取り戻した空だから、だからこんなにも綺麗なのかもしれませんね」
知っていたのは、おっとりとやわらかなまるでカスタードクリームのような笑み。だけどいま目の前にあるのは、そんなふわりとしたやわらかくて甘いものなんかじゃなくて、もっとなにかはっきりしたものがそこにある笑みだった。
「おまえが、教えてくれたから」
はじめてであった同じ存在。互いにそれとは知らずに惹かれて、そしてずっと初めから優しくしてくれた彼。
みんなに置いてきぼりにされそうになっていたルークの側に、それでも静かに一緒にいてくれた。あの時はそんなひっそりとした彼の好意に気づくことなんてなかったけれど、思い返せばミュウと彼だけはいつでも自分の側に立ってくれていたのだ。
「そうでしたね、アレもなかなか役に立ってくれました」
同じだけど違う笑顔でまるで他人事のように話す彼に、すこし寂しくなる。ルークの表情が曇ったことに気づいたのか、彼は困ったように眉をひそめた。
「気に障りましたか?」
「……そうじゃねえけど」
思い出すのは優しい笑顔と言葉。目の前で消えてしまったからこそ、忘れることなんてできない。
「そうじゃねえけど、あいつも、イオンもおまえだったんだからそんなふうに物みたいに言うなよ」
苦しいのを耐えるような顔をしたルークに、彼はますます困ったような顔になった。
「あなたを傷つけてしまいましたね。すみません」
「…いや」
ルークは緩く頭をふると、ぎゅっと硬く拳を握った。
その上に、そっと白い指が重なる。
「やはりあなたは優しいのですね、ルーク。だから僕は、あなたが大好きです」
そう言って、イオンと同じ顔をした彼はにこりと笑った。
レムの塔で捨てるはずだった命を拾って、だけどそれが限りある命だと知ってしまった。
それが、怖くてたまらなかった。
死にたくない。それはそうだろう。誰だって、すすんで死にたいわけじゃない。
だけど、それがどうしようもないこともわかっていた。
それならただ震えて死の翼が自分の上に訪れるのを待つのではなく、自分ができることをやり遂げたいと思っていた。
それでも、もちろん本当は怖くてたまらなかった。
許されるなら大声をあげてわめき散らして、泣きたいくらいだった。
よく考えて欲しい。一度捨てる覚悟を決めた命がすくわれて、だけどその先にもう一度同じ選択があることを知っている怖さを。。
もう一度確実にその命を差しだせと言われて怖くないなんて人間が、本当にいるのだろうか。もしいるとしたら、よほど自己犠牲精神にあふれている馬鹿かヤケクソになっている人間くらいだろう。
しかし、それを自分が言ってはいけないのだとも知っていた。
もしかしたら、ガイたちはそれでも良いと言ってくれるかもしれない。
だけどきっと、世界がそれを許してくれない。
がんじがらめになって、死ぬことよりも自分が生きていることを考えなくてはいけないのに、ふとした瞬間に心は振り子のように揺れる。
そんなとき、彼はルークの前に現れたのだ。
最初は、夢を見ているのかと思った。
次に、彼もじつは『導師イオン』のレプリカの一人なのかもしれないと思った。
だから彼がいつもとかわらない調子でルークと名を呼んでくれて、そしてさあ行きましょうと手を差しだしてきたのに、それを拒むことなんて思いつきもしなかった。
二人で逃げ出して、それからぽつぽつとイオンが語ってくれたことは驚くことばかりだった。
一度音素乖離してしまったイオンは、ティアの中にあった大量の汚染された第七音素を引き受けて消滅するはずだったのだが、気づいたらダアトの街をのぞむ丘の上にある小さな教会の地下墓地にいたのだそうだ。
その場所こそ、死んだオリジナルイオンがひそかに葬られた場所だったのだ。
とっくに死んだはずの被験者とレプリカの間にそんな現象がおこるなど、聞いたこともない。だが実際にイオンはこうやって戻ってきた。それも、オリジナルとの融合を果たして。
そこではじめてイオンは、いつの間にか自分の中にあったという大爆発の知識をルークに話してくれた。
それによれば、イオンたちに起こった現象は、イレギュラー以外のなにものでもないらしい。
