繋ぐ手の先にあるもの




 
なぜだかとても泣きたいような気持ちになって、目が覚めた。
ルークは大きく息を吸おうとして、上手くできないことに気がついた。口の中がカラカラに乾いていて、喉の奥になにかが張り付いたような違和感を感じる。
それだけではない。
頭の芯がじんと痺れたように重くて、気を抜くとすぐに瞼が落ちてしまいそうになる。それでもルークはなんとかきちんと目を開くと、無意識に目線を周囲に巡らせた。

「目が覚めましたか?」

不意にジェイドの声がして、ひやりとしたものが額に触れる。その気持ちよさに思わずうっとりしかけながらも、ルークは目線を動かしてジェイドの姿を探した。

「ジェ…ド……?」

きちんと名前を呼んだつもりだったのに、声は奇妙に掠れてしまう。そんなルークに、ジェイドはいつもよりもずっと優しい笑みを浮かべた。

「まだ熱が高いですね。辛いでしょう」
「……熱…?」
「覚えていないのですか? 街に入るなり倒れたのですよ、あなたは。……いけませんねえ、あれほど無茶はしないでくださいって言いましたのに」

かるく窘めるような調子で言うジェイドに、ぼんやりと思い出す。
そういえば今日は、戦っている時からなんとなく調子がおかしかった。でも気力で補える程度のものだったので特に気にしていなかったのだが、どうやら思ったよりも酷かったようだ。

「街に着いて気が緩んだのでしょう。それはもう見事に倒れてくださって」
「わ…り……」
「無理に喋らなくてもいいですよ。それとも、水を飲みますか?」

水と言われた途端、喉の渇きが増したような気がした。
小さく頷くと、ジェイドが背中に手を入れて起きあがらせてくれる。さしだされたコップを受け取ろうとすると、無言のまま唇に押し当てられる。
さすがに抵抗するだけの気力もなくて、されるがままに口を開く。
流れこんできた冷たい水の心地よさにどれだけ喉が渇いていたのかを実感しながら、ルークはちょうどよい早さで流しこまれる水で喉を潤した。
ようやく人心地つくと、ゆっくりとベッドの上に寝かされる。ふと、子供のころ熱を出すとこうやってガイがつきっきりで世話をしてくれたことを思い出しながら、ルークは不思議そうに目を瞬かせた。

「……ガイは?」
「おや? 私の看病では不服ですか」
「ンなことねえけど……」

もう使用人ではないのだからといくら言い聞かせても、ガイはいまだになにかとルークの世話をやこうとする。アニスには、子離れできない親みたいだとよくからかわれているが、どうやら本人にあらためる気はないらしい。
だからこういう時にルークの側にいるのはたいていガイだという固定概念があるせいか、ジェイドが付き添ってくれているというのが少し意外だった。

「ガイも今日は前衛で疲れていたようですので、休養を取るように言ってあります。それに、今回は私が付き添った方がよさそうですから」
「へ?」
「熱が高いのは音素の乱れのせいですよ。普通の風邪ならよかったのですがね」

治療しているところをあまり見られたくないでしょうと言われて、ルークは頷いた。
この身体が乖離しかけていることを知っているのは、ジェイドとティアだけだ。そういう理由であれば、なぜジェイドが自分に付き添っていたのか理解できる。

「サンキュ……」
「いえ。ところで、特に気分が悪いとかはありませんか?」
「ん〜、平気だと思うけど。なんで?」
「あなたが眠っている間に、注射を一本打たせていただきましたので」

注射という言葉に途端に顔をしかめたルークに、くすりとジェイドが笑う。

「相変わらず注射嫌いですね」
「好きな奴がいたら見てみてえよ」
「私はけっこう好きですよ。血が抜けていくときのあの何とも言えない感覚とか……」
「言うな、想像しちまったじゃねえか」

本気で嫌そうに唸るルークに、ジェイドはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。そのちょっと小馬鹿にしたような表情をムッとしながら睨み返すと、ジェイドの手が伸びてきて額にあてられた。
そのひんやりとしたその感触に、目が覚めたときに自分の額に触れていたあの心地よい冷たさを思い出す。ジェイドの手だったのかとぼんやり思いながら、その気持ちよさにすうっと意識が吸い込まれていきそうになる。

