秘密はティーカップに眠ってる




「お待ちしておりました、ルーク殿」
 開口一番にそう爽やかに笑って告げた相手を見上げて、ルークは大きく目を 瞬かせた。
 所はグランコクマ王宮の正面扉前。
 明るい陽射しが降り注ぐ、昼下がりの出来事だった。



「フリングス少将?」

 やわらかな陽射しを受けてキラキラと輝く銀色の髪に一瞬見とれていたルークは、慌てて相手の名を呼ぶと頭の上に巨大な疑問符を浮かべた。
 いや、彼はこの国の将軍であるのだから王宮にいるのは不思議でも何でもない。だが今問題なのは、彼が立っている場所だ。

「……こんなところで何をしているんですか?」

 通りかかっただけと言うにはあまりに不自然に扉の前に立っている彼に、門番たちもいささか引き気味にこちらをうかがっている。それはそうだろう、仮にも将軍が部下も連れずにのんびりと後ろで手を組んで、正面扉の前に立っているのだから。

「ですから、貴方を待っていたのですよ。ルーク殿」

 にこりとやわらかな笑みを浮かべたフリングスは、顔だけ見ているととても軍属の人間には見えない。しかし、こう見えても彼が剣ではなかなかの使い手であることは、ジェイドから聞いている。ジェイドといいかれといい、マルクトの軍人はそれらしくない見かけの方が強いのだろうかと、思わず余計なことを考えてしまう。

「ルーク殿?」

 怪訝そうな呼び声にはっと我に返ると、すぐ近くに不思議そうに覗き込んでくるフリングスの顔があった。どうやら、余計なことを考えてぼーっとしてしまったらしい。ルークは慌てて頭を大きく振ると、申し訳なさそうにフリングスを見上げた。

「すみません、ぼーっとして。あの、ところで俺に何か用ですか?」

 知らぬ仲ではないが、さりとて個人的につきあいがある相手でもない。そんな彼が自分に何の用だろう。

「陛下をお訪ねいただいたと思うのですが、その前に私に少々つきあっていただけませんか?」
「へ?」

 突然の誘いにきょとんと目を丸くしたルークに、フリングスは爽やかな笑みを浮かべた。

「実はカーティス大佐から頼まれましてね。陛下にどうしても今日中にやっていただかねばならない案件があるので、そのあいだルーク殿の相手をと」
「え? だってフリングス少将だってお仕事が……」
「フリングスで結構ですよ。私のことはお気になさらずに。……それとも、私ではお相手にご不満ですか?」

 困ったように眉根を寄せたフリングスに慌てて首を横に振ると、そうですかと笑みを返される。なんとなくだが、ジェイドを相手にしている時に少し似ているような気がした。

「ではこちらへ」

 フリングスはさりげなくエスコートするようにルークに手を伸ばすと、連れだって歩きはじめた。
 いつもとは違う棟に案内されたルークは、思わず珍しくてきょろきょろとあたりを見回した。ピオニーから宮殿のどこを覗いてもかまわないとは言われていたが、このあたりには来たことがなかった。
 そんなルークの様子を笑みをかみ殺しながらフリングスは見ていたが、目的の部屋の前まで来るとルークを呼び止めた。
 部屋の中に入ったルークは、すぐにここがフリングスの執務室であることに気がつき、慌てて彼をふり返った。

「少々散らかってますが、どうぞ。貴賓室では不都合があるもので、申し訳ありません」
「いや、別にそれはかまわねえけど……」

 勧められるままにソファに腰をおろしたルークは、好奇心を抑えられずにきょろきょろと部屋の中を見回した。
 フリングスの執務室はジェイドの部屋よりも広く、きちんと綺麗に片付けられていた。窓辺には花が飾られ、置かれている調度も機能的でありながらどこか優美な線を残した物ばかりで、実務的なジェイドの執務室とはずいぶんと雰囲気が違った。
 子供のように部屋の中を見回しているルークを笑顔で見守っていたフリングスは、控えめなノックに自分から扉を開くと、恐縮するメイドからワゴンを預かり自分で部屋の中に運び入れた。
 ワゴンで運ばれてきたのは二人分のお茶の用意で、フリングスは慌てるルークを制して慣れた手つきで給仕をすると、紅茶を注いだカップをルークの前に置いた。