同位体でもない彼らになぜそんな現象が起こったのかはわからなかったが、もしかしたらレプリカイオンが引き受けていったという汚染された第七音素がなにか関係しているのかもしれない、と笑っていた。
だけどそんなことはどうでもよかった。イオンが生き返ってくれたことの方が、ルークにとってはずっと重要なことだったのだから。
だけどたまに思うのだ。本当に自分はこの手を取って良かったのだろうか、と。
イオンは優しい。その優しさに包み込まれていると、あんなに一生懸命考えていた世界のことやこれからのことが酷く曖昧に思えてしまう。
イオンはルークがしたいようにすればいいと言う。
わざわざ命を捨てることもないのだと。
「僕は、あなたに生きていて欲しい」
誰よりも心に響く声で、イオンは歌うように言う。
その声を聞いていると、まるで魔法にかけられているように心が穏やかになってゆく。
「あなたのことは、僕が救ってみせますよ」
そう言って自信たっぷりに笑うその顔は、あの控えめに笑っていたイオンとは違う。それでも言葉の端々に彼の中にルークの知っているイオンがいることが感じられて、時々胸が痛くなることもある。
あのイオンは記憶だけ自分の中に残っているのだと告げた彼は、だけどそれでも自分もルークが好きなのだと言ってくれた。そして、ルークを救いたいのだと。
だから、僕にすべてをまかせてくださいね。
そう言って笑うイオンに、ルークは頷くことしかできなかった。
月が中空にさしかかる頃、イオンは自分のすぐ隣に眠るルークの髪をそっと撫でた。
炎に照らし出されたルークの髪は、はじめてであったときのように毛先の方がすこしだけ金色に光っている。
いや、はじめてであった時のその記憶は、イオンの中にあるもう一人のイオンの記憶だ。
目覚めてすぐに、自分の中にもう一人の自分の記憶があることにイオンは気がついた。
もともと聡明だった彼は、すぐになにが起こったのかを、理解することができた。
自分の中にある、知らないはずの記憶と知識。その知識がどこからもたらされたのかも。
そして、彼はルークに出会った。
出会った瞬間、自分の中の記憶が喜びの声をあげたのがわかった。そして、彼自身がルークに惹かれるのにも、そう時間はかからなかった。
いまでは誰よりも大切で、それこそ世界を裏切ってでも彼をえらぶ覚悟がイオンにはある。
ルークたちの身の上に起こっている、大爆発現象。それがもう止めようもないほど進行していることも、イオンは気がついている。
時々、自分に気がつかれないようにルークが自分の手のひらを見つめていることも。
記憶しか残さない、レプリカと被験者の融合。
もちろんそんな酷いことは、絶対に許せない。
世界の摂理がどちらを優先させるのかなんて、関係ない。
それが神に弓を引くような行為であっても、微塵も迷いはない。
彼にとってどちらが大切なのかなんて、あまりに明白で。だとすれば、どちらを切り捨てるのかなんてあまりに簡単な選択だった。
優しい彼には、自分が生きるために誰かを踏みつけるなんてきっとできないだろう。
それが自分の被験者ならなおさらだ。
それなら、自分が代わりに手を下してしまえばいい。
そっと頬を撫でると、まるで甘えるようにすり寄ってくる。
はじめて出会ったときから、イオンはルークに気づかれないように暗示をかけ続けている。
きっといまならもう、自分が目の前で何をしてもその行動に彼は疑問を感じないはずだ。
そうやって少しずつルークの心を浸食していって、最後には自分だけしか見えないように仕向けるつもりだった。
そして、それはもうそう遠いことではないはずだ。
世界が自分たちを裏切るなら、自分たちが世界を裏切ってしまえばいい。
自分の世界は、自分を中心にまわっているのだから。
世界にはじき出された自分たちの、それが最後の抵抗なのだ。
END
(07/02/15)
自己中系統合イオン様。
「ああ、こうやって見る空は本当に綺麗ですね」
彼は草原の真ん中で空を見あげながらそう言うと、新緑色の瞳を嬉しそうに細めた。
ルークよりもずっと細い手足に、細い体。だけどその瞳には強い意志が宿っていて、たぶんルークよりもずっと強い。
