タナトスと指切り






「なあなあ、父さん。いつになったら師匠は俺を外に出してくれるのかなあ」

 その子供は背の高い椅子に腰掛けて足をぶらぶらさせながら、先ほどから難しい顔でなにかを書いている青年に向かってうんざりとした声をあげた。

「ルーク、父さんと呼ぶのはやめなさいと言ったでしょう」

 少年に『父さん』と呼びかけられた青年は微かに顔をしかめると、気むずかしげに指で眼鏡のブリッジを押しあげた。

「だったら父さんも俺のことルークって呼ぶなよ。怒られるぜ、師匠に」
「何を今更。研究室ではそう呼んで欲しいと言ったのは貴方ですよ。レプリカ」

 彼は深いため息を一つつくと、小さく舌を出して面白そうに自分の顔を見ている少年の方へ顔を向けた。
 銀色の髪を肩のあたりで切りそろえ銀縁の眼鏡をかけた彼は、顔立ちだけを見ればなかなか綺麗な顔をしているのだが、いかんせんその服装がそのすべてを打ち消していた。
 二つの名を呼ばれた少年はそんな彼を見て、もったいないなあとあらためて思っていた。
 もっとも、こんな事にならなかったら、そんなことは思いもしなかったのだろうけれど。



「じゃあ、サフィール」

 あらためてそう名を呼ぶと、一瞬だけ困惑した顔をしながらもまあいいでしょうと彼は頷いた。

「もう一度聞くけど、師匠はいつ俺を外に出してくれんのかな」
「まだ無理でしょう。私が許可を出していませんから」
「ええええ! なんだよ、お前のせいなのかよっ!」

 少年──ここではルークとする彼は、椅子から飛び降りるとすました顔をしているサフィールの襟首を掴んで揺すった。

「痛いですよ、離しなさい。ルーク」
「これが黙ってられるかよ!」

 なおも迫ってこようとするルークの手を落ち着きなさいと軽く振り払うと、サフィールはやれやれと小さく肩をすくめた。

「いいですか、レプリカルーク。貴方はこの私こと華麗なる死神ディストの最高傑作です」
「……華麗なるは余計だけどな」

 ルークはすかさず突っ込みを入れたが、サフィールはまったく気にした様子はない。

「大体貴方はまだ生まれてから半年も経っていないのですよ!」

 バン、と机を叩かんばかりの勢いでサフィールが熱く語りはじめた。

「生まれて半年といえば、赤ん坊でも一番免疫力が下がる時期です。まして貴方は母体から生まれたわけではありませんから、自分できちんと免疫を作れるようになるまで外界との接触を最低限にしなければなりません」
「で、でも俺、前は出来上がってすぐファブレ家に戻されたけど……」

 勢いに押されながらもなんとか反論したルークを、サーフィルは鼻先で笑う。

「公爵家の邸内なら、ここまでとは言わなくともきちんと環境が整えられていたでしょう。まして貴方のオリジナルの御母堂は病身と聞いています。もともと屋敷全体が、それにあわせて整えられていたのではないですか?」
「あー、えーと……」

 あの頃はそんなことにまで気はまわらなかったけれど、言われてみればそうだったかも知れない。そういえば戻ったばかりの頃はよく熱を出して看病が大変だった、とガイが言っていたような気もする。

「わかりましたか?ですからそのまま外に出るなど言語道断です。それに、貴方には刷り込みをしていない事になっているのですよ? あからさまに赤ん坊のふりをしろとまでは言いませんが、もう少し子供のふりをしてもらわなければ……ああでも、その点に関しては問題ありませんでしたね」
「最後だけ余計だっつーの」

 ルークはふて腐れた顔になると、ニヤニヤ笑いながらこちらを見ているサフィールを睨みつけた。

「ですが、子供のふりでここにいるのも悪くはないと思いますよ。貴方の場合、色々とこれからの事で準備が必要なのでしょう?」

 それに、とサフィールは続ける。

「貴方の言っていたことが本当なら、大爆発の理論を覆す研究をするにはあなたの協力が不可欠ですからね」
「うん……」

 ルークはふと表情を曇らせると、コクリと小さく頷いた。



 やり直す気はないかとローレライが訊ねてきたのは、音素の流れにルークが完全に消えてしまう直前のことだった。
 それよりも前にアッシュが無事生還することを確認していたルークは、そのあまりに突然なローレライの言葉に、消えそうになっていた意識を必死にかき集めて目を開いた。