「……すみません」
「いえ、そうかしこまらないでください。ルーク殿。お付き合いいただいているのはこちらの方なのですから」

 それに、とフリングスはふと悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「貴方は陛下に対しての人質ですから」
「はあ?」

 勧められるがままに紅茶に口をつけようとしていたルークは、その言葉を聞いてあやうく吹き出すところだった。

「なんですか、それはっ?」
「ですから、カーティス大佐からのお願いですよ。貴方と会いたければさっさと仕事を終わらせるようにと陛下を脅すから、私がそのあいだ貴方の相手をするように、と」

 何でもないことのようにのほほんとした顔でそう言うと、フリングスは優雅にカップを傾けた。

「ですから、しばらくのあいだお付き合いください」
「……はあ」

 臣下が皇帝を脅迫するとは、それでいいのかマルクト帝国。しかしなまじそのトップである皇帝の実態を知っているだけに、うっかりそうかもなどと納得してしまえるところが悲しい。
 それに、呼びだされたから来たとはいえピオニーを少し苦手としているルークにとって、インターバルを取れるのは願ってもないことだった。

「お口に合うかどうかわかりませんが、お一ついかがですか?」

 ようやくくつろいだ表情になったルークに、フリングスは笑いながら焼き菓子を勧めてきた。
 先ほどから香ばしい匂いで誘ってくる、色よく焼けたフリアンや貝殻の形をしたマドレーヌに早速手を伸ばすと、フリングスはニコニコと笑いながらその様子を見ている。

「美味い」
「ありがとうございます」

 思わずこぼした賞賛の言葉に、笑顔でフリングスが答える。

「慌てて用意したかいがありました。本当は焼き菓子よりも、パイとかの方が得意なのですが」
「え……?」

 その後に続いた言葉に食べかけのマドレーヌとフリングスの顔を見比べたが、彼はにこやかに笑うだけで何も答えない。冗談なのか本気なのか判断がつかず思わず眉をしかめると、堪えきれないといった様子でフリングスが吹き出した。

「意外ですか?」
「え〜と、まあ……。まさか、フリングス少将が料理をするとは思わなかったもんで」
「ルーク殿も料理をたしなまれると、カーティス大佐からうかがってますが」
「たしなむ……」

 いや、あれは純粋に持ち回り当番だと言った方が早いだろう。第一、ルークの料理の腕がたしなむなどと言う可愛らしい物ではないことは、当のジェイドが一番良く知っているはずだ。
 しかし、いかにも育ちの良さそうな貴族の子息に見えるフリングスが料理が出来るとは、意外だった。ルークは、自分の公爵家子息という身分を棚上げにしてそんなことを思っていた。




 フリングスは料理の話にはじまり、やわらかだがテンポのよい口調でさまざまな話題をふってきてルークが飽きないように仕向けてくれた。
 王宮での面白おかしい出来事や、ピオニー陛下の破天荒な逸話。果ては菓子作りの秘訣など、ありとあらゆる話に花を咲かせているうちに、時間はまたたく間に過ぎていった。
 やがて、控えめなノックの音とともに現れたメイドがフリングスにジェイドの伝言を持ってきたときは、ほんの少しだけだがジェイドを恨みたくなったくらいだった。

「では、ご案内します」

 しかしフリングスの方はそんなルークの心情を知ってか知らずか、笑顔で立ちあがった。




 先に立って歩きはじめたフリングスの少し後ろを歩きながら、ルークはぼんやりとその後ろ後姿を眺めていた。
 身長は、ガイよりも少し低いくらいだろうか。
 中肉中背というよりも、どちらかといえばほっそりとして見える。そういえばジェイドも細く見えるが、あれでルークよりもしっかりと筋肉のついた、均整の取れた体をしている。
 よく見れば歩き方も武人特有の癖があるし、なによりも隙がない。
 それだけではない。先ほど自分の相手をしていたときの話術やマナーにも、社交術に長けていることがうかがい知れる。