「本当に、綺麗な空です」
それはルークだって思った。空はこんなにも青くて、ただひたすら綺麗なんだと。そしてそれが嬉しくて、だけど悲しい。
「あなたが」
ふわりと甘い笑みがむけられる。知っているけれど、知らない笑み。
「あなたが取り戻した空だから、だからこんなにも綺麗なのかもしれませんね」
知っていたのは、おっとりとやわらかなまるでカスタードクリームのような笑み。だけどいま目の前にあるのは、そんなふわりとしたやわらかくて甘いものなんかじゃなくて、もっとなにかはっきりしたものがそこにある笑みだった。
「おまえが、教えてくれたから」
はじめてであった同じ存在。互いにそれとは知らずに惹かれて、そしてずっと初めから優しくしてくれた彼。
みんなに置いてきぼりにされそうになっていたルークの側に、それでも静かに一緒にいてくれた。あの時はそんなひっそりとした彼の好意に気づくことなんてなかったけれど、思い返せばミュウと彼だけはいつでも自分の側に立ってくれていたのだ。
「そうでしたね、アレもなかなか役に立ってくれました」
同じだけど違う笑顔でまるで他人事のように話す彼に、すこし寂しくなる。ルークの表情が曇ったことに気づいたのか、彼は困ったように眉をひそめた。
「気に障りましたか?」
「……そうじゃねえけど」
思い出すのは優しい笑顔と言葉。目の前で消えてしまったからこそ、忘れることなんてできない。
「そうじゃねえけど、あいつも、イオンもおまえだったんだからそんなふうに物みたいに言うなよ」
苦しいのを耐えるような顔をしたルークに、彼はますます困ったような顔になった。
「あなたを傷つけてしまいましたね。すみません」
「…いや」
ルークは緩く頭をふると、ぎゅっと硬く拳を握った。
その上に、そっと白い指が重なる。
「やはりあなたは優しいのですね、ルーク。だから僕は、あなたが大好きです」
そう言って、イオンと同じ顔をした彼はにこりと笑った。
レムの塔で捨てるはずだった命を拾って、だけどそれが限りある命だと知ってしまった。
それが、怖くてたまらなかった。
死にたくない。それはそうだろう。誰だって、すすんで死にたいわけじゃない。
だけど、それがどうしようもないこともわかっていた。
それならただ震えて死の翼が自分の上に訪れるのを待つのではなく、自分ができることをやり遂げたいと思っていた。
それでも、もちろん本当は怖くてたまらなかった。
許されるなら大声をあげてわめき散らして、泣きたいくらいだった。
よく考えて欲しい。一度捨てる覚悟を決めた命がすくわれて、だけどその先にもう一度同じ選択があることを知っている怖さを。。
もう一度確実にその命を差しだせと言われて怖くないなんて人間が、本当にいるのだろうか。もしいるとしたら、よほど自己犠牲精神にあふれている馬鹿かヤケクソになっている人間くらいだろう。
しかし、それを自分が言ってはいけないのだとも知っていた。
もしかしたら、ガイたちはそれでも良いと言ってくれるかもしれない。
だけどきっと、世界がそれを許してくれない。
がんじがらめになって、死ぬことよりも自分が生きていることを考えなくてはいけないのに、ふとした瞬間に心は振り子のように揺れる。
そんなとき、彼はルークの前に現れたのだ。
最初は、夢を見ているのかと思った。
次に、彼もじつは『導師イオン』のレプリカの一人なのかもしれないと思った。
だから彼がいつもとかわらない調子でルークと名を呼んでくれて、そしてさあ行きましょうと手を差しだしてきたのに、それを拒むことなんて思いつきもしなかった。
二人で逃げ出して、それからぽつぽつとイオンが語ってくれたことは驚くことばかりだった。
一度音素乖離してしまったイオンは、ティアの中にあった大量の汚染された第七音素を引き受けて消滅するはずだったのだが、気づいたらダアトの街をのぞむ丘の上にある小さな教会の地下墓地にいたのだそうだ。
その場所こそ、死んだオリジナルイオンがひそかに葬られた場所だったのだ。
とっくに死んだはずの被験者とレプリカの間にそんな現象がおこるなど、聞いたこともない。だが実際にイオンはこうやって戻ってきた。それも、オリジナルとの融合を果たして。