「まだ熱が高いですねえ。お腹は空いていますか?」

無言のまま首を振ると、ちょっとたしなめるように綺麗にカーブした眉が片方だけ跳ねあがるのが見えた。

「ちょっとでも口にした方がいいですよ。固形物が食べられそうにないようでしたら、スープか何か作ってもらってきましょうか」

そう言って立ちあがろうとしたジェイドの手に、ルークは反射的に手を伸ばしていた。だが熱のせいか力が入らなくて手を掴むことは出来ず、指先にそっと触れることしかできなかった。
それでもそのわずかな接触に気がついたジェイドが、珍しく驚いたような顔でこちらをふり返った。
その顔を見て、なぜ手を伸ばしてしまったのだろうとルークは混乱した頭で後悔していた。
だがジェイドはそんなルークの顔をちょっとの間驚いたように見つめていたが、すぐになんだかすこし困ったようなそれでいてなぜか嬉しそうな表情になって、先ほどまで座っていた椅子に座り直した。

「…あ……その…」
「甘えたですね」

その声はちょっとからかうような調子だったが、ルークを見下ろしている赤い瞳は驚くほど優しい色を滲ませている。

「もう少し眠りなさい。眠るまでは、側にいてあげますから」

ふたたび額にあてられた冷たい手に、思わず安堵に似たため息をついてしまう。そんな自分にジェイドが小さく笑ったのがわかったが、不快な気はまったくしなかった。
気のせいかなんだか良い匂いがするのは、ジェイドがたまに付けている香水の匂いだろうか。
甘く涼しい香りと冷たい手の感触に、自然と瞼が下りてゆく。
ジェイドは自分が優しくないと言うけれど、やっぱり嘘だなと、ルークはぼんやりと薄れてゆく意識の中で思っていた。
だって本当に優しくない人の手に触れられて、こんなにも安らげるはずがない。
目が覚めたらそう言ってやろう。
そんなことを思いながら、ルークは冷たい手が導く優しい眠りの中にゆっくりと引き込まれていった。


* * *


控えめなノックの音の後に小声でいらえを返すと、音を立てないようにそっとドアが開かれた。

「旦那、ルークの様子はどうだ?」

部屋に入ってきたのは、隣の部屋で休んでいるはずのガイだった。ジェイドが無言のまま視線でベッドの上をしめすと、ベッドの上に視線を移したガイがちょっと心配げな顔になった。

「まだずいぶん熱が高そうだな」
「ええ。でも先ほど薬を打ちましたし、ぐっすり眠っているようですから起きたら少しはよくなっていると思いますよ」
「そうか……」

目に見えてホッとした顔になったガイにジェイドは軽く肩をすくめると、ふと思い出したように口を開いた。

「そうでした。ガイ、できればスープか何か作ってもらえませんか」
「ルークのか?」
「ええ、申し訳ないですが私は動けませんので」

その言葉に不思議そうにジェイドを見たガイは、すぐにその理由に気がついて思わず噴き出しそうになったのを慌てて手で押さえた。
掛け布団の中から伸びたルークの手が、ジェイドの手を掴んでいる。だが見たところあまり力は入っていないようなのだが、ジェイドは動けないと思っているらしい。

「……わかった、俺が作ってくる。旦那はルークのこと頼むな」
「助かります」
「でも意外だったな……。ルークが旦那にそんなに懐くとは」
「子守は苦手なんですがね」

苦笑を浮かべるジェイドに軽く笑いながら手を振って、ガイが出て行く。再び訪れた静寂の中で、ジェイドは小さなため息を一つ漏らした。

「バカですねえ、本当に……」

なぜ自分なんかの手でそんなに安心して眠ることが出来るのか、この子供の考えていることは時々まったくわからない。
この手は人を救う手ではない。むしろ人を不幸にする手だとずっと思ってきた。
だけどこうやって自分の手に触れて安心して眠っている彼を見ていると、なんだかこの手が作りあげてきた不幸や災いがすべて許されるような気持ちになるから不思議だ。
ジェイドはルークに掴まれていない方の手でそっとルークの頬を撫でると、目を細めた。
遠くない未来に彼が消えてしまうことを、ジェイドは知っている。
もしかしてその時に彼は、あの火山でレプリカイオンがティアの中にあった障気を抱えて消えていったように、自分の中にある何かを持っていくつもりなのかもしれない。
馬鹿げた考えだとは思うけれど、否定できない自分がどこかにいることもジェイドは知っている。

「本当に、バカですよ」

だけど本当のバカは自分なのか彼なのか、ジェイドにはわからなかった。



END(09/02/28)


*いただいたリクエストが、優しいジェイドと看病するジェイドでしたので混ぜてみました。