「フリングス少将は、何でも出来るんですね」

 思わず漏らした言葉に、フリングスは後ろをふり返りながら苦笑した。

「そんなことありませんよ。何でも出来るというのは、カーティス大佐みたいな方のことでしょう?」
「いや、ジェイドの奴は絶対違うから」

 確信を持って頷いたルークに、フリングスは小さく声をたてて笑った。

「そんなことをおっしゃるのは、ルーク殿たちだけだと思いますよ」
「ンなことねえだろ。絶対に対人能力については、あいつ平均以下だから」
「そつのないお付き合いだけなら完璧にこなしますよ、大佐は。それ以上には決して他人を踏み込ませない方ですが」

 さらりとそう答えたフリングスに、ルークは目を瞠った。
 確かにその通りだ。
 あたりは柔らかだが、さすがにこの若さで少将になるだけのことはあるのだろう。ジェイドとはまた違った意味でよくできた彼のことが、ほんの少しだけルークは羨ましくなった。
 きっと彼なら突発的な出来事に直面しても、自分のようにおたおたするような事はないだろう。ルークは憧憬の意を込めた視線を、フリングスの背中に注いだ。
 もう少しゆっくりと話をしたかったな。
 そんなことをぼんやりと考えていたせいだろう、前をゆくフリングスの背中が視界から消えたことに気がついた瞬間には、もう遅かった。

「う、わっ……!」

 がくんと体が傾いだと思ったときには、すでにルークの体は重力にしたがって前のめりに落ち始めていた。
 日頃からガイにも注意力散漫だとことあるごとに言われていたが、これはもう否定できないかもしれない。
(ううっ、アニスとジェイドの笑い顔が見える)
 受け身をとろうにも、あまりに突然すぎて体が反応できていない。ルークは次に来る衝撃を思って、思わず強く目を瞑った。
 しかし床にたたき付けられるよりも前に、体の前面で何かに思い切りぶつかった感触があって落下が止まった。

「痛…っ……」

 ルークはちいさく呻きながら顔をあげようとして、ふと何かやわらかな物を下敷きにしていることに気がついた。
 驚きにばちっと目を開くと、なぜか目の前にも目があった。
(あれ……?)
 目の前にある目も、驚いたように大きく見開かれている。
 自分とは違う瞳の色。
 そしてなぜか、唇になにかやわらかな感触が当たっていることにようやくルークは気がついた。

「……っ!」

 それが何かと考えが及ぶよりも前に、視界が急に動いた。
 視界だけではなく体も動いていることに気がついたルークは、自分の体がもの凄い勢いで持ち上げられて床の上に下ろされたことに、きょとんと目を丸くした。
 いったい何が起こったのか理解できずにいたルークの肩を、がしっと誰かの手が掴む。あまりの勢いに思わず気圧されるが、その相手がフリングスだということにようやく気がついたルークは、自分が彼を下敷きにして階段を落ちたのだと言うことにようやく気がついた。

「申し訳ありません……っ!」

 だがなぜか、慌てて謝ろうとしたルークの言葉を制するように、いきなりフリングスが叫んだ。
 謝るのはこちらの方だと口を開こうとしたルークの口元を、フリングスの手が被う。しかしすぐにその手は引っ込められると、彼はその手とは反対の手で自分の口元を被った。

「フリングス少将……?」
「決して、故意ではありませんからっ!」

 口元を被いながら明後日の方向を向いて早口でそう言うフリングスを怪訝そうに見ていたルークは、ふとさきほど感じた柔らかな感触のことを思い出した途端、思考が止まるのを感じた。
 もしかしてアレは……。

「うああぁっ!」

 ルークは慌てて頭を振ると、その瞬間思い浮かべたすべてのことを頭の中から追い出した。
 もしかしなくても、もしそうだったとしても、ここで肯定してはいけない。認めたら負けだ。何となくそう思う。
 一気に熱くなった顔は、きっと真っ赤になっているだろう。
 ルークはあまりの衝撃的な事実にくじけそうになりながらも、ちらりと上目づかいにフリングスの様子をうかがった。すると同時に視線を上げたところだったのか、目があった。

「……っ」
 その瞬間、互いに思ったことは一つだった。




「お茶をもう一度いかがですか?」
「そうだな」

 まわれ右。
 このまま行ってもろくな事はない。
 もう一度お茶でも飲んで心を落ち着けて。そして。



 こうして一つの事故が、紅茶の海に沈められることになった。
 ほんのりと甘い後味を残して。



END(07/09/08)




ベタネタ王道の事故ちゅー。…本当はマジ恋愛系と悩みました。