「やり直す……?」
『そうだ。やはりこの結末は、自然の摂理とはいえ我を救ってくれたお前たち二人に対して、あまりに過酷な結末であるように思える』
「でも、これが『摂理』ってやつなんだろう?」
『だが、私の力で曲げることは不可能ではない……』

 ゆらゆらと炎のように揺れるローレライの影を、ルークは驚きの表情で見つめ返した。

「だったら……!」
『だが、いまのこの時間の流れの中では、お前の音素乖離をこれ以上とどめることは出来ない。だが違う時間が流れれば、我に介入する余地もできるはずだ』

 だから、とローレライは続ける。

『……もう一度過去にもどり、道を作る気はないか? お前たち二人がともに生きられるための道を』

 二人で共に。
 その言葉にルークは、ためらうことなく頷いた。

『過酷な道になるやもしれないぞ』

 それでもかまわない。精一杯あがくことでしか掴めないモノがあるのだと、自分はもう知っているのだから。
 そうしてルークは、もう一度道を作るために戻ったのだ。自分の誕生のその瞬間まで。



 ぼんやりと過去のことを思い出していたルークの頭を、不器用そうにサフィールの手が撫でてきた。
 骨っぽいその意外に大きな手は、ふとかつて一緒にいた仲間を思い出させる。
 もっと未来にあうはずの、いまは他人である仲間の一人。最後の時に自分を惜しんでくれているのだと伝えてくれた、不器用で意地悪な友人。

「サフィールの手って、ジェイドに似ているな」
「……そうですか?」

 途端に迷惑そうに顔をしかめたサフィールに、ルークは小さく笑った。そんな顔をしているが本当は嬉しいのだとわかるようになったのは、ジェイドと一緒に旅したからだ。最も彼の場合は、無表情や誤魔化すような笑みだったけれど。
 最初にサフィールを仲間に引きこんだのは、彼がジェイドに負けないほどの頭脳を持っていることを知っていたこともあったけれど、出来れば彼に妄執に近いネビリム復活への思いを諦めて欲しかったこともあったからだ。
 もちろんまだ半年にも満たない時間の中では無理だったけれど、時間はまだある。
 目覚めてすぐにしっかりとした自我を持っている自分にサフィールは驚いたようだが、なんとか自分への興味を優先させてそのことを伏せさせた。
 ついでに自分をしばらくのあいだ手元に残すようにヴァンに働きかけさせ、その結果いまここには二人のルークが揃って暮らしている。
 もちろん見返りはルーク自身と、未来の記憶。そして、サフィールの知らないジェイドの話だった。

「なあなあ、父さん」
「だからそう呼ぶのはやめなさいと言ったでしょう」
「でも、ジェイドは最後は父親みたいなもんだって諦めてたみたいだぞ?だったら実際に俺を作ったサフィールは、ジェイドよりも本当の父さんに近いと思わないか?」
「思いません」

 きっぱりとそう言いきるけれど、本当はそうやって呼ばれるのを彼がそう嫌っていないことをルークは知っている。だいたい彼は、ジェイドという単語に弱い。それに、アニスが言っていたように、本来は悪い人ではないし寂しがり屋なのだ。

「でも師匠さ、そろそろ俺の記憶を消去してファブレ家に返そうとしているんじゃねえの?」
「そういう話もありますね……って、どこから聞いたんですか?」
「アッシュから」
 もう一つの秘密。

 実はこっそり抜け出しては、何度か彼には会っていた。
 彼はまだフォミクリー被験者につきものの後遺症のために、この研究室のすぐ近くに軟禁されているのだ。

「師匠には内緒な」
「……まったく、油断も隙もありませんね」

 サフィールは呆れたように言ったが、今の彼はきっとヴァンに告げ口するようなことはない。たぶん、彼の中で自分の比重はそう軽くないところにおさまりつつあることを、ルークは確信していた。
 我ながら性格が悪くなったと思わないでもないが、こうやって違う形で彼と接するようになってわかったが、決して悪い人間ではないのだ。