そこではじめてイオンは、いつの間にか自分の中にあったという大爆発の知識をルークに話してくれた。
それによれば、イオンたちに起こった現象は、イレギュラー以外のなにものでもないらしい。
同位体でもない彼らになぜそんな現象が起こったのかはわからなかったが、もしかしたらレプリカイオンが引き受けていったという汚染された第七音素がなにか関係しているのかもしれない、と笑っていた。
だけどそんなことはどうでもよかった。イオンが生き返ってくれたことの方が、ルークにとってはずっと重要なことだったのだから。
だけどたまに思うのだ。本当に自分はこの手を取って良かったのだろうか、と。
イオンは優しい。その優しさに包み込まれていると、あんなに一生懸命考えていた世界のことやこれからのことが酷く曖昧に思えてしまう。
イオンはルークがしたいようにすればいいと言う。
わざわざ命を捨てることもないのだと。
「僕は、あなたに生きていて欲しい」
誰よりも心に響く声で、イオンは歌うように言う。
その声を聞いていると、まるで魔法にかけられているように心が穏やかになってゆく。
「あなたのことは、僕が救ってみせますよ」
そう言って自信たっぷりに笑うその顔は、あの控えめに笑っていたイオンとは違う。それでも言葉の端々に彼の中にルークの知っているイオンがいることが感じられて、時々胸が痛くなることもある。
あのイオンは記憶だけ自分の中に残っているのだと告げた彼は、だけどそれでも自分もルークが好きなのだと言ってくれた。そして、ルークを救いたいのだと。
だから、僕にすべてをまかせてくださいね。
そう言って笑うイオンに、ルークは頷くことしかできなかった。
月が中空にさしかかる頃、イオンは自分のすぐ隣に眠るルークの髪をそっと撫でた。
炎に照らし出されたルークの髪は、はじめてであったときのように毛先の方がすこしだけ金色に光っている。
いや、はじめてであった時のその記憶は、イオンの中にあるもう一人のイオンの記憶だ。
目覚めてすぐに、自分の中にもう一人の自分の記憶があることにイオンは気がついた。
もともと聡明だった彼は、すぐになにが起こったのかを、理解することができた。
自分の中にある、知らないはずの記憶と知識。その知識がどこからもたらされたのかも。
そして、彼はルークに出会った。
出会った瞬間、自分の中の記憶が喜びの声をあげたのがわかった。そして、彼自身がルークに惹かれるのにも、そう時間はかからなかった。
いまでは誰よりも大切で、それこそ世界を裏切ってでも彼をえらぶ覚悟がイオンにはある。
ルークたちの身の上に起こっている、大爆発現象。それがもう止めようもないほど進行していることも、イオンは気がついている。
時々、自分に気がつかれないようにルークが自分の手のひらを見つめていることも。
記憶しか残さない、レプリカと被験者の融合。
もちろんそんな酷いことは、絶対に許せない。
世界の摂理がどちらを優先させるのかなんて、関係ない。
それが神に弓を引くような行為であっても、微塵も迷いはない。
彼にとってどちらが大切なのかなんて、あまりに明白で。だとすれば、どちらを切り捨てるのかなんてあまりに簡単な選択だった。
優しい彼には、自分が生きるために誰かを踏みつけるなんてきっとできないだろう。
それが自分の被験者ならなおさらだ。
それなら、自分が代わりに手を下してしまえばいい。
そっと頬を撫でると、まるで甘えるようにすり寄ってくる。
はじめて出会ったときから、イオンはルークに気づかれないように暗示をかけ続けている。
きっといまならもう、自分が目の前で何をしてもその行動に彼は疑問を感じないはずだ。
そうやって少しずつルークの心を浸食していって、最後には自分だけしか見えないように仕向けるつもりだった。
そして、それはもうそう遠いことではないはずだ。
世界が自分たちを裏切るなら、自分たちが世界を裏切ってしまえばいい。
自分の世界は、自分を中心にまわっているのだから。
世界にはじき出された自分たちの、それが最後の抵抗なのだ。
END
(07/02/15)
自己中系統合イオン様。