「で、お願いなんだけど……」
「わかっています。ある時期になったら記憶の封印が解けるようにすれば良いのでしょう?」
「さっすが父さん! わかってるな」
「だから、そう呼ぶのはやめなさいと言っているでしょう」

 飛びつくようにして抱きつくと、迷惑そうにそう呟きながらも不器用に抱き返してくれる。
 意外にも最初は抵抗を見せたくせに、少し慣れると彼は案外スキンシップが好きなようだった。昔ガイにしていたように甘ったれて抱きついても、文句は言われるが振り払われたことはない。

「ちゃんと父さんとの記憶も残しておいてくれな」
「さあ、どうしましょうかね」

 ツンと顎をそらすようにして不機嫌そうに呟いたサフィールに、ルークはさらに甘えるように抱きついた。

「俺、忘れたくないから」
「私は忘れて欲しいですね。あなたの父親になった記憶はないですからね」
「でも、忘れたくないから」

 不器用で寂しがり屋で、そして理解されないことを誰よりも怖がっている子供のような青年。
 本当は、熱を出してルークが寝込んだりすると誰よりも心配して、そして不器用に看病をしてくれる優しさを持っている人。
 初めはお互いの利害だけで共犯者になったけれど、きっといまはそれだけではない何かが自分たちの間にはあるはずだ。
 父親と呼んだのは最初は戯れだったけれど、この小さな世界で不器用ながらも自分のことを隠してくれた彼に対する感情は、たしかに父親に甘えるような感情に近かったかも知れない。



「記憶が戻った頃に、こっそり会いに来てくれないかなあ」
「そんなことが出来るわけないでしょう」
「ん〜、でもほら。父さんの発明でちょちょっと」
「だからそう呼ぶのはやめなさい」

 むにっと頬をつままれて、ルークはちいさく唇をとがらせた。

「……絶対に、ずっとそう呼んでやる……」
「迷惑です」
「やだ」
「しつこいですね」

 サフィールは呆れたように大げさなため息を一つつくと、自分を上目づかいに睨みつけているルークの顔を覗き込んだ。

「いいですか。外でそんなふうに私のことを呼んだら、あなたが聞かせてくれた穴だらけのへっぽこな計画が、さらに無計画きわまりないモノになるでしょう。だいたい、どうやって説明する気ですか。記憶のなくなった貴方は、私のことなど知らないはずですし、今だって貴方の自我がこれほどまできちんとあることを知っているのは私とオリジナルルークだけでしょう?」

 冷静に一つ一つ理由をのべてゆくサフィールに、ルークは段々と視線を落としてゆく。
 そんなことはわかっている。自分だって、最初は冗談とちょっとした嫌がらせのつもりだったのだ。彼のことをこんなふうに呼びだしたのは。

「……いいですか、ルーク。ですから、ここでだけだったらそう呼んで良いですよ」

 一瞬、言われたことがすぐに理解できなかった。
 慌ててあげた視線の先には、苦笑いするサフィールの顔。

「よーく考えてみれば、ジェイドよりも私の方があなたの父親によりふさわしいですからね。ですが、この研究室の中でだけですよ。いいですね」

 ぎこちなく笑った彼にルークは抱きつく腕に力を込めると、大きく頷いた。

「大好きだよ、父さん。アッシュにはおよばないけど」
「私も貴方が好きですよ、ルーク。ジェイドにはおよびませんが」

 不器用な手つきで抱き返してくるサフィールに、ルークは声を立てて笑った。
 まるで三文芝居のようだけれど、これはこれで悪くない。
 共犯者なんて関係よりも、こんな変な親子関係の方がなんだかずっといい。
 


 そして運命の歯車の回り始める七年後。
 立派に親馬鹿と化していた死神もくわえて、リスタートがはじまる。



END(07/09/13)





変な逆行話。ルークにディストを「父さん」と呼ばせたかったので。
ちなみにこの後、ルークを手放したディストは父性愛にいきなり目覚めてルークのために研究も鍛錬も積みます。七年後には華麗な使用人ばりの親馬鹿に進化。
アシュルクなため、アッシュに大変冷たい死神になります……。
初登場後はこっそり後でルークに会いに来て、「息子よ!」となります。アホだ…。